イブ物語|判断寓話|エラとヨル|第三十一話 クロとシロ
新しい剣には、名前がついた。
黒い握りのほうが、クロ。
白い握りのほうが、シロ。
……そこまでは、よかった。

エラとヨル 第三十一話
【クロとシロ】
鍛冶屋“ワイド&ルー”の看板が見えた。
もう、見慣れた風景になっている。
「待たせたな」
ルーが奥から戻ってきた。
その手には、布に包まれた細長いものが二つある。
エラは、店に入った時からずっと落ち着きがなかった。
右に一歩。
左に一歩。
棚の上の古い短剣を見て、すぐに振り返る。
壁にかかった槍を見て、また振り返る。
そのたびに、紫色の髪がぴょこぴょこと揺れていた。
「エラ、動きすぎ」
「だって」
「だってじゃない」
「だって、今日だよ」
それは、そうだった。
折れた曲剣をどうするか。
エラが自分で選んで、ルーに預けた。
そして今日、新しく作り直された二本の曲剣を受け取ることになっていた。
ルーは作業台の上に布を置くと、ゆっくりと紐をほどいた。
現れたのは、二本の曲剣だった。
柄の芯には、前の曲剣の一部が使われているらしい。
けれど外側の握りは、新しく巻き直されていた。
片方は、黒い握り。
そこに黒い組紐が結ばれている。
もう片方は、白い握り。
そこには白い組紐が結ばれていた。
刃の形は、エラが前に使っていたものに近い。
ただ、まったく同じではない。
少しだけ細く、少しだけ軽そうで、前よりもよく手に馴染みそうだった。
エラは、何も言わなかった。
ただ、じっと見ていた。
私は少しだけ心配になった。
「……エラ?」
「クロとシロ」
「え?」
「黒いほうが、クロ。白いほうが、シロ」
私は少し目を瞬かせる。
「もしかして、名前つけるの?」
「うん」
エラは大きく頷いた。
「昨日の夜から決めてた」
「寝なよ」
思わず言うと、エラは聞こえなかったふりをした。
ルーは小さく笑いながら、二本の曲剣をエラの前へ押し出した。
「持ってみな」
エラは、まず黒いほうを手に取った。
握りを確かめるように、何度か指を動かす。
次に白いほうを手に取る。
左右の手に一本ずつ。
その瞬間、エラの顔がぱっと明るくなった。
「あ」
その声は、小さかった。
でも、嬉しい時の声だった。
「軽い」
「前のより少し重心を手元に寄せてある。振り回すだけじゃなく、止めやすいようにな」
「止めやすい?」
「折らないために」
ルーがそう言うと、エラは少しだけ真面目な顔になった。
それから、クロとシロを見た。
「……そっか」
短い返事だった。
でも、たぶん届いていた。
エラは二本の曲剣をそっと掲げた。
「よろしくね、クロ。シロ」
そこまでは、よかった。
本当に、そこまではよかった。
「そういえば」
オトが、ふと思い出したように言った。
「色はエラさんが指定したんですよね?」
「うん」
エラは当たり前みたいに頷いた。
「黒と白がよかったから」
「理由は?」
私が聞くと、エラは少し考えた。
本当に少しだけ考えて、それから首をかしげる。
「なんとなく」
「なんとなくで、黒と白?」
「うん。こっちがクロで、こっちがシロ。わかりやすいでしょ」
「わかりやすいけど」
私は黒い握りのほうを見た。
黒い組紐が、エラの指の間で小さく揺れている。
黒。
私が見える色。
ミニアの、影の色。
そう思った瞬間、少しだけ言葉が止まった。
隣でオトも、白い握りのほうを見ていた。
白い組紐。
オトが見える色。
「……偶然、ですかね」
オトが小さく言った。
「偶然だと思う」
私はそう答えた。
でも、なぜか少し落ち着かなかった。
エラはそんな私たちを見比べて、不思議そうに目を瞬かせる。
「なに?」
「いや」
「別に」
私とオトの声が重なった。
エラはさらに不思議そうな顔をしたあと、黒いほうを軽く掲げた。
「クロ、かっこいいでしょ」
「……まあ」
私は目をそらした。
「すごくかっこいいと思う」
「ヨル?」
