価値観が違っても
「仲が良い」、「相性が良い」とは、どういう関係性を指すのだろうか。
パッと頭に浮かぶのは、趣味が同じ、好きな食べ物が同じ、好きなアーティストが同じ、というようなことだ。
確かに、僕にも経験がある。
ポケモン好きな人とゲームで交換や対戦をしたり、甘いものが好きな人と一緒にスイーツを食べに行ったり、KinKi Kidsファンの人に出会ったらテンションがぶち上がったり。
同じ熱量で共有できるものがあると、すごく嬉しいし、ありがたいと思う。
ただ、よくよく考えてみると、「同じものが同じくらい好き」ということは、「仲が良い」や「相性が良い」とは少し違う気がしてきた。
これまで多くのポケモン好きと出会ったが、全員と仲良しなわけではない。
甘いものが好きな人だってごまんといるから、中には苦手な人も当然いる。
アイドルオタクに関しては、同担拒否(同じ対象を応援する他のファンを嫌厭すること)なる概念も存在するくらいだ。
※僕は同担大歓迎なので、図書委員(KinKi Kidsのファンネーム)は仲良くしてください!
趣味や嗜好が同じだけでは、仲の良さを証明できないような気がする。
では、真の仲良しとは、どういう状態なのだろうか。
『逆転裁判』にあやかって、発想の逆転をしてみよう。
「何を以って仲良しとするか」ではなく、「仲良しの人に共通すること」を考えてみる。
小学校からの友人である池照やナガタニ、大学時代の親友・バツ丸、美容師のMさん、公務員時代にお世話になった真田さん、彼ら彼女らに共通するものはなんだろう(仮名の統一性がないことには、ひとまず目をつぶってほしい)。
全員同じような人間かと問われれば、答えは否。
趣味も嗜好も、年齢も性格も、歩んできた道、僕との付き合いの長さ、どれをとっても十人十色だ。
こんなに価値観がバラバラなのに、よくもまぁ僕のような妙ちくりんな生き物と上手くやっていけるよなぁ。
・・・いや。
むしろ価値観がバラバラだからこそ、お互いにそれを認め合っているから、長く付き合ってこれたんじゃないか?
据え置き型ゲームでは、ファミコンではなく(スーファミを飛ばして)ロクヨン世代。
ニチアサなら、『おジャ魔女どれみ』も少し観てたけど、『デジモンアドベンチャー』の方が好き。
生まれた世代や性別が違えば、流行や触れるものが違ってくる。これは、必然といえる。
しかし、だからといって相容れないわけはないのだ。
自分には自分の価値観、相手には相手の価値観がある。それはどちらも尊重すべきで、どちらもかけがえのないものである。
僕と親しくしてくれる人たちの共通点は、「僕の価値観を尊重してくれる」ことだ。
「アルロンはこういうの好きそう」
「そういえばアルロンはそういう考え方だったもんね」
「なんかアルロンっぽいね」
と、嫌味なく話してくれる。
と同時に、僕も彼ら彼女らの価値観を尊重している。尊重したいと思わせてくれる。
仕事上で知り合ったMさんや真田さんはさておき、他の3人はお互いに未熟な学生時分からの付き合いだ。一緒にいて楽しいことばかりではなく、時にはぶつかったり険悪になったりすることも少なくなかった。
それでも、30を過ぎた今でも仲良くやっていけるのは、信頼関係が築かれているからだろう。
僕は決して付き合いやすい人間ではなかった(まぁ、今もだが)。だが親友たちは、そんな僕の価値観を受け止めてくれた。だから、今の僕は一人じゃないのだ。
5人が5人とも、しょっちゅう会う人たちではない。だが久しぶりに会っても、昨日の続きみたいに話すことができる。そんな相手がいるなんて、なんと幸せなことか。
ありがたいこと、この上ない。
価値観が違っても、お互いに尊重し合うことができれば、信頼関係は築かれる。
そこには「仲の良さ」も「相性の良さ」も超越した、いうなれば「絆」があると、僕は信じて疑わない。
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なんと アルロンが おきあがり
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