#2|名前のないチェックリスト|#2 幸せの相場ーハイスペックとの結婚が幸せ?ー(全10話)
シャンデリアの光が、ホテルのラウンジに静かに落ちていた。
サークルの友人、まみの結婚式二次会。
グラスの触れ合う音が、波のように寄せては返している。
「まみ、本当に綺麗だね。」
あゆみが、カシスオレンジのグラスを揺らしながら言った。
羨望が、薄くにじんでいた。
「本当。ドレス、オーダーなんだって。」
隣でノンアルのカクテルを飲むさきが、少し眠そうな目で微笑んだ。
さきは二年前に結婚し、今は一児の母だ。
「まみって結婚相談所で出会ったんだって。やっぱりアプリより相談所の方が確実なのかな。旦那さん、外資ITでしょ?」
あゆみの言葉に、さきは小さくため息をついた。
「でもさ、ITって残業多いよ。うちの旦那も、いつも帰りが遅くて。
今日も子供預けてくるだけで一苦労だったよ。」
さきはスマホを何度も確認していた。
ベビーモニターのアプリを立ち上げては閉じる。
「贅沢な悩みだよ。私なんて、出会いのスタートラインにすら立ててないんだから。」
りおが言うと、あゆみが大きく頷いた。
「アプリはもう疲れちゃった。会うまでのメッセージのラリーだけで、エネルギーがすり減る。」
りおは、二人の間で静かにビールを口に運んだ。
冷たい液体が喉を通り抜ける。
結婚しても、独身でも。
誰もが、自分の持っていないものを数えていた。
「あ、りおちゃん、ちょっといい?」
幹事に呼ばれ、受付の手伝いに向かう。
追加の参加者の名前をチェックしていると、背後で男の声がした。
一度だけ聞いたことのある、落ち着いた声。
「遅れてすみません。高橋たくやです。新郎の会社の同期で。」
振り返る。
前とは違う紺のジャケット。
仕立ての良さだけが、静かに目に入った。
たくやも、りおに気づいた。
整った眉が、一瞬だけ動いた。
「あ。……『りお』さん?」
「……お久しぶりです。」
受付のカウンターを挟んで、短い沈黙が落ちた。
(アプリのプロフィール、本当に嘘じゃなかったんだ)
「高橋、知り合い?」
幹事が尋ねる。
「あ、いや。サークルの、友達の友達、かな。」
たくやは、すぐに爽やかな笑顔を作った。
「りお、知り合い? 高橋さん、こっちの席空いてますよ!」
あゆみが嬉しそうに手を振る。
ハイスペックな雰囲気の男を見逃すはずがない。
二次会が進む。
りおは遠くからたくやを見ていた。
あゆみの隣に座り、完璧な身のこなしで会話を盛り上げる。
名刺の肩書きは英語だった。
誰もが好感を持つ男。
条件は完璧。
見た目も申し分ない。
でも、胸は躍らなかった。
あのアイロンの効いたハンカチと、迷惑そうに歪んだ顔が浮かぶ。
ここには、恋愛に発展するような空気はなかった。
「……ごめん、りお。私、先帰るね。」
さきがバッグを持って立ち上がった。
「旦那から、子供が泣き止まないってラインが来ちゃって。せっかくの二次会なのに、ごめんね。また、絶対、ゆっくり集まろう。」
名残惜しそうに振り返りながら、守るべき確かな愛のために、さきは会場をあとにした。
結婚とは、一体何を手に入れることなのだろう。
「りお、ちょっと付き合ってよ。」
帰り道。
あゆみが、大通り沿いの占い師のテントを指差した。
折りたたみテーブル。
紫の布。
小さなランプ。
いかにもな着物姿の年配の男性。
「ちょっと見てもらわない?」
あゆみに強引に腕を引かれ、二人はパイプ椅子に腰掛けた。
「左手を」
占い師が言うと、あゆみがりおの手を差し出した。
占い師は、りおの手の平と顔を交互に見つめる。
妙に真剣な眼差し。
「で、何を占ってもらいたい?」
「出会い、ですかね。いつ、どこで、どんな人と出会えますか。」
「あなた、いくつ?」
あゆみが悪戯っぽく笑う。
「いくつに見えます?」
占い師は厳かに頷いた。
「ううむ、二十八と言いたいところだが……三十。」
「あ、当たってる。」
あゆみが驚いたように声をあげ、りおは苦笑いした。
占い師は満足そうに手相を見つめ、断言した。
「あなたには、三十三歳で良い出会いがある。」
本当は、三十四歳なのに。
(もう、過ぎてるじゃん)
りおとあゆみは、同時に吹き出しそうになった。
「どこで出会いがありますか?」
りおが聞くと、あゆみがすかさず口を挟んだ。
「高収入、高学歴、高身長、タワマン住んでるエリートで、将来性あって、……そういう人と出会えます?」
占い師はりおの顔をよく見た後、ふっと視線を落とし、紙袋から薄い冊子を取り出してりおに手渡した。
「習い事や、趣味、こういうのもある。」
大手の結婚相談所のパンフレットだった。
「……これ、渡す?」
あまりの適当さに、りおは呆れた。
あゆみは、お腹を抱えて笑い出した。
「占い関係ないじゃん!」
「私はもういいわ。」
あゆみが立ち上がり、りおもパンフレットをバッグに突っ込む。
「5000円。」
占い師の無表情に、りおは現金を渡した。
二人は笑いながら駅へ向かった。
夜。
ワンルームの部屋。
バッグからパンフレットを取り出す。
表紙には、幸せそうな夫婦。
ページをめくると、現実的な数字が並んでいた。
『30代男性の平均年収:494万円』
『女性が男性に求める理想条件:500〜699万円』
コラムには、“高望み”という言葉が何度も出てくる。
りおは、パンフレットを閉じた。
少し強めに。
二次会の光。
まみの笑顔。
あゆみのため息。
さきの心配そうな目。
それらが胸の奥で静かに混ざり合う。
机の上の手帳に目が止まった。
手帳を開く。
明日からの予定を確認する。
仕事以外の空白が、やけに気になった。
見開き一か月、その隅の『MEMO』という空白の欄。
ペンが動いた。
今日の占いのあゆみのセリフがゆっくりと頭の中に浮かんだ。
高収入
高学歴
高身長
タワマン
エリート
書いた瞬間、胸の奥がざわついた。
いくらなら、私は幸せになれるのだろう。
深夜のトラックが通り過ぎる音が、遠くで響いていた。
🌸最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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