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【シロクマ文芸部】物語|エッセイ



子どもの頃、私は夜になるとそわそわした。
眠るのが嫌なのではなく、眠りに落ちる“その前”が好きだったからだ。

布団に潜り込むと、畳の匂いと、夜風がゆらす障子の影がゆっくり揺れている。
そんな静かな時間になると、決まって祖父がやってきた。

「今日はどの世界へ行く?」

祖父はそう言って、毎晩ちがう物語を即興で作ってくれた。
どんなに似ている話でも、前の日と同じ展開には絶対にならない。
登場人物も場所も、まるで祖父の指先でくるくると生まれ変わっていく。

私は目を閉じて、祖父の声を子守唄みたいに聴いた。
その声はいつも少し低くて、でも温かくて、
物語の境界線をゆっくり越えていくように、まぶたの裏を満たしていった。

祖父の物語には、決まった勇者も悪者もいない。
風が主人公になる夜もあれば、石ころが人生の岐路に立つ夜もあった。
空が笑ったり、星が泣いたり、季節が喧嘩したり。
どれも現実には存在しないけれど、私の中では確かに呼吸していた。

眠りに落ちる瞬間を私は覚えていない。
でも、朝起きると胸の奥がほんのり温かかった。
祖父の物語が、まだどこかで息づいているように感じたからだ。

今になって思う。
あの夜の物語は、私のためだけに紡がれた世界だったんだって。
不安を和らげて、心をそっと抱きしめてくれるためだけに、
祖父はひと晩ひと晩、声で灯りをつけてくれていたんだ。

その灯りは、歳を重ねた今でも消えない。
迷った時、寂しい時、眠れない夜、
ふとあの頃の物語の気配だけが、優しく肩に触れてくる。

まるで祖父が、
「だいじょうぶだ」
と、あの頃と同じ声で言ってくれているみたいに。


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