「見てる」
「なんでちょっと変な顔してるの?」
「してない」
オトが口元を押さえた。
その顔が少し笑っていたので、私はオトを見た。
「何?」
「いえ。クロを褒められると、ヨルさんが少しむずむずするんですね」
「しない」
「してますよ」
オトはクスクスと笑う。
するとエラは、今度は白いほうを掲げた。
「じゃあ、シロは? シロはかわいいでしょ」
「……はい」
オトが少しだけ視線を外した。
「かわいいと……思います」
「なんでオトが照れるの?」
「照れてませんよ」
「照れてる」
「照れてません」
オトは笑顔を浮かべてはいたが、言葉の圧が強くなっている。
今度は私が少し笑った。
エラはクロとシロを両手に持ったまま、ますますわからないという顔をした。
「二人とも、変なの」
「変じゃない」
「変ではありません」
また声が重なった。
エラは首をかしげる。
「私は剣を褒めてるだけだよ?」
それは、たしかにそうだった。
エラはクロとシロを褒めているだけだ。
黒が私に重なっていることも。
白がオトに重なっていることも。
たぶん、何も考えていない。
何も考えていないのに、たまにこういうことをする。
ーーだから困る。
エラはにこにこしながら、二本の曲剣を見た。
「クロはかっこいい。シロはかわいい。二本そろうと、もっといい」
「……うん」
「……そうですね」
私とオトは、小さく頷いた。
ルーが作業台の向こうで、何か言いたそうに笑っていた。
言わないでほしい。
本当に、言わないでほしい。
*
店を出てから、少しおかしくなった。
「ヨル、見て」
「見た」
「今の光だと違う」
「さっきも見た」
「こっちから見ると、クロの組紐がかっこいい」
「うん」
「シロはかわいい」
「うん」
「ちゃんと見てる?」
「見てる」
「本当に?」
私は道の端で立ち止まった。
エラは両手にクロとシロを持って、まるで新しい友達を紹介するみたいにこちらへ向けている。
通りを歩く人が少し避けて通った。
それはそうだと思う。
昼間の道で、両手に曲剣を持った女の子が満面の笑みで立っている。
私でも避ける。
「エラ、しまいなよ」
「もうちょっとだけ、クロとシロが、まだ外を見たいって」
「言ってない」
「言ってるかもしれない」
「……」
私は小さく息を吐いた。
後ろでオトが、困ったように笑っていた。
「まあまあ。嬉しいんですよ、きっと」
「オトは甘い」
「でも、新しい相棒ですからね」
「相棒は腰に差すものだよ。道の真ん中で見せびらかすものじゃない」
「ヨルさん、シルベの時けっこう見てましたよ」
「……」
私は黙った。
少し顔が熱くなるのを感じる。
その姿を見て、エラがにやっと笑う。
「ヨルも見てたんだ」
「見てない」
「シルベ、好きなんだ」
「好きとかじゃない」
「じゃあ大切?」
私はシルベの柄に、少しだけ手を置いた。
「……まあ」
「ほら」
エラは勝ったみたいな顔をした。
――しまった。
これは、言い返す順番を間違えた。
その日の昼食も、落ち着かなかった。
店に入るなり、エラは椅子を三つ使った。
一つは自分。
一つはクロ。
一つはシロ。
「……エラ」
「なに?」
「椅子。何に使うの?」
「クロとシロの分」
「剣だよ」
「剣だって、椅子は必要でしょ?」
その顔は、何か問題でもあるのかと言っていた。
ーー大いにある。
店の人が水を持ってきて、椅子の上の曲剣を見て、何も言わずに戻っていった。
たぶん、関わらないほうがいいと思われた。
正しい判断だと思う。
オトは向かいの席で、どうにか笑わないようにしていた。
「エラさん、せめて食事中は腰に差しておいたほうが」
「大丈夫。クロとシロは食べないから」
「そういうことではなく」
「汚れないように、ちゃんと置いてる」
「そういうことでもなく」
私は水を一口飲んだ。
冷たかった。
現実から少し逃げられるくらいには。
そんな私を他所に、エラは椅子の上のクロとシロを眺めながら言う。
