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【後編】高収入な外来クリニックの看護師長を辞めて、在宅医療に飛び込んだ話。

前編では、新卒で入った大学病院を2年で辞めた話を書きました。

後編は、その続きです。
辞めて転職した先で、めちゃくちゃ趣味が増えて、看護師長にまでなって、それでもまた転職して、在宅医療の道へ進むことになった話を書きます。

時間ができて、人生が変わった

大学病院から内科×美容クリニック転職して、まず驚いたのは身体の回復の早さでした。

膣カンジダを繰り返さなくなり、熱を出さなくなり、月経も整いました。
あんなにボロボロだったのに、たった数ヶ月で。

「人間って、休めばちゃんと元に戻るんだ」

と、当たり前のことに感動していました。

そして、時間ができると、人は趣味を始めます。
これが、私の場合は止まらなくなりました。

学生時代ずっと文化部だった私が、なぜかフルマラソンに挑戦し、登山にハマり、ピラティスに通い、AIと毎日会話するようになり、ウェブ制作や動画制作にも手を出すようになりました。

ここで一つ、思うことがあります。

「心の余裕」がある状態で初めて、自分が本当に好きなものに出会えるのかもしれないということです。

大学病院時代の私は、お金はあっても時間がありませんでした。
趣味を始める余裕すらなかった。
転職してから、時間ができて、お金もそれなりにあって、
初めて「これ、好きだな」と思えるものに次々と出会いました。

逆に言うと、若いうちにがむしゃらに働いてお金を作っておく、というのも一つの選択肢だと思います。

時間ができた時に、それが「次の自分」に繋がる。

クリニックでの仕事は、想像と違って面白かった


自費が大きな収入源の内科クリニックでの仕事は、思い描いていた看護師業務とは違いました。

でも、これが意外と面白かったんです。

院長の方針は、
「経費削減、なんでも安いものを選ぶ」でした。

たとえば採血や注射で使う針。
羽がついていて刺しやすい翼状針は46.8円、ただの直針は3.8円。
「直針を使いなさい」と言われていました。

最初は「えっ、成功しやすい翼状針を使わせてくれないの?」と思いましたが、価格は約12倍の差です。
うちのクリニックは、1日に100人前後の注射をしていました。針だけで1日約4,300円の差、年間にすると100万円を超えます。
針だけじゃありません。シリンジも、注射製剤も、ゴミ袋も、一つひとつの数円、数十円の違いが積み重なると、想像以上に大きな金額になる。

大学病院にいた頃の私は、こういうことをほとんど考えていませんでした。

物品は「使うもの」であって、「経費」だという視点がなかったんです。
ほんの少しの金額の違いが、これだけ経営に影響するんだな、と学びにもなりました。

仕事は、看護だけではありませんでした。

ホームページの編集、LINEビジネスアカウントの運営、Googleマップへの投稿、院内掲示の作成。
自費の美容点滴の料金は、原価から他のクリニックの相場まで自分で調べて設定しました。

医療事務が一斉退職したときには、算定入力からレセプト請求、補助金の申請、施設基準の届出等、なんでもやりました。

最初は、「看護師の専門領域ではないことまで、こんなにやるのか」と戸惑うこともありました。
しかし、自分が考えた企画で来院される患者さんが増えたり、ホームページ経由の問い合わせが目に見えて増えたりすると、仕事として純粋な面白さを感じるようになりました。

また、レセプトの算定漏れに気づけルト、 現場の医療行為を増やして身を削らなくても、正しく知識を持つだけで、提供した医療の対価をきちんと回収できる。その事実を知ったとき、これまでとは全く違う視点で「医療」を見られた気がして、とても嬉しかったのを覚えています。

このとき身についた感覚があります。
「自分の1時間の働きに、その時給を払うだけの利益が生まれているか?」
これを考えるようになりました。

大学病院では、どれだけ頑張っても、できる人にはできる分だけ業務が増えるだけでした。

だから、自分の働きが数字としてはっきり見える環境は、すごく新鮮だったんです。

また、自分の職場の経営がわかり、実績を提示できれば、お給料の交渉もしやすかった。

結果として、夜勤ありの大学病院の頃よりも高収入になっていました。

クリニックの看護師長になったけれど

そうこうしているうちに、看護師長になっていました。

ありがたい話のはずなのに、心のどこかで違和感がありました。

私が今やっているのは、看護師の仕事なんだろうか?
SNS運用して、料金表を作って、売り上げを上げて、それは確かにクリニック運営に貢献している。
仕事として面白い。

