見出し画像

【前編】新卒で大学病院を2年で辞めた看護師の話。好きな仕事だったのに。

新卒で入った大学病院を、2年で辞めました。

看護師として働き始めたばかりの頃の話です。

「もう看護師なんてやりたくない」と泣きながら辞めたわけじゃありません。

むしろ、好きな仕事でした。
それなのに辞めた、という話を書きたいと思います。


忙しい職場が、好きだった私は、暇な時間を持て余すのが本当に苦手です。

逆に、マルチタスクで頭をフル回転させて、気づいたら勤務時間が終わっている、みたいな環境はわりと好きでした。

学んだことがそのまま明日の仕事に活きる。
先輩に質問すれば返ってくる。
勉強し続けることが評価される。

1年目の終わりには
「あ、私ちょっと成長したな」と思える瞬間があって、自己肯定感が地味に上がっていく感じが好きでした。

だから、「忙しすぎてキツかったから辞めた」とは少し違います。

辞めた理由は、もっと身体のほうにありました

ストレス耐性最弱社会人。
怒鳴られると熱を出す。

きっかけは、患者さんに怒鳴られることでした。
採血を一度失敗した時に
「チッ!下手クソガッ!!」と言われたとき、その晩は38度後半の熱を出しました。

今思えば可愛い話です。
でも当時の私には堪えました。

考えてみると、私は今までの人生で、男性から本気で怒鳴られた経験がほとんどありませんでした。
家族にそこそこ怒られることはあっても、知らない大人の男性に大声を出されることって、案外ないんですよね。

1年目だけで3回熱を出しました。
3回目に検査をしたら、回盲部炎と診断されました。
「メンタルが弱すぎるな、私」
と笑ったけど、笑いごとじゃなかったのかもしれません。

加えて、コロナにも2年間で3回かかりました。マスクもアイガードもつけて、手洗いも徹底していたつもりでした。それでも、マスクをしてくれない陽性疑いの患者さんもいて、完全に防ぐのは難しかったです。

有給は使い切りました。プラス病欠も3日使いました。

学生時代の、セクハラ患者

男性患者さんへの苦手意識には、もう一つ伏線があります。

看護学生3年生のとき、終末期病棟で2週間、ある患者さんを担当しました。
元小学校の先生をしていた80代のおじいちゃん。
残された時間のなかで何ができるか、毎日プランを考えて、それなりに熱心に関わったつもりでした。

実習の最終日前日、その人に強引に背中に手を回されて、キスを迫られました。

しばらくの間、世の中の男性がみんなキモく見えた時期がありました。
自分の父、祖父にすら、少し距離を置いてしまったほどです。

「自分の関わり方に問題があったのかな」と落ち込んだけど、今思えば、ただ向こうが道徳倫理観の欠けた変態だっただけだと思います。

この経験が、男性患者さんへの苦手意識として、ちょっと尾を引いていたんだと思います。

怒鳴られると、必要以上にダメージを受けてしまっていました。

2年目、ストレス耐性が向上するも、免疫力は低下する。

2年目になると、怒鳴られても熱を出さなくなりました。

「お、適応してきたな」と思っていました。

そうしたら今度は、膣カンジダを繰り返すようになりました。

休みの日が婦人科通いに消えていきます。膣錠で一度治っても、1〜2ヶ月後にはまた再発する。常にお股が痒くて、彼氏探しどころじゃありません。

20代のうちに結婚相手を見つけたい気持ちはあったけど、そんな余裕は1ミリもありませんでした。

腟カンジダの主な原因は、もともと体内にいる常在菌(カンジダ菌)が、疲労、ストレス、妊娠、抗生物質の使用などにより免疫力が低下し、膣内の菌バランスが崩れて異常増殖することです。

夜勤と、毎日3〜4時間の残業。免疫が下がっているのは、もう自分でも分かっていました。
そのタイミングで、遠方の田舎に住む92歳の祖父が初めて入院しました。

帰省の頻度を増やしたい時期と、自分の身体がボロボロな時期が、ちょうど重なってしまったんです。

大学病院を辞める、と決めた

辞めました。
ただ、すぐには辞めませんでした。3月末まで働きました。
中途半端な時期に辞めると、その病棟には人員が補充されない。それは職場に迷惑をかけすぎるな、と思ったからです。

転職先は4月1日から。

本当は1ヶ月くらい何もしない期間がほしかったけど、そんなに休んだら復職できる気がしませんでした。働くことを止めるのが、逆に怖かったんです。

たまたま見つけたのは、内科と美容クリニックを併設した職場でした。

自費診療でうまく利益を出していて、夜勤ありの大学病院よりお給料が高い。年間休日135日。有給も取りやすい。

正直、お給料と休みだけ見れば、これ以上ない好条件でした。

とにかく身体を休めたかった私には、ぴったりの逃げ場所だったんです。

今でも、大学病院は好きな職場だったと思います。
神経内科が第一志望で、そこに配属してもらえました。学びたいことが学べました。先輩は厳しかったけど、ちゃんと教えてくれる人たちでした。

ただ、私の身体が、その環境に合わなかった。それだけです。

夜勤に強い人もいます。怒鳴られても平気な人もいます。コロナに3回もかからない人もいます。私はそうじゃなかった、というだけの話です。

私の親族には、学生時代に統合失調症を発症して、働けるような精神状態ではなくなってしまった人がいます。
同期でも、看護師1年目でうつになって休職した友人が3人いました。
そういう人たちのことを思うと、「石の上にも三年」なんてことわざは気にせず、2年で辞めることを選んだのは、英断だったと思っています。

「好きな仕事だから続けるべき」とも、「合わないなら辞めるべき」とも、言い切れません。
ただ私は、有給と病欠を全部使い切った時点で、自分の身体に「もう無理」と言われた気がしました。だから辞めました。

身体や心が壊れる前に逃げる、という選択肢があっていいと思います。
辞めて良かったかどうかの答えは、後編で書こうと思います。

休日いっぱいの自費クリニックでめちゃくちゃ趣味が増えて、看護師長にまでなって、それでも在宅医療の道へ進んだ話を。

【後編に続く↓】

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集