「日本三大天空の城」越前大野城〜お城マニアへの道 No.101
こんにちは!
歴史と食がつながると、旅はもっとおもしろくなる。
お城さんぽの楽しさをお届けしたい!
アラフィフ旅ライターの更科そば子です。
6月の日本城郭検定に向けて、学習まとめシリーズ継続中です。
今回は、福井県の越前大野城を学んでいきます。
この城の築城者は、柴田勝家の家臣だった金森長近。
「北陸の小京都」と呼ばれる美しい城下町を一から設計した、文武両道の武将です。
ちょっとおもしろいご当地グルメもたくさんの城下町を備える越前大野城。
お城検定目線+更科そば子の旅目線で楽しく学んでいきましょー!
基本情報:越前大野城
城名:越前大野城(えちぜんおおのじょう)
区分:続日本100名城
所在地:福井県大野市城町
築城者:金森長近(かなもりながちか)
築城年代:天正4年(1576年)
城郭構造:梯郭式平山城
天守:望楼型2重3階の大天守+2重2階の小天守(複合連結式)
→安永4年(1775年)焼失。現在の天守は昭和43年(1968年)鉄筋コンクリート造で復興主な城主:金森長近→松平氏→土井氏
別名:亀山城
→城が築かれた「亀山」という小高い山に由来(一説には金森長近が京都の亀山(嵐山周辺)にちなんで名付けたという説も)本丸までの所要時間:越前大野駅から登り口まで徒歩約20分、天守までは上り坂を約10分ほど(そんなにキツくなさそうでホッ😌)
👉 ポイント
竹田城(兵庫)・備中松山城(岡山)と並ぶ日本三大「天空の城」のひとつ(の割には登城しやすそう😌)
金森長近が設計した碁盤目状の城下町が現在も原型をとどめる
城下では名水百選「御清水」が湧き出る水のまちでもある
越前大野城の歴史
● 金森長近と城下町の誕生
金森長近は、美濃出身の武将です。
信長の親衛隊「赤母衣衆(あかほろしゅう)」の一人としても有名です。
武勇に優れた長近は、一向一揆の平定の功績により、越前大野郡の3分の2を拝領します。
そして翌年から、お城と一緒に京都をモデルにした碁盤目状の城下町を整備し始めます。
整然とした町割りや、東に寺院を集めた「寺町」を設けるなど、計画性をもったまちづくりが行われ、現在の市街地の原型を作り上げました。
これが「北陸の小京都」と呼ばれるゆえんです。
ただし長近の大野支配はわずか10年余り。
天正14年(1586年)、豊臣秀吉から飛騨一国を与えられて高山へ転封となります。
その後は城主がめまぐるしく変わり、関ヶ原後に越前へ入った結城秀康の家臣・土屋正明が城主に。
天和2年(1682年)に土井利房が入封してからは、廃城まで約180年間、土井氏8代が大野藩を治めました。
● 焼失と復興
安永4年(1775年)、城は大火に見舞われ本丸が焼失。
寛政7年(1795年)に再建されましたが、明治の廃城令により解体されました。
現在山頂に建つ天守は、昭和43年(1968年)に旧士族・萩原貞氏の寄付をもとに推定復興されたもので、史実に完全に忠実な復元ではありません。
現存するのは野面積みの石垣のみで、これが福井県指定文化財です。
見どころ情報
● 野面積みの石垣
というわけで、現存する野面積みの石垣が見どころの一つです。
お城の石垣の構造については、前回の福井城の記事に【更科そばこの専門用語クエスト】としてご案内してますので、もしよかったらそちらをご覧いただければと!
ちなみに越前大野城は、安土城と同じ天正4年に着工されており、金森長近と織田信長の親密な関係を示す証拠ともされています。
● 城下町
金森長近が設計した碁盤目状の城下町は、400年後の現在もほぼ同じ町並みをとどめていて大きな見どころの一つとなっています。
「七間(しちけん)通り」は、春分の日から大晦日まで毎朝開かれる七間朝市の舞台であり、400年以上の歴史があります。
旬の野菜や山菜、加工品が並ぶ朝市の活気は、城下町文化の生きた継承とも言える光景です。
名水百選に選ばれた「御清水(おしょうず)」は、山々から湧き出る伏流水の名水スポットで、地元の方も通う恵みスポットでもあります。
大野市は、名水の恵みを活かして醤油・味噌・日本酒の製造が盛んで、湧き水の文化が今も生きているまちです。
● 天空の城と雲海
越前大野城最大の見どころは、雲海に浮かぶ幻の天空の城の光景かもしれません。
周囲を1,000m級の山々に囲まれた大野盆地。
秋から春にかけて、前日に雨が降り湿度が高く、風が弱い日の早朝、盆地全体を白い雲海が覆い尽くします。
そこに標高249mの亀山山頂の城だけが浮かび上がるーー✨
この光景が見られるのは、年間10日前後という奇跡の瞬間です。
観光で出会えたらマジでラッキーですね。
雲海の城の絶好の撮影ポイントは、城から約1km離れた戌山城跡なんだそうです。
登山約20分で📷スポットに到着しますが、熊の目撃情報もあるため、熊鈴・長袖長ズボン・トレッキングシューズは必須だそうです。
早朝だし、気をつけて行かなきゃですね。
城下町グルメ(※試験には出ません!)