でも、これをやるために、私は看護師になりたかったんだっけ。

患者さんは来る。売上も伸びる。評価もされる。身体の負担も大してないのに、稼げている。
それなのに、何かが違う。

ある日ふと、思いました。

「私、なんで看護師を目指してたんだっけ」

なぜ私は、看護師になりたかったのか

少しだけ、過去の話をさせてください。

私が看護師を目指したきっかけは、中学生の頃に父がパーキンソン病になったことでした。

父は、病気と診断されてから、むしろ趣味が増えました。友人との交流も増え、人生が以前より豊かになっていく姿を、私はそばで見ていました。

病気そのものを治すこと、よりも。

「病気を抱えながらも、その人らしく生きることを支えたい。」

そう思ったんです。

それから何年も経って、看護師として働く中で気づいたことがあります。

私が看護師の仕事で好きなのは、「その人の生活に関わる」部分なんだと。

食事のこと、眠れているか、家族との関係、退院後にどう過ごすか。
看護師とは、病気を抱えている「人」を見る仕事です。

大学病院でも、美容クリニックでも、私が「これが好きだな」と感じる瞬間は、いつも患者さんの「生活」に手が届いた時でした。

中学生の頃に父を見て感じたあの気持ちは、ぼんやりとしながらも、私の中にずっとあったんだと思います。

祖父が、「家に帰りたい」と言った

そんなことを考えていた頃、入院を繰り返していた祖父が、他界しました。

98歳でした。最後の数ヶ月は入院していて、私は遠方ながらも毎月2回ほど帰省していました。

祖父は、自宅で仕事をしていた人で、家が大好きでした。
私が小さい頃から、祖父は家にいる人でした。仕事場も家、休む場所も家。家にいる祖父しか、私は知りません。

祖父は、何をしてもなんでも褒めてくれる人でした。
私が描いた絵も、覚えた漢字も、些細なことでも、ちゃんと見て褒めてくれました。
中でも、今でも忘れられない言葉があります。

「他の人ができて、○ちゃんにできないことはない」

事あるごとに、祖父はこの言葉をかけてくれました。
看護師を目指すと決めた時も、進学先に悩んだ時も、新卒で大学病院を選んだ時も、辞めると決めた時も。私の人生のあらゆる選択の背中を、この言葉が押してくれていました。

その祖父が、病室で何度も筆談で言うようになりました。

「いつ帰れる」
「家に帰りたい」

口から食べられなくなって、誤嚥性肺炎のリスクも高くなっていました。
自宅には平日昼間、年老いた祖母しかいません。
家で看取るのは、現実的に無理でした。

最終的に、祖父は病院で亡くなりました。

「自分が一緒に住んでいたら、家でお看取りできたのかな」と、少しだけ後悔しました。

でも同時に、思いました。
自分のために仕事を辞めて引っ越してくる孫を、祖父はきっと望まなかっただろうな、と。

「他の人ができて、○ちゃんにできないことはない」と言い続けてくれた祖父は、孫の人生にブレーキをかけるような人じゃなかったから。

在宅医療の道へ

家で過ごしたいと願う患者を、支えたい。

それが、私が在宅医療を選んだ理由です。

「その人の生活に関わる仕事が好き」という自分の気持ちと、祖父を見送った経験が、ここで一つに繋がりました。
療養よりも生活を大切にできる場所で過ごしたいと願う人の生活を支える。それが、私が看護師になりたかった理由に、一番近い気がしたんです。

