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その調書にサインして大丈夫ですか――見通しのきく企業防衛⑩|#040

登場人物等:
甲社 医療機器メーカー
P 今回、県警捜査二課から呼出しを受けた甲社の営業担当社員(I市民病院担当)
N 甲社営業課係長 Pの直属のレポートラインにいる上司
Q 甲社法務課社員
R 甲社の人事総務担当取締役
M 弁護士
S I市民病院に勤務する医師(みなし公務員)
乙社 甲社製品の納入代理店
K 乙社の甲社・I市民病院担当


前回(調査結果を踏まえて、会社の立ち位置を決めよ――見通しのきく企業防衛⑨|#039)では、Pの取調べ結果や、P、Q、Nの社用スマホに対するフォレンジック調査などから、営業担当社員Pと代理店乙社の担当者Kが、I市民病院のS医師と食事やゴルフに行くなど、密接な関係を築いていたことが判明しました。
これを受け、取締役Rも、現段階で判明している事実を前提とすれば、一定の嫌疑があるとみられることは避けられないと判断しました。
そして甲社では、代表取締役社長以下、不要な強制捜査を避けるためにも、会社として捜査に全面的に協力する方針を決定しました。

P、二回目の取調べを受ける。

数日後、Pは再び県警に呼び出されました。
今回は、取調べの最後に供述調書が作成されるとのことです。
Pは思います。
「内容はだいたい合っている。」
「細かい表現は少し違う気もする。」
「でも、早く帰りたい。」
「このくらいなら、サインしてもいいのかな。」
実は、この瞬間こそ、企業として最も注意しなければならない場面の一つです。
呼出し時刻の5分前、午前9時25分。県警本部への出頭に付き添ったM弁護士は、取調室へ向かうPに声を掛けました。

M「Pさん。少しでも違和感を感じたら、調書へのサインは保留して、そのまま部屋を出てきてください。任意の取調べであれば、いつでも退出できるというのが法の建前*でしたね。今回も堂々と出てきてください。」
*(初回取調べ前の作戦会議――見通しのきく企業防衛⑦|#033 参照)

P「分かりました。最初のときよりは落ち着いています。もちろん緊張はしていますけど、R取締役も賛成して、会社として捜査協力の方針を決めてくれたことで、『普通に話せばいいんだ』と思えるようになりました。」
M「それは良かったです。この種の問題は、会社が腹をくくれるかどうかも、とても大切です。」
Mは、一呼吸置いて続けました。
M「そんな落ち着いているPさんに、一つ大事な役割をお願いしたいのですが、よろしいですか。」
P「先生、分かりました。」
M「最後に、警察官から供述調書の内容を確認するよう求められるはずです。違和感があれば、サインを保留してください。それに加えて、もし余裕があれば、どんな言い回しで調書が作られていたのか、覚えられる範囲で記憶してきていただけませんか。」
P「頑張ってみます。」
M「よろしくお願いいたします。」
Mは、県警本部庁舎の中へ入っていくPを見送りました。

午後7時30分近く。
Pが、取調べ担当のF警部補とともに庁舎から出てきました。
F「先生、もう少し協力してもらえませんか。」
M「Pさん、何か話せなかったことがありましたか。」
F「いや、話はしてくれるんですよ。でも、調書のサインは保留して、先生に確認したいと言うんです。先生の差し金ですか。」
M「甲社として捜査に協力することが基本方針であることは、昨日、Pさんの取調べに先立ってお話ししたとおりです。本日も、その方針に変わりはありません。「本日はPさんから事実関係を確認し、会社としても内部で必要な確認をした上で、より適切な形で捜査協力をさせていただきたいと思います。それでよろしいでしょうか。」
F「分かりました。引き続き僕が担当しますので、ご連絡ください。」
M「よろしくお願いいたします。」
M弁護士とPは、県警本部庁舎を後にしました。

どんな調書が作成されようとしていたのか。

そして翌日。
Pは、前日の取調べの様子と、F警部補が作成していた供述調書の内容について、M弁護士と会社に詳細な報告を行いました。
P「昨日は、半年前の会食のことを中心に聞かれました。I市の隣のO市の寿司店で、S先生と、乙社のKさん、直属の上司のN係長、それから僕の4人で食事をしたことは、そのとおり話しました。N係長は1時間くらいで『あとはよろしく』と言って帰りました。僕は最後までいました。会計は僕は払っていません。Kさんが後から支払いに行ったことは知っていますが、実際に店で支払う場面は見ていません。」
Q「ここまでは、会社の調査でお話しされた内容と同じですね。」
P「はい。ここまでは、そのままです。でも、調書になると、少し違和感がありました。」
M「どんな違和感ですか。」
P「例えば、『僕は、S医師に甲社のステントを採用してもらいたいことへの便宜供与の趣旨として、KさんとNさんが寿司店で接待したのだと思いました。』だったかなあ……そんな趣旨の文章になっていました。」
M「事実関係として、Pさんは、取調べではどんなことを話したのですか。」
P「『接待したのだと思いました』なんて、僕は決して話していません。たしかに、N係長と一緒に寿司店での会食に参加したことや、S医師が来ていたこと、S先生にうちの会社のステントを使ってもらうようになった経緯や時期は話しました。でも僕は、この寿司がS先生への謝礼だなんて思ってなかったんです。焼き肉屋などで以前から食事をしていましたし、そんな特別な意味があるとは思っていませんでした。」
Q「そういえば、確かに、うちの会社のステントが採用されたのは4か月前ですよね。会食は半年前ですよね。」
P「そうなんです。」
M「実際、その場では、F警部補とどんなやり取りがあったんですか。」

