セツ編二章「生きていてくれるだけで嬉しい」
前回のお話
これが私達の初恋の記憶
十二歳の少女セツは、自分の心に芽生えた新しい感情に戸惑っていた。
相手は幼い頃から一緒に育ったトモ。けれど最近、彼の姿を見るだけで胸がざわつき、まともに顔を見られないほど緊張してしまう。村は狭く、会おうと思えばいつでも会えるのに――気持ちの整理がつかず、ただ「明日になったら会える」と自分に言い聞かせるしかなかった。
しかし、その気持ちは甘いと同時に切ない。ふとした拍子に「妹みたい」と言われたことがよみがえり、彼にとって自分は恋愛の対象ではないのだと胸が締めつけられる。「もしかして、トモには他に好きな人がいるのかもしれない」――そう思った瞬間、頬を伝う涙に自分自身が驚いた。
それでもセツの心は落ち着きを取り戻そうと揺れ動く。
「好きって言ってしまおうか」と思えば、「関係が壊れるのが怖い」と身をすくめる。恋というものはどう進むのか、どうやって夫婦になるのかと、冷静に考え込む瞬間すらあった。両親に尋ねてみようかとも思うが、恋心を知られるのは恥ずかしく、結局口にはできない。
やがて彼女はこう結論づける。
「ウチは……お兄ちゃんが元気でいてくれたら、それでええんかな」
それは諦めの言葉ではなかった。死が常に隣り合わせの時代、狩りに出た男たちが無事に戻るとは限らない。村では幼子の死も、大人の死も珍しくなく、セツも幾度となく別れを経験してきた。だからこそ、愛する人が生きていてくれること、それ自体が何よりの幸せに思えたのだ。
狩りからなかなか戻らないトモを心配で待ちわび、無事な姿に泣いてしまったこともある。別れの恐怖を知るがゆえに、彼の生の存在を強く願った。
そうして涙を流し、また笑みを浮かべ、冷静に考えたかと思えば再び頬を赤らめる――忙しなく揺れる心。それは年頃の少女に特有の、初恋のもたらす甘く苦い旋律だった。
やがて夜が訪れる。
枕に顔をうずめながら、セツは明日を待ちきれぬように目を輝かせる。
「逢いたいな……」
そう呟く声は、誰にも届かぬまま、夜の静けさに溶けていった。
――それは、初恋と同時に失恋を予感する、切なくも愛おしい少女の物語であった。
切なくも楽しく、そして嬉しい
そんな想いを抱えて続きます。
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