ただ、迷いました。

訪問診療で働くのか、訪問看護ステーションで働くのか。
どちらも在宅医療の現場ですが、役割は違います。

医師と一緒に診療に同行するなら、訪問診療。
看護師として一人で患者さんの自宅に入るなら、訪問看護。

どちらが自分に合うのか、正直、働いてみないと分かりませんでした。

結論。どっちも始めることにしました。

迷ったから両方やる。
平日は訪問診療。休日は訪問看護。
転職は、誰にも相談せずに決めました。

在宅医療の難しさと、それ以上の「魔法」

実際に飛び込んだ在宅医療の現場は、想像とは違う難しさがありました。

一番の違いは、関わる人の多さと距離感です。病院なら、同じ組織のスタッフが「治して退院する」という同じゴールに向かって動きます。でも在宅では、医師と看護師ですら別の法人にいるのが普通です。

ケアマネージャー、ヘルパー、リハビリ職、薬剤師。所属も目的も違う人たちが、1回十数分〜1時間という短い訪問時間のバトンを繋ぎ、自分がいない間の患者さんの「24時間の生活」を想像しながら支える。最初は、この今までと全く違う世界に戸惑いました。

そして、もう一つの難しさは「知ってもらうこと」そのものでした。

外来クリニックなら、サイトやGoogleマップの口コミを見て患者さんがやってきます。でも訪問診療や訪問看護は、開業して待っているだけでは患者さんは来ません。地域のケアマネージャーさんや病院の地域連携室を一軒一軒訪ね、少し営業のような活動をして、自分たちの存在を知ってもらう。そして実際に連携した先で、いい医療・いい看護を届けて、「またこの人たちと一緒にやりたい」と思ってもらう。その積み重ねでしか、患者さんとは出会えないんです。

そもそも「訪問診療」という言葉自体、多くの人は親の介護に直面して初めて知ります。健康なうちから興味を持つ分野ではない。だからこそ、本当に価値のある部分が、医療従事者以外には伝わりにくい。これは在宅医療業界全体が抱えている、静かな課題だと感じています。

でも、それ以上に在宅医療ならではの「魔法」に、私はすっかり魅了されてしまったんです。

「本に囲まれて過ごしたかった。」「窓を開けて空を見たかった。」

病院のベッドでは叶わなかったそんな願いが、家に帰ればできるようになる。

無表情だった人が、自分の布団の匂い、家族の生活音、使い慣れた茶碗に触れた途端、嘘のように生きる意欲を取り戻していく。患者さんが「患者」から「その人自身」に戻っていく。そんな姿を何度も目の当たりにしました。

病気を治すこと以上に、病気と付き合いながら「その人らしく生きる」ことを支える。中学生の頃、父の姿を見て「私がやりたかった看護」の答えが、間違いなくここにありました。向いているかどうかだけで、決めなくていい

ここまで振り返ってみて、改めて思います。

大学病院も、外来診療も。 遠回りに見えた今までの経験が、今の私を支える大切な土台になっています。

看護師の働き方は、本当に多様です。 だからこそ、「向いているかどうか」という基準だけで、自分のキャリアに答えを出さなくてもいいのだと、今は思えます。

合わなければ一度離れてもいい。
そして、また違う形で戻ってきてもいい。
向いていないと悩みながらでも、その仕事が好きなら続けていいのだと。

私はこれからも、悩み、迷い続けるのだと思います。

在宅医療の現場で壁にぶつかる日もあれば、全く違う分野にも手を出して、自分の進むべき道を模索する日もあります。
「これが自分の生きる道だ」と胸を張って言える日は、まだ来そうにありません。

それでも、そうやって迷いながら進んでいく過程そのものを、今は静かに受け入れることができるようになりました。

noteで書いていく予定のテーマについて

今後はこのような記事が書けたらいいなと考えています。

  • 病院・外来・在宅・美容、看護師の職場のリアル

  • 外来看護師長として30人を面接した側から伝える、採用の本音

  • 看護師の面接は100%通過、一般企業は8社受けて1社だけ。両方経験したからわかるキャリアの話

  • 医療事務を兼任した経験から見えた、医師や看護師も知っておきたい診療報酬の話

看護の世界の中も外も、雇う側も雇われる側も、現場もレセプトも経験してきたからこそ書ける、嘘のないお話を書き綴ってみようと思います。

これからどうぞよろしくお願いします。
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