さあ、皆さんお待ちかね!
お楽しみの城下町グルメ情報のお時間です!
福井城の松平氏と、越前大野城の土井氏。
藩が違うと文化も異なってくるもので、似てるけどちょっと雰囲気が違うグルメがありましたよ!
■ 醤油カツ丼
前回のNo.100・福井城で「ソースカツ丼」をご紹介しましたが、越前大野には、さらに独自進化した「醤油カツ丼」があります。
通称SK。
いやいや、ソースカツ丼もSKでしょうが!って思わず突っ込んでしまうのが、そもそも大野市民の策略にハマってしまってる気がしてなりません。
地元の老舗「野村醤油」の野村明志氏が、友人に「醤油屋なんだから醤油カツ丼を作ってみたら?」と勧められたのがきっかけで2010年に開発。
専用ダレを開発し、同級生経営の「お食事処しもむら」と協力して誕生させました。
食べ方はユニークで、ご飯→たっぷりキャベツ→とんかつ→大根おろし・大葉・ネギの順に山盛りに盛り付け、食べる直前に温かい醤油ダレを自分でかけていただきます。
ソースカツ丼よりあっさりとした食べ口で、野菜との相性が抜群なんだとか。
「今日SK行く?」が地元の合言葉、自宅で作れば「HSK(ハウスエスケー)」っていうんだって。
「世界醤油カツ丼機構(WSKO)」なる団体まで発足し、NYへの普及も夢見ているらしいです😄
なんか、福井の伝統グルメとはぜんぜん毛色が違うんですけど笑
ユーモア溢れる大野市の雰囲気が感じられます。
■ とんちゃん
「とんちゃん」とは、大野市で古くから愛される牛・豚のホルモンを味噌・醤油・にんにく・唐辛子などで味付けした料理です。
大野市内には、かつて日本有数の規模を誇る鉱山があり、そこで働く労働者たちのまかない料理として出されたホルモン料理が定着したとされています。
大野の名水で作られた地元産味噌が「とんちゃん」の味を支えており、地元では「BBQといえばとんちゃん」「人が集まる場所には必ずとんちゃん」という文化が今も生きているんだとか。
愛好家が集まって「越前おおの"とんちゃん"を愛でる会」を結成し、全国のホルモン店が競い合う「とんちゃん祭」を開催するほどの熱狂ぶりだそうです。
やっぱり大野市民はユニークでお祭り好きな印象です。
■ けんけら
歴史は寛元年間(1243〜1247年)にまで遡るとも伝わる福井県の銘菓、それが「けんけら」です。
名前の由来には諸説あり、
宝慶寺の「健径羅(けんけいら)」という僧が師のために作り、その名が菓子になったという説、
大野藩主がこのお菓子を大変気に入り「堅い菓子を作る家来は心も堅い(=忠実)であろう」と「賢家来(けんけらい)」と名付けたという説、
剣で切らなければ切れないほど堅かったことから「剣切羅(けんけら)」という説、など複数ありますが、
実際には菓子が立てる軽やかな音をそのまま名前にしたものとみられています(その割に由来多すぎない!?)
作り方は、水あめと砂糖を煮詰め、きな粉(店によってはすりごまも加える)を混ぜて1mmほどの薄さに伸ばし、ひとつひとつ手作業でねじって仕上げます。
カリッポリッとした歯ごたえと、噛むほどに広がる大豆の素朴な甘み・香ばしさがやみつきになる一品で、城下町散策のお土産にぴったりです。
よっぽど固そうなので、歯が弱い人は一口目に注意かもしれませんね。
そば子的感想まとめ
前回の福井市の一乗谷城や福井城は、なんだかとても”雅”な印象があったんですけど、越前大野城は、少し雰囲気が違って感じられます。
なんだか、ちょっと、「おふざけモード」な気がします(ごめんなさい🙇♀️いい意味で言っております💦)
醤油カツ丼をSKって呼んじゃうとことか、
めっちゃいろんな逸話があるのにけっきょく音が由来かい、と思わず突っ込みたくなるお菓子があったり、けっこう異色な文化がある気がするんです。
なんだか、こういったエピソードから、毎日を仲間たちと笑って暮らしている人たちの暮らしぶりが浮かんできました。
そういうのも大事だし、旅行で行っても楽しめそうな気がします。
そういえば、私の生まれ故郷の青森にも、とにかく固い「板かりんとう」っていうお菓子があるんですよね。
けんけらとどっちが固いか、ちょっくら比べてみたくなりました笑
もしあなたも歴史とグルメの旅を一緒に楽しんでいただけるなら、次回も読んでもらえると嬉しいです☺️
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※「越前大野観光ガイド」っていうサイトがかなり詳しくて見やすいので、訪問される際の情報収集にお薦めです!!
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