[From Despair]ゾンビですが何か?[To Where] その22
前回のあらすじ
(ともさかりえ「エスカレーション」vs さかともえり「どっちでもIN」 90年代邦楽🇯🇵頂上決戦)
Till The World Means Less And Less.
北天バイオ技研地下 セクター7――
別名:パンドラ
かつて“ゾンビ抑制技術”の実験が繰り返されたその場所は、感染事故により封鎖され、今では人間は1人も居ない、異形の亡者供の巣窟となっていた。
「……誰も、いない?」
慎也が声を潜めながら、セクター7の監視室に足を踏み入れた。
白く冷たい蛍光灯が断続的に点滅し、室内を不安定に照らしている。廃棄された設備は剥き出しの配線と埃に覆われ、空気は乾いた薬品臭で満ちていた。
カナが眉をひそめる。
ここの空気は、死んでる。時間ごと冷凍保存されたみたいに、無機質で、薄暗くて、寒い。
あちこちの壁には血の跡。ガラスの割れたモニターが、ちらちら明滅してる。
「おい、カナ。……これ……」
壁一面に設置された監視モニター。
その中の一つ、セルNo.0097を慎也が指差す。
そこだけが、未だ青白く光っていた。
映っていたのは、小さな隔離ケージ。そしてそこに、檻の中で、座ってる少年。小柄で、やせっぽちで、顔立ちは。
「ルイ……!」
カナは反射的に走り出した。慎也も後を追う。
監視室を抜け、階段を駆け下り、セキュリティ扉を次々に突破していく。
廊下の先に並ぶのは、厚い防護扉で封じられた隔離セルの列。暗闇で中の様子は全く見えない。
どの部屋も重たい沈黙を湛えている――ただひとつを除いて。
「ルイ!」
扉に付いた丸ガラスから中を覗くと、金髪、巻き毛の小柄な少年の後ろ姿が見えた。
薄いグレーのTシャツに、薄いグレーのスウェットパンツを履いている。
少年は、ベッドに腰かけて、壁の方を向いてこちらに背を向けている。
左手はベッドフレームに手錠で繋がれているようだ。
「ルイ!ルイ!聞こえる!?あたしよ!」
叫びながら扉を何度も叩くカナ。しかし厚さ18センチの扉は完全防音になっていて、カナの声は中のルイに届かない。
ルイはこちらに背中を向けたままピクリとも動かない。
慎也は、手錠に繋がれた、ほっそりとしたルイの腕を注視した。
肌色だ。白い肌色。ポーランド人だから。
カナの話だと、ルイは救急車の中で発症したはずだった。
「見て、シンヤ!ルイが生きてる。ちゃんと人間に戻ってる!」カナが喜びで涙を滲ませ、唇を震わせる。
「ああ…」
《アウェイク》は既に完成していたのか..…。
でも。なら、なんで全世界のゾンビにそれを投与しないんだ?
なんでこんな所に厳重に隔離する必要があるんだ?
カナが周りを見渡す。廊下の一番奥に、端末が置かれている。
「あれで」
「カナ!待て!」
慎也の静止を無視して、カナは端末に駆け寄り、蓮見主任のアクセスキーをかざす。
––ガチャン
ロックが開いた音が響く。
ルイの部屋の扉を開け、勢いよく中へ入るカナ。
慎也も後に続く。
「ルイ!ルイ!大丈夫? 来たよ、助けに来た!」
「お姉.…ちゃん……?」
少年は、数ヶ月ぶりに聞く、懐かしい姉の呼びかけに、壁の方を向いたまま、こちらを振り返らずに答える。
掠れた声が、少し震えている。やはり左手は分厚い手錠でベッドフレームに連結されている。
「よかった……ルイ、生きてた……」
カナはルイのそばへ駆け寄る。
「来ないで!来ちゃダメだ!」頑なにこちらに背を向けたままルイが叫ぶ。
「ルイ?.…なんで.…」
扉の外からは分からなかったが、少年の身体は今、明らかに不自然に痙攣していた。
「ごめん……お姉ちゃん……僕、もう……僕じゃなくなってる……!」
「そんな.…」
腕から手首にかけて、既に感染の痕――黒ずんだ血管の走る斑紋が浮かび始めている。
慎也は手錠をよく見る。何かがおかしい。手錠の径がデカ過ぎる。ルイの細い手首ならスルリと抜けてしまう大きさだ。
ルイが、ゆっくりと顔をこちらに向けた。
両の目は、真っ白に白濁している。
赤い唇の両の端から『牙』が伸びていた。
身長が、すでにカナより大きくなっている..…。
「ルイ....」カナが苦悶の表情で呟く。
やっと。やっと手の届く距離まで来たのに、またどんどん遠ざかっていく。
「いや……やだよ……お願い、戻ってよ……!」
ルイの全身がビクリと震えた。
骨がきしむような音が、体の奥から響いた。
筋肉が膨れ、肩が隆起し、爪がゆっくりと裂けるように延びてゆく。
皮膚の一部が裂け、下から獣のような黒い毛と、硬質な皮膜が姿を現した。
「……う、ああ、ああああッ!!」
ルイが叫ぶと同時に、背中がバキッと盛り上がった。
脊椎が変形し、両腕は人の形を捨て始める。爪はまるで鉤爪のように鋭く、長く、鋼のような光を帯びていた。
歯列が崩れ、代わりに裂けるような顎が下へと広がっていく。
ルイが、崩れていく。
人間じゃなくなっていく。
