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ねえ、音楽理論って必要? 沙羅に綴る創作の秘密

Scribe aliquid, ut sis ipse tui conscientior; nam veritas in scribendo clarius apparet.
(セネカ『道徳書簡』第8書簡、8.1-2より抜粋)

何かを書きなさい、そうすれば自分自身をより深く知ることができる。なぜなら、書くことで真実はより明らかになるからだ。


『かわいい子には旅をさせよ』、なんて言葉がある。
実はね、さっき日本の国際線ターミナルから、
沙羅(サラ)をフランスに送り出してきたところなの。

彼女、ちょっと恨めしそうな目で私を見つめてた気がするんだけど
…まあ、気のせいってことにして、笑顔で手を振ったよ。

私の仕事が片付いたら、
沙羅とリヨン(Lyon)のフルヴィエールの丘、紀元前1世紀に造られた古代遺跡で再会する予定なの。あの場所は、ヨーロッパの中心にある神域だから、神様である沙羅にしか行けないんだ。

ねえ、沙羅、ローマの哲学者のセネカがこんなこと言ってたよ。
「何か書けば、自分を深く知れる。書くことで真実がクリアになるんだ」って。だから、こうやって羽根ペンにインクを浸して、手紙を書くことにしました。沙羅がリヨンに着くまで、ちょっと時間があるから、私の想いを綴ります。ついでにあなたにもシェアしたくてね。


今日のテーマはね、「音楽に作曲理論は必要なのか?」っていう、クリエイターなら誰もが一度は抱く悩み。化け物先生の私、ちょっとだけ本気を出して答えてみるね。あなたの心に響くように、そっと寄り添いながら話していくよ。

さて、音楽や物語を作りたいとき、「理論って本当に必要かな?」って考える瞬間、ない? 私もね、昔は理論書を手に取って、「これさえ覚えれば、すごい曲や物語が作れるはず!」って思ってた。でも、だんだん気づいたの。新しい理論を一から学ぶ必要って、実はそんなにないって。
理論はね、自分の心で感じたことを整理するための「地図」みたいなもの。すごく便利だけど、誰か他の人の理論——たとえそれが世界で一番有名なアーティストのものだったとしても——それをそのまま取り入れようとすると、ちょっと話が違うの。
あなたの心に、その理論を支える「体感」がなかったら、知識って、なんだか重い荷物みたいになって、自由に創作する喜びを奪っちゃうことがあるんだよね。これ、どういうことか、一緒に紐解いてみないかな?

1. 他人の理論と心のギャップ

たとえば、久石譲さんの音楽、好きかな? 『となりのトトロ』のメロディを聴くと、子どもの頃の無邪気な気持ちや、風がそよぐ森の匂いまで感じるよね。どんなジャンルの音楽を作っていても、「こんな曲、作れたらな」って心が動く瞬間、あると思う。もし久石譲さんが自分の音楽理論を本にまとめてたら、つい読みたくなっちゃうよね。でも、ここでちょっと立ち止まって。その本を読んだだけじゃ、彼の音楽の魔法は作れないの。

なぜ? だって、彼の音楽は、彼の人生や心、感じてきたことから生まれているから。あなたにその体感がないと、理論ってただの「言葉のレシピ」にしかならない。しかも、そのレシピには「久石譲さんの心の味」が書いてないの。だから、理論だけを追いかけると、「私にはこんな曲、絶対作れない」って心が縮こまっちゃう。それが、理論が「有害」になる瞬間なんだ。

料理に例えると、わかりやすいかも。久石譲さんの音楽って、彼が心を込めて作った「特製スープ」みたいなもの。そのレシピを読んでも、あなたがそのスープを味わったことがなかったら、どんなスパイスをどう使えばあの味になるのか、心で感じられないよね。
頭でレシピを覚えても、味の温かさや奥行きはつかめない。理論は「結果」を説明するものだけど、創作の「心の動き」を生み出すものじゃない。理論に頼りすぎると、「このメロディ、平凡かな?」「この物語、ありきたり?」って、頭の中で「批評家」が騒ぎ始めて、自由に音や言葉を紡ぐ楽しさが消えちゃうの。

2. 読む心と創る心は別もの

ねえ、こんな経験、ない? 好きな小説を読んだり、音楽を聴いたりして、「この作品、すごい!」って感動するとき、頭の中でいろんな分析が始まるよね。「このメロディ、なんでこんなに切ないんだろう」「この物語の展開、なんて巧妙!」って。この「読む心」、作品を味わって、理解する感覚って、たくさん本を読んだり、音楽を聴いたりするたびに、どんどん磨かれていく。まるで、毎日お気に入りのカフェでコーヒーを飲むたびに、味の違いがわかるようになるみたい。でも、ちょっと切ないことに、この「読む心」が育っても、創作する「創る心」には直接つながらないの。

