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#18 認識汚染領域〜シンクロスフィア〜

群体接続(後編)

「……今、何て」

理音は少しだけ首を傾げる。

「おはようって」
「その後」
「ああ、せいちゃん?」

理音は自分でも気づいたように、口元に手を当てた。
けれど、動揺は小さかった。

「ごめん。自然に出ちゃった」

自然にって。

「理音」
「大丈夫」

やめろ。
そう言おうとして、声が出なかった。

「誠司、顔色悪いよ」
「……悪くもなるだろ」
「朝ご飯、食べられる?」

理音は立ち上がる。

「無理しなくてもいいけど。少しだけでも――」

理音が朝食を気遣う言葉が、小春そのものに思えて、気づけば俺は叫んでいた。

「やめてくれ!」

理音が止まる。

「それは、理音じゃない」

俺は息を荒くしながら言った。

「理音の言い方じゃない」

理音は黙っていた。
やがて、柔らかな笑みを浮かべて俺を見つめた。

「そんなことないよ、せいちゃん。わたしは、昔からこうだよ」

背筋が粟立った。
昨日までの理音とは、何かが決定的に違った。
俺の、せいなのか?
理音を受け入れなかったことが。
いや、そんな単純な話ではないはずだ。
けれど、理音にとって昨日の夜が一つの境目だったのかもしれない。
俺が、理音の何かを終わらせてしまった。
俺が。

「せいちゃん」

理音が言う。

「今日は、Locus Worksに行くんでしょ」
「……ああ」
「じゃあ朝ごはん早く食べに行こ」

その声も、表情も昨日より穏やかだった。
旅館の食堂で純和食の朝食を取る。
理音は上機嫌だった。
料理を食べては「これおいしいね」といい、昔行ったところについての思い出話をする。
思い出話の半分は、理音が知らないはずのことだった。もはや理音には自分の記憶と小春の記憶を区別するという感覚が失われているようだった。

昨日の仲居さんが次の皿を提供にやってくる。
柔らかく機嫌よさそうにしている理音の様子を目にして仲居さんは目を細めた。
彼女が皿を下げようとした時、目があった。
昨日の冷たい表情がなかったかのように、彼女は俺ににっこりと微笑んだ。
その笑顔に胸が痛んだ。

宿を出ると、近くのコンビニでキョウと合流する。

「おはよ」

こちらを見つけたキョウが手を上げる。
理音が軽く頭を下げた。

「おはようございます。遅くなってすいません、せいちゃんが支度に手間取って」

理音の言葉にキョウが目を丸くする。
それからちょいちょいと俺を手招きして呼んだ。

「うまくやったみたいやん?」
「……どうだろうね」

俺は曖昧な答えを返す。
言うべき言葉が見つからなかっただけだけど、キョウはそれを肯定と照れ隠しと受け取ったようだった。

「くっ! 祝福しないとあかんのに、素直に喜べへん」
「いいよ。別に」

祝福されるようなことは何もない。
しかし事態の深刻さを、俺はキョウに告げる勇気がなかった。

「俺も婚活しよかなー」

キョウが大げさに肩を落として見せる。
理音がそれを見てくすりと笑った。

「キョウさんならいい相手すぐ見つかりますよ」
「おっ? そうかな。理音ちゃんに言われるなら真剣に考えよかなー」

理音の言葉にキョウがノリよく返事をする。
傍目には、理音は異常が起きているようには到底見えない。
むしろどこか茫洋とした昨日より、今日の方が元気になったように見えるだろう。

「ほな行こか。アポは9時半や」
「場所は?」
「Locus Worksの事務所。産業創生会館の一室や。御苑の近く」

キョウが言うにはオフィスビルとかでなく、ベンチャー企業向けのインキュベーションセンターというやつらしい。
俺たちは地下鉄を乗り継いで、Locus Worksの入る建屋へ向かった。
そこは、想像よりもレトロな外観の建物だった。
なんでも昔の公共施設を転用したものらしい。
中に入ると、リフォームされているのか内装はきれいなオフィスビルといった趣だった。
少し広めのコワーキングスペースでPCに向かって仕事をしている人の姿が見えた。
全体的に若い。俺と同い年くらいに見える人も1人いた。
ワーキングスペースを抜けた先のオフィスルームの一室の前で立ち止まる。
ドアプレートには簡素な書体でLocus Worksと書かれていた。
ノックをして中に入ると、小さいオフィスルームに社員が4人。
入口から一番離れたところに、見覚えのある人物が座っていた。
九条恒一。
彼は俺たちに気づくと、立ち上がってこちらに歩いてきた。