Pは、取調べでのやり取りを振り返りました。

F警部補「この寿司屋での会食は、○月のことですね。」
P「はい。」
F警部補「この2か月後から、S先生は甲社のステントを使い始めていますね。」
P「はい。」
F警部補「それまでは、S先生はほとんど丙社のステントを使っていた。」
P「そう記憶しています。」
F警部補「営業としては、何とかして丙社から切り替えてもらいたい、という気持ちはありましたよね。」
P「もちろん、それはありました。」
F警部補「S先生に甲社のステントを採用してもらえれば、大きな売上になりますよね。」
P「はい。」
F警部補「そのためには、S先生との関係を良くしたい、という気持ちもありましたね。」
P「営業として、良い関係を築きたいとは思っていました。」
F警部補「その気持ちは、上司のNさんも、代理店のKさんも同じだったんじゃないですか。」
P「はっきり聞いたわけではありませんが、売上を伸ばしたいという思いはあったと思います。」
F警部補「だったらさ。」
F警部補は少し身を乗り出した。
F警部補「採用してもらいたいと思っていなかったら、わざわざ高級寿司店で会食なんて開かないでしょう。」
P「……。」
F警部補「結局、この会食は、S先生に甲社のステントを採用してもらうためだったんじゃないですか。」
P「採用してほしいという気持ちはありました。でも、僕は寿司店へ行った時には、『これは採用してもらうための接待なんだ』なんて考えていませんでした。」
F警部補「でも、今振り返れば、そういう目的とみるのが自然でしょう。それはあなたも否定しないよね。」
P「今になって客観的な資料を見たり、刑事さんからいろいろ聞かれたりすると、そういう見方もあるのかもしれないとは思いますけど……。」
F警部補「これってね、甲社からあなたとNさんが参加してね、代理店のKさんまで加わってね、S医師に、世間一般で言う『接待』をしたことになるのは分かるよね。接待って、何のためにするの?」
P「S先生に気持ちよく付き合ってもらうため……。」
F警部補「だよねえ。ただ気持ちよくなってもらうんじゃないよねえ。それは、あなたの会社のビジネスがうまくいくようにだよね。それは否定できないよねえ。」
P「そうですね。」
F警部補「じゃあ、こういうことですよね。会社としてはステントを採用してもらいたい。そのために、KさんとNさん、それからあなたも一緒になって寿司店でS先生を接待した。そういう理解でいいですね。」
P「そう……なんですかね。」
F警部補「そしたら、調書を作成するからね。あなたの言ってないことは入れないように気を付けるから、確認してね。」

Pによる警察とのやり取り・プレイバック

Pはここまで振り返ったところで、M弁護士に言いました。
P「先生、調書を読んでいて思ったんです。書いてある事実は、ほとんど間違っていないんです。でも、読んでいくと、まるで僕が『あの寿司は僕とN係長とKさんが一緒になってS先生を接待していたものだ』『ステントを採用してほしいという趣旨でこの会食が開かれた』と、当時から考えていたことになっているんです。」
M「そこです。」
Mは机の上にメモを置きました。
M「Pさんが話した事実は、『半年前に会食があった』ということや、ステントの客観的な採用状況です。また、『営業として採用してほしい』という期待も、営業担当者としての一般的な気持ちを話したにすぎません。」
P「そうです。」
M「一方、調書では、『その会食が採用を期待した便宜供与だったと認識していた』『甲社と乙社が一体となってS医師を接待した』という評価が、あたかもPさん自身の認識であったかのように書かれています。」
Q「でも、その評価って、別にPさんが話したものではないですよね。」
P「そうなんです。何かおかしいなと思ったんです。だから、『サインは少し待ってください』と言いました。」
M「それで正解です。」
P「よかった……勇気が要りましたよ。F刑事、『せっかくお前の言ったことだけをまとめたのに』なんて言ってくるから、悪いことをしているような気がして……。」
Q「先生、Pさんの言った事実は録取されていますし、嘘が書かれていたわけではありませんよね。何が問題なのですか。」
M「問題は二つあります。一つは、その事実から導いた『評価』まで、Pさん自身の供述として調書にまとめようとしたことです。」
Q「もう一つは……?」

M「後から考えて分かったことまで、あたかも行為当時から認識していたかのように書かれていた点です。」
Q「認識した時点がそんなに重要なのですか。」
M「はい。刑事事件では、『後からそう思った』ことと、『その行為をした時にそう思っていた』ことは、全く意味が違います。犯罪が成立するためには、犯罪事実に当たる事情を、原則としてその行為の時点で認識していたこと、つまり『故意』が必要になります。」
Q「故意、ですか…?」
M「そうです。ですから、本当にPさんが会食当時、そのような認識を持っていなかったのであれば、本件では贈賄の故意を欠き、犯罪の成立自体が疑わしくなる可能性があります。」
Q「そんなに命運が変わってしまうんですか。」
M「そうなんです。供述調書で確認しなければならないのは、『客観的事実が正しく書かれているか』だけではありません。『その評価まで、本当に自分が話した内容なのか。』を確認する必要があります。」
Q「認識と評価は違うんですね。」
M「違います。先日、Qさんの初動ヒアリングで私が申し上げたことを覚えていますよね。あれとパラレルに考えてください。」
Q「あ、そうですね。評価を聞いてしまったから、事実が十分聞き取れなかった*ってやつでしたよね。」
*(調査結果を踏まえて、会社の立ち位置を決めよ――見通しのきく企業防衛⑨|#039 参照)
M「そのとおりです。それに加えて、そして、その認識が、『後から分かったこと』ではなく、『その当時、本当に分かっていたこと』として書かれていないか。そこまで確認して、初めて安心してサインできるのです。」


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