『多様性』に納得する日は来るのか?|理念と資源の両輪で実現するインクルーシブ
ダウン症の息子が生まれたとき、「誕生おめでとう」と言えなかった。
それは障害を背負って生きていく未来が暗かったから。
全ての子どもが「誕生おめでとう」と言われ、全ての親が明るい未来を思い描ける社会になったとき、障害は本当の意味で多様性として認められるのかもしれない。
多様性の真意
息子の障害について語るとき、多様性という言葉を使うのは無理があると感じてしまう。理屈では個性だ多様性だと受け止めたくても、実際にその個性がこの社会で生きていくには適合しないことを察しているから。
もし私たちが完全なインクルーシブ社会を思い描けたなら、誰もが個性を輝かせる未来を想像できたなら、多様性という言葉はもっと納得感を伴って浸透するんじゃないかと思う。
掲げられた理念
息子が生まれたとき、色んな人が言ってくれた言葉。
「社会で支える時代だから。お母さんも自分の人生を歩めますよ。」
とてもありがたかった。きっと昔じゃ考えられなかった社会の捉え方の変革だと思う。障害者は親が抱える時代から社会が支える時代に大きく認識が変わってきている。この理念を見失ってはいけないと思う。
社会の理念と現実のズレが生む障害
たくさんの人に支えられ、励まされ、今私は息子と共に楽しくこの社会で生きている。それは本当にありがたいけれど、同時に社会の理念と現実のズレを目の当たりにすることも多い。
以前の記事で述べた、療育の受け皿が足りないのもその1つ。「社会で支える」という言葉と現実のズレが障害児育児を苦しめる。
支援の質
そのズレを最近一番目の当たりにしたのは日中一時支援だ。私が仕事を続けながら療育に通わせるには、日中一時預かり支援を利用しなければならない。
療育とは違って、預かりなので多くを求めてはいない。それでも、市内中探しても安心して預けられるところが見つからない。
設備は目をつぶったとして、預ける息子について何も尋ねてくれない、声も掛けてくれない事業所は、本当に預かる気があるのかと思ってしまう。預けたとして放置される様子が目に浮かぶ。
日中一時預かり支援の実態は、はっきり言って杜撰だった。
追いついていない現状
ショックを受けた私は、療育の先生、役所、他の児発などに問い合わせて相談した。そこでみんな口を揃えて言うのは、「一時預かりはだいたいそんな感じだよ。」
要するに、うちの地域では、働きたいなら療育じゃなくて児童発達や保育園を選んだ方が良いということ。息子に必要だからと先生にゴリ押しされた療育を選択するなら、働けない。
ああ、やっぱり社会の体制は全然追いついていないと感じた瞬間だった。社会が支えますよ、お母さんは働けます!と励まされたあの言葉はやっぱり机上の空論。こんなことが今後の未来にも起こりうることが容易に想像できる。
それでも目指さなければ始まらない
たとえ机上の空論であっても、その理念や認識がなければ何も始まらないのも事実。多様性という言葉は独り歩きしているようにも感じられるけれど、その認識が広まらなければ、インクルーシブ社会は実現しない。
私たちの認識が先か、社会の資源が先か。それは、両輪として同時に機能させるべきものなのだと思う。
多様性に心から納得し、誰もが明るい未来を思い描ける社会を実現するために、この社会の目指すところと現状のズレがあること、そしてそのズレを解消すべく、いち早く実効性のある質の高い社会資源が必要があることを、強く訴えたい。
最後までお読みいただきありがとうございます。保活と一時預かり探しに追われた11月からのインフルエンザで、疲労困憊中のあおいです。優しい世の中になりますように……(バタッ)。
みなさんの経験や意見もぜひコメント欄で教えてください♪
療育の受け皿についてはこちらから↓