「オト」
「はい」
「クロとシロの歌、作って」
オトの手が止まった。
「……剣の歌ですか?」
「うん。かっこよくて、かわいくて、強そうで、でも優しい感じのやつ」
「注文が多いですね」
「あと、二本だから掛け合いがあるといい」
「舞台構成まで指定しますか」
「クロが低めで、シロが高め」
「声もあるんですか」
「あるかもしれない」
「あるかもしれない……?」
オトが、私のほうを見た。
助けてほしい目だった。
私は首を横に振った。
――無理だ。
オトは小さく咳払いをした。
そして、リュートを持っていない手で机を軽く叩きながら、即興で歌い始めた。
「黒いクロ、白いシロ♬」
「うん」
「二本そろえば、よく切れる♪」
「雑!」
エラが即座に怒った。
オトは胸に手を当てた。
「即興ですので」
「もっとあるでしょ。クロはこう、闇を裂く感じで」
「危ないですね」
「シロは光を守る感じ」
「急に壮大ですね」
「二本そろって、エラの剣」
「最後だけそのままですね」
私は少し笑ってしまった。
エラは真剣だった。
真剣に、剣の歌を作らせようとしていた。
――これは、かなり重症かもしれない。
昼食が終わっても、エラはずっとクロとシロを見ていた。
歩きながらチラチラと。
宿に戻りながら手を当てて。
部屋に入ってからも。
刃を布で拭いて、組紐を整えて、また眺める。
最初は、よかった。
大切にするのは、いいことだと思った。
前のエラなら、折れたことを笑ってごまかしていたかもしれない。
でも今は、ちゃんと見ている。
壊れたことも。
直したことも。
新しくなったことも。
そこに残ったものも。
だから、私はしばらく黙っていた。
黙っていたけれど……。
夜になった。
宿屋の部屋で、オトはすでに毛布にくるまっている。
私はランプを消そうとして、手を止めた。
エラが、ベッドの上に座っていた。
膝の上にはクロとシロ。
「今日はありがとね、クロ」
聞こえた。
でも、私は聞こえなかったことにした。
「シロも、よかったよ」
無理だった。
私はゆっくり振り返った。
「エラ」
「なに?」
「いい加減にしなよ」
エラは、きょとんとした顔でこちらを見た。
まるで、本当にわかっていない顔だった。
「何が?」
「全部」
「全部?」
「食事中も、歩いてる時も、寝る前も」
「大切にしてるだけだよ」
「大切にするのはいい」
私は、そこで一度息を吐いた。
怒りたいわけではなかった。
でも、このままだとたぶん、エラはクロとシロに枕まで用意する。
それは止めたほうがいい。
「大切にすることと、ずっと抱えて離さないことは違う」
エラは少し黙った。
「……違うの?」
「違う」
「名前つけたのに?」
「名前をつけたからこそ、ちゃんと置くんだよ」
私はシルベの柄に触れた。
「剣は、手に持つものだよ。抱えて眠るものじゃない」
エラは膝の上のクロとシロを見た。
黒い組紐と、白い組紐が、ランプの明かりの中で小さく揺れている。
「……そっか」
「うん」
「じゃあ、寝る時は隣?」
「違う」
「近く?」
「少し離す」
「見えるところ?」
「まあ、それくらいなら」
「じゃあ、そこ」
エラはベッドの横に、クロとシロを丁寧に置いた。
本当に丁寧に。
まるで眠らせるみたいに。
私は何か言いかけて、やめた。
今日は、これでいい。
たぶん、少しずつでいい。
ランプを消すと、部屋が暗くなった。
しばらくして、エラの小さな声がした。
「おやすみ、クロ。おやすみ、シロ」
私は目を閉じた。
言い返さなかった。
少しだけなら、いいと思った。
少しだけなら。
翌朝。
エラはクロとシロを、ちゃんと腰に差していた。
抱えてはいない。
話しかけてもいない。
少しだけ、大人になったのかもしれない。
そう思った。
「おはよう、クロ。おはよう、シロ」
……少しだけだった。

創作大賞2026 ファンタジー小説部門 投稿作