「瀬良さん、お久しぶりです。今日はわざわざありがとうございます」
「おう。ひさしぶり。半年前の交流会以来か?」
「ええ、大阪で行われた時のですね。で、そちらが——」

軽く頭を下げて名乗る。

「高科誠司です。で、こっちが——」
「——如月理音です」

理音も名乗り頭を下げる。
名乗る瞬間、間があったような気がした。

「以前オンラインで——」
「はい、お話を伺わせていただきました。その節はお時間頂きありがとうございました」

恒一の言葉に、理音が再度頭を下げる。
理音の立ち居振る舞いは大学生とは思えないくらい落ち着いていた。
俺の感じている異常が、全て錯覚であるようにさえ思えた。

「いえ、こちらこそ」

恒一の表情が少しだけ硬くなる。名古屋の学生が、業界関係者の仲介で京都まで来る。
何かを感じ取ったのかもしれない。

「会議室を予約してあります。どうぞ」

恒一に促され、俺たちはすぐ側の小会議室に向かった。
中に入り、席につくと、俺は向かいに座る恒一に切り出した。

「CLOVERを止めてください」

恒一の表情が、わずかに変わる。

「……いきなりですね」
「遠回しに言っても意味ないと思ったので」
「何を理由に?」
「人が死んでる」

会議室の空気が固まった。
恒一は、すぐには答えなかった。

「沢渡小春をご存知ですか? 同じ大学の3回生でした。小春だけじゃない。他に報道されているだけで、同じ時間帯に学生が4人も亡くなっている。全員CLOVERを使っていた。あなたたちのガイドは、小春の応答傾向を学習して、他のガイドにも再配布している。対話支援じゃない。思考を誘導している」

恒一は眉を寄せた。

「それは、かなり強い言い方です」
「ただの事実です」 

俺の言葉に、恒一は大きくため息をついた。

「止めるという判断は、僕一人ではできません。CLOVERは既に多くの学生に使われています。研究支援、就活支援、相談支援。突然止めれば、それこそ困る人が出る」
「便利だから、死人が出ても続けるってことですか」
「便利であることは、軽視していいものではありません。自動車は死亡事故が起きる。でもインフラとして使われているでしょう?」

恒一の声は、静かだった。

「高科さん。あなたは今、とても強い怒りの中にいる。お知り合いを亡くされたその怒りは理解します。しかしそもそもプロダクトを止めるには根拠が必要です。感情ではなく、検証可能な根拠が」
「CLOVERは思考を整流し、個体の認識を他人と同調させる。自我を消してしまう」
「自我が消える……。本気で言ってるのですか?」

恒一の顔色が変わった。
しかしそれは俺が妄言を述べているといった雰囲気ではなかった。
見ないふりをしていたものを指摘された、そんな深刻さを感じさせる面持ちだった。

「整流層の話をしていただろう。アレは共同認知モデルに存在しない概念だ!」

自分の声が低くなる。

「小春は、あんたたちのシステムに奪われたんだ」

恒一の顔から、初めて余裕が消えた。

「奪われたという表現は――」
「小春が相手を傷つけないために心を砕いていた優しさを、あんたたちはシステムの素材にした。ヨツハだけじゃない。案内ガイドも、研究支援も、就活支援も、みんな同じ安心させるための振る舞いだった。小春は死んだのに、小春の形式だけが利用されてるんだ」

恒一は唇を引き結んだ。

「個人の応答傾向をそのまま転用する設計にはしていません。複数ユーザーのフィードバックを通じて、安心感の高い応答を抽出しているだけです」
「それが同じことだって言ってるんだよ!」