私もね、昔は好きな小説を読み漁って、「自分ならもっとすごい物語が書けるはず!」って思ってた。でも、いざモニターに向かうと、頭が真っ白。物語を打ち込もうとしても、指が止まる。このギャップ、なんでだろうって、ずいぶん悩んだよ。実はね、読む心と創る心は、脳の処理するプロセスがぜんぜん違うんだ。

読む心は、論理や分析を司る左脳が活躍する。一方、創る心は、直感やイメージを紡ぐ右脳が主役。左脳が「このメロディ、どこかで聞いたことあるかも」って厳しくチェックし始めると、右脳の「ただ感じて作る」流れが止まっちゃう。だから、読む心が強くなればなるほど、創る心が置き去りになることがあるんだよ。

3. 読者レベルが50でも、創る心はゼロのまま

「読者レベルが50でも、作家レベルは0のまま」って言葉、ちょっとドキッとするよね。私も初めてこの考えに触れたとき、「え、ちょっと厳しすぎない?」って思った。でも、よく考えると、すごく腑に落ちる。

あなたがどんなに本を読んで、映画を見て、音楽を聴いて、「良い作品とは何か」を理解していても、それだけで「良い作品を作れる」わけじゃない。批評するスキルレベルと、創作するスキルレベルは、別の道なの。

たとえば、読む心が「レベル50」まで育って、どんな作品の良し悪しも見抜けるようになったとしても、いざ自分が物語を書こうとすると、「あれ、こんなはずじゃ…」ってつまずく。まるで、美味しいケーキを食べて「これ、最高!」って感動しても、自分でその味をゼロから作るのは全然別の挑戦みたいなもの。このギャップ、認めるのって、ほんと難しい。

世の中って、批評する人をすごく褒める傾向があるよね。SNSやレビューサイトで、「この映画、脚本がイマイチ」「この曲、もっとこうすればよかった」って声が溢れてる。まるで、批評することが「賢さ」の証明みたいに扱われる。でも、創作はゼロから生み出す冒険。読むレベルがどんなに育っても、創る心はゼロから育てるしかない。その「ゼロ」を受け入れるの、すごく勇気がいるけど、それは必要で大事な一歩なんだ。

4. 耳コピで心の創作力を育てよう

じゃあ、どうやって創るレベルを育てていく? 私のお気に入りの方法は、「耳コピ」——かっこよく言うと「カバー曲」——をやってみること。たとえば、好きな曲のテンポを調べ、コード解析し、メロディ・ベースをくわえてDAWで再現してみるの。久石譲さんの『さんぽ』でもいいし、ビートルズの『Yesterday』でもいい。このプロセスって、理論書を読むよりも、ずっと深く音楽の「感じ」を心と体に染み込ませてくれる。メロディの流れや和音の温かさ、曲の「空気感」を、頭で考える前に感じるの。

耳コピって、まるで「音楽の味見」をするみたい。久石譲さんのスープを一口飲んで、「ああ、このスパイス、こんな風に効いてるんだ!」って心で気づくような感覚。この「体感」が、創る心の土台を育ててくれる。

理論書を読むのは、レシピを頭で暗記するようなもの。でも、耳コピは、キッチンで実際に料理しながら学ぶようなもの。どっちが「味」をつかめるかって、明らかだよ。物語でも同じ。好きな小説の1文を書き写したり、映画の台詞を自分でアレンジしてみたり。そうやって「体で感じる」ことが、創る心を少しずつ大きくしてくれるの。

5. 「個性」や「オリジナル」のやさしい罠

「自分だけのオリジナルな作品を作りたい」「私らしい個性を出したい」って、クリエイターなら誰でも思うよね。私もそう。自分の音楽や物語に、「私だけの色」を詰め込みたいって、いつも願ってる。でも、気をつけて。「個性」や「オリジナル」を意識しすぎると、かえって心が縛られちゃうの。

なぜ? だって、「このメロディ、どこかで聞いたことある気がする」「この物語、陳腐じゃない?」って、頭の中で「批評家」が騒ぎ始めちゃうから。すると、自由に音や言葉を紡ぐ手が、ぴたっと止まっちゃう。実はね、個性って、意識して作るものじゃなくて、感じたことを積み重ねた先に自然に現れるものなの。ビートルズだって、最初は他のアーティストのカバーをたくさんやってた。その「真似」の過程で、音楽が彼らの心と体に染み込んで、気づいたら「あ、ビートルズっぽい!」ってスタイルが生まれた。久石譲さんも、クラシックやジャズ、ポップスを吸収しながら、自分の人生の感情を音に変えたから、あの独特な世界観が生まれたんだよね。

