【ピリカ文庫】継ぐもの
祖母が亡くなったその日、今年初めての雪がちらついていた。
私たちは六畳の和室に並んで正座し、横たわる祖母と無言で向かい合った。窓はすっかり曇り、白く囲まれた音のない部屋は、まるで冬に閉じ込められたかのようだ。
祖母の手にそっと触れる。死というものが今まさにここにあるのだけれど、まったく実感がない。あの優しく温かい手は今やこんなにも冷たくて、硬くて、私を拒む。祖母はもう、ここにいないのだ。
仮に魂が存在するとして、祖母は今近くで私たちを見ているだろうか。泣きながら?微笑みながら?それとも。何も感じない、誰も教えてくれない。私たちがどこから来てどこへ向かうのか、きっと誰も知らない。
毎年祖母の誕生日になると、ある手紙が届く。
そしてそれは、祖母の亡くなった今年もポストに入っていた。
真っ白な封筒に、流れるような美しい字。知らない名前と、1枚の写真。去年はどこかの街を一望した夜景だった。その前は、雪の結晶をモチーフにしたイルミネーション。
祖母はいつも私にだけこっそり手紙を見せてくれる。そんな時必ず皺を目じりに寄せて、頬をほんのりピンク色に染める。まるで初めて恋を知った少女のように、隣にいる私にまでじんわり伝染していく。
祖母は写真を見ながら、いろんな話をしてくれた。
写真の夜景は小樽で、ロープウェイに乗って山頂から眺めたこと。札幌で初めてイルミネーション見たときの感動。そんな時隣にいつも誰かがいたこと。思い出を語る祖母はとても幸せそうだ。
普段、祖母はあまり話をしない。母いわく、痴呆が始まっているのだという。適応障害で無職だった私は、そんな祖母の話を聞くのが何より楽しみだった。こじんまりとした離れは障子から日が差し込んで、庭の紅葉が重なり合うのが見える。
祖母の時間を動かしてくれる手紙は、私にとっても大事なもの。祖母が笑えば、私も笑う。嬉しそうにしていれば、私も嬉しい。ポストから封筒を取って祖母に渡すまでの束の間、私だけの秘め事であるかのように胸が高まるのを今でもはっきりと覚えている。
ごめんね、おばあちゃん。
手紙の前でそっと手を合わせてから丁寧に封を開けると、中から一枚の写真を取り出す。写っていたのは、ランタンが一つだけ飾られた樹氷だった。
そこに存在するものは、空と大地のみ。一面の雪原におびただしい数の木が群れを成した、その真ん中。空に向かう枝の隙間をすべて雪で覆われた彫刻のような木々の中に、明かりの灯る樹が一本、ぽつんとたたずんでいた。
ーいったい、どこの誰が?
首を傾げながらランタンをじっと見ていると、胸の奥がじんわり熱くなるのを感じる。まるで写真を通してその灯りが私の中へ入り込んだように、私の体は熱を帯び始めた。
それはどんどん強くなる。
熱くて、熱くて、たまらない。
気持ち悪くなってカーディガンのボタンももどかしく一気に脱ぐと、額から汗が滴り落ちた。吐き気が抑えきれなくなってうずくまり手から写真を落とした瞬間、痛みと同時にそれは光を放った。
瞬時それは止み、滴る汗をそのままに息を整える。一体何が起こったというのか。唯一わかることは、どうやら私はその場所にいかなければならないらしい。私の中に何かがそう告げた。
居ても立っても居られず、私は取るものを取ると迷わず飛行機に乗った。飛行機を使えば、日帰りでも行ける距離だ。
飛行機に乗ってる間、私は無意識に首元のペンダントをぎゅっと握りしめていた。なんとなく気に入って形見分けしてもらった、祖母のペンダント。スノウドーム型のペンダントトップの中には、雪の結晶が散りばめられている。緩やかに舞う結晶が私を守ってくれるような不思議な確信があった。
空港を後にすると、電車を乗り継ぎ最寄駅でタクシーに乗る。手紙の住所の場所に着くと、果たしてその木はまっ白い地平線の先にぽつんとあった。
写真では、一つだったランタンの灯火。今目の前には、淡いオレンジのグラデーションを描く夕焼けの中でいくつものランタンが輝いていた。
おかしいな、家で見た時には確かに灯りは一つだったのに。
写真を取り出してみると、いつのまにか写真の中にも同じ数だけランタンが光っていた。ふと足元には、ひと筋伸びていく一本道を雪明かりが照らしている。それを頼りに、ギュッ、ギュッと雪を踏み締めながら、手紙の主の家を目指した。
小屋の中では、暖炉の火がよく燃えてじんわり暖かく、頬が赤くなっていくのを感じる。私はベッドに寝たきりだという老人の前に案内された。手紙の主である彼は、窓の外の樹氷を眺めている。遠くから見るとそれは、一つの大きな灯りのように輝いていた。
「お届けに上がりました」
なぜかそういわないといけない気がした。そっとペンダントを外すと彼に差し出す。手のひらにすっぽり収まる、小さな小さなスノードーム。今それは呼応するように光を放っている。
彼はおもむろに中を開いた。中があったのか。どうやら時計になっているらしい。繊細なアンティーク調に細工された懐中時計は、6時19分を指して止まっている。それはまさしく祖母の亡くなった時間だった。
彼が時計を樹氷にかざすと、それは灯りに吸い込まれるようにすっと溶けて消えてしまった。そしてまた一つ、その木に灯りがついた。
「そうか、もう逝ったのか..」
彼は涙を流して祖母の名を呼んだ。会ったこともないのにどこか親しみを感じる彼の顔、皺がくしゃりと歪み水滴が溢れる。彼は自分の首にかけていたペンダントを取り、私に差し出した。祖母と全く同じ、雪の結晶が手のひらに包まれる。
「これを、彼女の元へ」
そういうと彼は長い眠りについた。
私は家に着くと祖母の仏壇にペンダントをかざす。するとそれは透明な光に包まれて、祖母の遺影のほうへ吸い込まれていった。写真を見ると、また一つ灯りが増えている。
震える手を合わせながら祖母ヘ祈りを捧げる。いつのまにか頬を涙が伝っていき、そのまま落ちると絨毯に色をつけた。おばあちゃん、一体どういうことなの。どうして私だったの。聞きたいことがたくさんあるが、返事はない。そして二度と光ることはなかった。
祖母にどんな想いがあったのか、どんな繋がりだったのか、もはや知る由もない。
自分の中に温かく脈打つ鼓動を感じる。止まっていた私の時間を動かすかのように、これからも共に歩んでいくのだろう。時に立ち止まり、道を見失い、一歩も動けない暗闇に包まれる日が来たとしても、あの光は私の中で輝き続けるに違いない。
立ち上がると、ポケットからポロリと何かが落ちた。
拾い上げると、それはたった今仏壇に吸い込まれたはずのペンダント。いや、中を開いてみると、傷ひとつない真新しい懐中時計が静かに時を刻んでいる。
思わず仏壇に目を遣ると、祖母の遺影と目が合う。
祖母がこちらを向いて、ほんのり目尻を下げたように見えた。
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お題 : 「時計」
ピリカさん、2回目のお誘いありがとうございました(。-人-。)
最近お話を作っていないので、ピリカ文庫の皆さまは上手な方ばかりで恐縮なのですが、光栄なお誘い嬉しい限りです✨少し長くなってしまいましたが、下書きに温めていたストーリーから新たに膨らませました。機会を頂きありがとうございました(_ _*)ペコッ
🔻去年はこちら。