慎也はモヒカンの言葉を思い出していた。
――進化型。
ゾンビウイルスが、人間という器を超えようとする、第二段階。
「ルイ!!」
叫ぶカナに応えるように、変わり果てた顔がカッと目を見開いた。
だが黄色い瞳の奥には、確かにあった。
涙を浮かべた、“ルイ”の意志が。
「に……げて、……お姉ちゃん……」
そう言ったのを最後に、顔全体が崩れ、牙のある獣人のような姿が完成した。
カナは言葉を失い、ただその変化を見つめていた。
鼓動が、耳の奥で大きく響く。
獣人ゾンビはカナに背を向けると、手錠で繋がったベッドフレームを引き摺りながら、壁を引き裂くように殴りつけ、咆哮をあげる。
唸り声は、獣のそれだった。だが、そこに宿っていたのは、怒りではない。
必死に、姉から距離を取ろうとする、少年の理性の断末魔だった。
「ダメ……お願い……ルイ!!」
カナが数歩、前へ出る。
その瞬間。ルイの右肩の装甲のような皮膚がパキッと弾け、そこから無数の鋭い骨の刃が伸びた。
もう──完全に、ルイではなかった。
これは.…ゾンビ.…なのか?..…だけど...。
慎也は、ルイの面影の欠片も無い目の前の怪物に、強い違和感を感じた。
今まで見てきたゾンビとは明らかに違う。
ゾンビ化した慎也は、ある程度近づくと他のゾンビの"動き"が少し読める。
だけど、コイツは。ルイからは何の行動パターンも読みとれない。
「カナ!もうルイじゃない!逃げるぞ!」
「ルイ.…今、解放してあげる.…」
カナは震える手でホルスターから抜いた銃を構えようとして床に落とす。
膝が崩れ、そのまま床にへたりこむ。
カナは泣いていた。
かすれる声で、しぼりだすように懇願する。
「ルイ……お願い、戻ってきて……」
「ガアアアアァァアァァァァッ!!」
獣人ゾンビが天井を仰ぎ、世界そのものを引き裂くような咆哮を放った。
ビーーー
突然、天井スピーカーから警告音が鳴り響く。
廊下の天井に付けられた警告灯が点滅を始める。
チヒロ「隔離ロック 全扉 緊急解除済」
「……どういうことだ?」慎也が呟く。
ガチャン。ガチャン。ガチャン。廊下の奥でロックが外れる音が続け様に響く。
カナが廊下の方を振り返る。
天井のスピーカーから声が聞こえる。
チヒロ「ww開錠済wwww」
嘲笑のようなノイズが混じる。
チヒロ「全セル連動開放www――感染個体群107体wwパwンwドwラwひwらwいwたw」
チヒロは嗤っていた。
「……っ!」
重い金属の扉が、ギィィ……とゆっくり開いていく音が聞こえた。
一瞬の静寂。
廊下の奥から呻き声と咆哮が響いてきた。それが地響きのように広がっていく。
「107体…全部……開いたのか……」
慎也が息を呑んだ。首だけ出して部屋の外を覗く。
廊下の向こうから、ゾンビの群れが現れる。
先頭集団の数は……20?30? もっとだ。
制御不能となった感染個体が、腐敗した皮膚を引きずり、牙を剥いて迫ってくる。
「くそっ……!」
壁が振動し、天井のパイプが揺れた。通路の奥に、無数の赤い目が浮かぶ。
「来るぞッ!」慎也が叫んだ。
慎也はカナを見た。カナは.…床に座り込んだままだ。
カナはもう駄目だ。
戦意喪失してる。
こうなる事はわかっていたはずだ。
ゾンビの俺に自分のパーカーを貸してくれるような子に、弟を殺せるわけがない。
ゾンビの波が、屍肉の塊が、亡者の暴走列車が、部屋になだれ込んできた。
ドアのそばに居た慎也を無視して、真っ直ぐに、床に座りこんだままのカナに突撃して行く。
カナが喰われる。
10Gaでやるしかない。
100人強のゾンビを一気に停止させるにはフルパワー1択だ。
問題が2つある。
①まず負荷で俺が死ぬ。
②あと、俺の周り、半径10メートル以内のゾンビの脳ミソは蒸発する事になる。
ルイがいる。
カナを助ける為には、ゾンビ化したルイを殺さなきゃならない。
ルイはまだ謎が多い。
ついさっきまで、カナを「お姉ちゃん」と呼ぶ少年だったのだ。
万が一、負荷に耐え切って俺の脳ミソが生き残ったとしても、ルイを殺したんだから、その脳ミソをカナに撃ち抜かれる。
ひでえ脚本だ。鬱脚本。ミストとかダンサー・イン・ザ・ダークみたいな。
俺はしゃがんでジュラルミンケースを開く。
だがそこから、10Gaを取り出しはしない。
一瞬、ゾンビ共に囲まれたカナを見た。
カナも俺を見る。何か呟く。
声は聞こえないが、口の動きでわかる。
「たすけて」ではない。
「やめて、ルイが」..…。
俺はカナの人生最後の願いを無視して、1.25ジゴワットの電源に繋いだまま、10Gaをリミットレスモードで起動した。
灰色の瞳に、火花が宿る。
パンッ!
カナに群がるゾンビ供の頭が、一瞬で赤黒いトマトジュースになる。
弾ける。砕ける。崩れ落ちる。
カナに覆いかぶさろうとしていたゾンビも、カナの背後の獣人ゾンビも、みんな──爆ぜて混ざった。
後頭部の辺りで何かが弾けた感覚があった。
視界が突然白くなって何も見えなくなった。
俺は、死んだ。