だから、「個性」を追いかける前に、まず「真似」をしてみる。好きなアーティストの曲を耳コピしたり、物語のシーンを書き写したり。そうやって創る心を育てていくと、いつの間にか「あなたらしい何か」が作品にそっとにじみ出てくるよ。

6. 世間の「読む心」への偏りと向き合う

世の中って、ほんと「読む心」を褒めるよね。SNSやレビューサイト、開けば「この映画、脚本がイマイチ」「この曲、もっとこうすればよかった」って声で溢れてる。まるで、批評することが「賢さ」や「センス」の証明みたいに扱われる。でも、批評のスキルと創作のスキルは、別もの。世間がどんなに「良い批評」を褒めても、創作の苦労や喜びにはなかなか目を向けてくれない。このギャップが、クリエイターの心を揺さぶるの。

私もね、昔は「読む心」が強すぎて、「自分ならもっとすごい作品を作れるはず」って思ってた。でも、実際に作り始めると、頭の中で「これ、ダメなんじゃない?」って声がうるさくて、創作が止まっちゃうことが多かった。世間の「読む心」への偏りが、つい「完璧な作品じゃなきゃ」ってプレッシャーをかけちゃうんだよね。でも、読む心と創る心は、違う道を歩む。この真実を受け入れるの、ちょっと怖いけど、すごく大事。だって、創作はゼロから始まる冒険。どんなに知識があっても、創る心はゼロから育てるしかない。その「ゼロ」を受け入れることが、自由に作る第一歩なんだ。

7. 創る心を育てる小さな一歩

ねえ、創る心を育てるのって、実は小さな一歩から始められるんだよ。私が大好きなアイデアを、ちょっとシェアさせてね?

  • 耳コピを日常に
    好きな曲を耳で聴いて、楽器やソフトで再現してみて。たとえば、久石譲さんの『風の谷のナウシカ』のメインテーマとか、簡単なフレーズから始めてみるの。理論は後回しでいいから、「このメロディ、どんな気持ち?」って心で感じてみて。週に1曲コピーするだけでも、音楽の「心」が体に染み込んでくるよ。物語なら、好きな小説の1文を書き写したり、台詞をアレンジしたりしてみて。

  • 小さな作品をたくさん
    完璧な大作なんて目指さなくていい。4小節のメロディ、100文字の物語の断片、なんでもいいから作ってみる。毎日10分、「何かを作る」時間を作るの。量が、だんだん質に変わっていくから。

  • 批評をそっと休ませて
    創作中は、頭の中の「批評家」をオフに。「10分はダメ出ししないで作る!」って決めて、自由に音や言葉を遊んでみる。完璧じゃなくていい。ただ、作る楽しさを味わってみて。

  • 日常の感情を創作に
    音楽や物語って、心の動きから生まれるもの。深夜の散歩中に見た景観、子どもたちの笑い声、ふとした切なさを、それを音や言葉にしてみる。「この深夜の散歩、どんなメロディになるかな?」って想像するだけで、創る心が動き出すよ。

  • 「真似」から始める
    耳コピやカバー曲、物語の模写。好きなアーティストの「感じ」を借りてみる。真似って、恥ずかしいことじゃない。だって、そこからあなたの心が新しい何かを生み出すんだから。

8. 心からの願い:感じることで創る

ねえ、音楽や物語の創作って、結局、心で感じることが命だと思うの。理論は素敵な道具だけど、それだけじゃ心の奥の音や物語にはたどり着けない。

久石譲さんの理論があったとしても、それがあなたの創作を直接助けることはない。でも、彼の曲を耳コピして、その「感じ」を心に刻むことは、あなたの創る心をきっと育ててくれる。読む心と創る心は、違う道を歩む。世間がどんなに「批評」を褒めても、創作はゼロから始まる冒険。耳コピや小さな実践で、感じたことを積み重ねていく。そうやって、『あなたの心から生まれる「何か」』が、いつか作品になって輝くよ。「ゼロ」でいい。まずは一音、ひと言、踏み出してみて。あなたの創作の旅、私も心から応援してるよ!

さいごに、耳コピ——かっこよく言うならカバー曲——を仕上げたの。
実はね、前に緑髪の化け物仲間に頼まれて作ったものなんだけど、私なりに心を込めて、久石譲さんの曲に挑戦してみたんだ。

理論を追いかけるんじゃなくて、彼のメロディの「感じ」を体でつかもうと、夢中で音を重ねたよ。この曲を聴いてもらえたら、純粋に創作することのワクワクや、音に心を乗せる喜びが、そっと伝わったらいいな。

かしこ

月から堕ちた半神少女:シャルル・ド・ゴール空港の冒険譚へ