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小説:老人ホーム デスゲーム3


 最初に感じたのは、異臭だった。もう何年もこのホームに勤めているが、初めて嗅ぐニオイだった。何とも言えない不快なニオイ。そのことをハルトに伝えようと思ったとき、廊下の奥から気配を感じた。誰か来る。面会時間でもないのに、誰だろう。
 誰かが来たことにはハルトもすぐに気づいた。
「ご用ですか?」
 ハルトが声をかけながら近づく。受付から面会者の知らせは届いていない。ホームの利用者さんの中には徘徊の症状がある人もいるので、建物から出られるのは受付のところだけで、受付の許可がないと出入りはできない。利用者さんの安全を守るための大事な措置なのだ。そして、受付で面会の許可を得ないと外部の人も中に入れない。
 それなのに、受付から何の知らせもなしに、今廊下を誰かが歩いてくる。どうやら男が二人いるようだ。少し離れて見ていると、声をかけにいったハルトが「わあ!」と大きな声を出して廊下に倒れた。どうしたのだろう。僕はハルトに駆け寄った。大きな男が、倒れたハルトを見下ろしている。黒いTシャツにジーンズといったラフな格好だったが、異様な威圧感がある。背が高く、筋肉質な男だ。
「タロウ、こいつら何者だ……」
 そんなこと言われても、僕にもわからない。ただ、見たことのない奴らであることは確かだ。そして、決して穏やかな奴らではない。
「職員さんよお、おとなしくしていたほうがいいぜ。俺たちは、お前ら働き盛りには手出しはしたくねえんだ。だから、ちょっとだけ静かにしていてくれよな」
 大男が言った。声は少しくぐもっている。それは、口と鼻をしっかり覆っているガスマスクのせいだろう。さっきの異臭は、やはり何かしらの化学物質だったということか。
「目的は何だ! 利用者さんに手出しはさせないぞ!」
 ハルトが立ち上がる。
「ふん、邪魔だ」
 大男がハルトの首の後ろに勢いよく手刀をあて、ハルトは気を失った。
「こういうヒーローぶった死にたがりは嫌いなんだが、今回はターゲットじゃない。縛っておけ」
 大男がもう一人の男に言う。
「イエッサ~」
 軽い返事をしたのは、ちょこまかと動き回る猿のような男だった。大男と同じく、黒いTシャツにジーンズで、ガスマスクをしている。猿男のほうが小柄に見えたから僕は猿男にとびかかる。しかし、相手は素早かった。猿男の拳が僕の鼻先をとらえる。激しい痛みが脳天まで響いて、僕は気を失った。
 気が付くと、ハルトをはじめとする職員たちは縛られ、デイルームの壁を背にして座らされていた。ハルト、イチカちゃん、リク、ツムギ。みんないる。みんな縛られている。僕もハルトの隣に座らされている。イチカちゃんは、ふてくされたような顔をしている。縛られたことが気に食わないようだ。相手が一人なら勝てたのに、と思っているのかもしれない。リクは、眼鏡の奥で神経質そうな目を光らせている。頭がいいから、どうにか現状を打破する方法を考えているのかもしれない。ツムギは、明らかに怯えた顔をしている。怖いのだろう。
 ハルトも意識が戻ったようだ。しかし、縛られているから何もできない。デイルームでは、利用者さんたちがテレビを見たりお茶を飲んだり、いつもと変わらず穏やかに過ごしている。おそらく、まだこの異常な状況を理解していないのだ。
 そこで大男が言い放った。
「今からここで、デスゲームを始める!」
 くぐもってはいたが、大きな声だった。職員たちはみな、耳を疑っただろう。僕もそうだ。デスゲームといったら、どこか狭いところに閉じ込められた人たちがお互いに殺しあう、漫画や映画によくあるあれか。でも……とデイルームを見渡す。ここにいるのは、認知症の高齢者ばかりだ。そのほとんどは記憶が曖昧で、意思の疎通が難しく、一人で動ける人は少ない。みんな介護が必要で、だからこそ、老人ホームに入所しているのだ。この男たちは、場面を間違えている。そもそも、デスゲームなんて成り立たない。そう思った。しかし、物事はそんなに簡単ではなかった。
「さあ、ばあさん。隣にいるジジイを殺せ」
 そして、ここ老人ホーム「けやき」で、誰も予測がつかなかったデスゲームが始まった。
 
 トメさんの行動は衝撃だった。人が人を殺すところを、初めて見た。その衝撃は、言葉では言い表せない驚きだった。しかし同時に、妙な非現実感も覚えていた。あまりにも嘘みたいなことが起こったから、信じられないのだ。もしかしたら、信じることを脳が拒否しているのかもしれない。目の前に血まみれで死んでいる利用者さんがいる。そのことを認めることが、難しい。しかも、トメさんは若返った。大男の言葉は嘘ではなかった。そのことを目の前で確認してしまった。でも、やっぱりまだ、にわかには信じがたいのだ。
 ツムギは泣きそうな顔をしている。リクは細い目を見開いている。イチカちゃんはポカンとしている。ハルトはすっと目を細めている。みんな、それぞれに衝撃を受けた様子には見えたが、そんなみんなの姿も、僕にはいまいち現実感がなかった。
「タロウ、聞こえるか?」
 隣でハルトが小さな声を出す。僕は小さくうなずく。
「奴らが何の目的でこんなことをしているのかわからないけれど、俺たち職員を殺すつもりはないらしい。そんで、さっきのトメさんの様子を見ていると、嘘みたいだけれど、寿命を奪って若返るのは本当らしい。とりあえず、縛られている縄をほどかないと何もできない。なんとかなりそうか?」
 ハルトは目立たないようにゆっくり、背中側で縛られた手を僕に見せてきた。どうやら、ハルトは冷静なようだ。僕もどうにか頭を切り替える。驚いてばかりでは、どうしようもない。僕も手は使えないから、隠れるようにハルトの手元に顔を寄せて、口でなんとかしようとする。さっき猿男に殴られた鼻先が痛む。かたく結ばれているが、大男たちに気付かれないように何とかハルトの縄をほどいた。
「ありがとう」
 小さく言うと、ハルトはまだ縛られたふりをしたまま、隣にいるイチカちゃんに何かコソコソと言っている。縛られたふりを続けながらイチカちゃんの縄をほどいているようだ。みんなの縄がほどき終わるまでは動かないほうが得策だろう。僕もじっと、ただおとなしく座っていることにした。でも、気が逸る。デイルームにいる利用者さんたちは、目の前に落ちてきた包丁をじっと見つめたり、ゆっくり手にとって眺めたりしている。いつまた誰かが殺してしまうかわからない。それに、寝たきりの利用者さんたちの部屋へ行ったトメさんはどうしただろうか。
 そのとき、ガタンと椅子を引く音がした。それは、キヨシさんだった。キヨシさんは杖を使えば一人で歩ける人だ。杖をついて歩きだしたその手には、包丁が握られている。
 

4へ続く

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秋谷りんこ(あきや・りんこ) おもしろいと思っていただけましたら、サポートしていただけると、ますますやる気が出ます!