生きてる感じがしない理由と、畑と株で満たされていたもの。
「なんか生きてる感じがしない」と感じる瞬間がある。 それは特別に落ち込んでいるわけでもなく、何か大きな問題があるわけでもない。ただ、心の中にぽっかりとした空白があるような感覚だ。
この感覚について話していくと、ひとつの共通点が見えてくる。 それは「畑」や「株」をやっていた時には、その空白がなかったということだ。
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■ 生きてる感じの正体
よく「生きてる感じ」という言葉を使うけれど、それは抽象的なようでいて、かなり具体的な構造を持っている。
それはおそらくこういう要素だ。
自分が何かに介入している感覚
その介入が現実に影響を与える感覚
そしてその結果が時間差でも返ってくる感覚
つまり、「自分の行動と世界がつながっている実感」だ。
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■ 畑にあったもの
畑をやっていた時、そこには独特の手触りがあった。
普通のやり方ではなく、自分なりの工夫をしながら育てていく。 その結果はすぐには見えない。
でも、確かに何かが変わっていく。
しかもそれは、誰かに褒められるためではなかった。 外から評価されるわけでもない。
それでも、あとから振り返ると「あれは正しかった」と自分だけが分かる。 そして時には、誰かが気づいて「ありがとう」と言ってくれる。
その瞬間に、静かに満たされるものがあった。
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■ 株にあったもの
株もまた似ている部分があった。
買う、売る、その判断の瞬間にはドキドキがある。 そして結果がすぐに数字として動く。
その瞬間には緊張と解放がある。
ドキドキして、判断して、すっきりする。
それは畑とは根本的には違うものだが、共通していたのは「自分の選択が現実に触れている感覚」だった。
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■ 今ある空白
今感じている空白は、何かが足りないというよりも、その「接続」が薄くなっている状態に近い。
自分の介入が見えにくい
結果が返ってくる実感が薄い
誰かとのつながりが感じにくい
だから、何もしていないわけではなくても、「生きてる感じ」が弱くなる。
それは虚無というより、回路の問題に近い。
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■ 承認欲求ではなかった
ここで一つ大事なことに気づいたということ。
これは単純な「承認されたい」という欲求ではなかったということである。
僕はそのことについて初めて気づくことができた。これはAIのChatGPTと話していて気づいたことだった。
必要だったのは、評価ではなく、 「自分の行動が世界に影響している」という因果の実感だ。
そしてその結果として、誰かから自然に返ってくる「ありがとう」。
それが一番の満足だった。
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■ 生きてる感じの正体(再定義)
つまり、「生きてる感じ」とはこういうものだったのかもしれない。
自分が介入できる対象があること
その介入が現実を少しずつ変えること
そしてそれが時間差で自分に返ってくること
派手な成功ではなくてもいい。 むしろ静かな変化の方が重要だった。
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■ 空白は悪ではない
今の空白は、失われたものというより「回路が一時的に切れている状態」だと捉えることもできる。
だから無理に埋める必要はない。
ただ、この回路がどこにあるのかを思い出すことはできる。
それがまた次の「生きてる感じ」につながっていくかもしれない。
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■ おわりに
生きてる感じは、どこか遠くにあるものではない。
それはたぶん、「自分の行動がどこかに届いている」という、ごくシンプルな実感の中にある。
それがある場所を、人は無意識に探しているだけなのかもしれない。
僕の場合はそうだった、という話だけども。。。。