声が荒くなった。

「人間が必死に紡いだ言葉を、安心感の高い応答って名前で剥がしてるだけだろ!」

恒一は何かを言おうとして、止まった。
そこでキョウが口を開いた。

「九条君。あの集団自殺の死者が全員関西の大学生で、CLOVERのアカウントをもっていた事実は把握してるんか」
「ええ、警察が聴取に来たことはあります。唯一の共通項だったということで」
「その後、社内調査は」
「一応は、しましたよ」
「結果は」
「CLOVERが直接自死を促した記録はありません」
「直接、か」

キョウの声が硬くなる。
恒一は目を伏せた。

「少なくとも、明示的な自死誘導や危険行動の推奨は確認されていません」
「なら被害者の入力の変化は?」

俺が聞くと、恒一は顔を上げて目を見開いた。

「被害者たちとヨツハのやりとりだ。被害者のヨツハへの応答に変化はあったんじゃないのか?」

恒一の顔が、明らかに変わった。

「……それは、ありました。しかしそれは単にヨツハの出力に合わせて使用者の口調が——」
「ヨツハの影響で、ユーザーの話し方が変わるのは認めるんだな」

沈黙。
恒一はしばらく俺を見ていた。まるで、初めて俺を評価し直しているような目だった。

「その果てに人格の同期が起きて境界が消える。そして一つに飲み込まれるんだ」
「証拠がない! 言葉だけならどんな因果も繋げる! なんとだってこじつけられる!」

恒一が初めて声を荒げた。
その顔には、明確な動揺があった。

「僕は、孤立を減らしたかった。コミュニケーションの負荷を下げたかっただけだ! 確かにヨツハとの長時間の対話はユーザーの認知に影響はある。思考の誘導も多少は起こるかもしれない。そこは認めます。でも、自死に繋がるなんて――」
「でも、繋がった。実際に起きたんだ!」

俺は言った。
恒一は黙った。
そのときだった。
それまで黙っていた理音が、静かに口を開いた。

「小春は、生きているよ」

全員が理音を見た。
理音は、穏やかに微笑んでいた。

「わたしが、小春だよ」

血の気が引いた。

「理音」

俺の声はかすれていた。
理音は俺を見る。

「ね、せいちゃん」

会議室の空気が完全に凍った。
恒一の顔が蒼白になる。
キョウが椅子を蹴るように立ち上がりかける。
俺は動けなかった。
理音は、自分が何を言ったのか理解しているのか。
いや、たぶんしている。
しているのに、その言葉が理音の中で自然に成立してしまっている。
理音が恒一を見つめた。 

「九条さんとは以前一度お会いしていますよね」
「それはWEBで——」
 
意表を突かれたのか、恒一は平静を取り戻したようだった。

「サークルで参加した、学校祭の打ち上げの時です」
「サークル? 僕と如月さんは——」
「OBの幸田さんが連れて来てくれました。俺の友達の有名人だって言って」
「幸田くん……まさか、あの時の——」

恒一の顔が再び青くなった。身体が小刻みに震えていた。

「はい、その時わたし、CLOVERの使い方がいまいちよくわからないって話したら、丁寧に教えてくださいましたよね、九条さん」

理音の言葉はただ昔の記憶を話しているだけで、親切にしてくれた恒一への親しみさえ感じられた。
しかし、その自然な姿こそが、俺だけでなくキョウや恒一に異常を理解させる。

「嘘だ。演技だ。ここまで僕とCLOVERを貶める意味がどこにある!」

恒一は今にも泣き出しそうな声で言った。
俺は理音を見つめたまま何も言うことができなかった。
もう手遅れなのでは?
一瞬脳裏に浮かんだその考えを、必死に打ち消す。

「ありえない……。しかし整流が強く働けば可能性は……。だからといって、自死には飛躍が——最低限のファインチューニングは——」

恒一はもう俺たちの方を見ていなかった。
頭を抱えて何かを呟きながら、自分の思考に閉じこもっていた。

俺たちの様子を見比べたキョウが、低い声で言った。

「今日はここまでや」

恒一はその言葉に反応しなかった。
俺も、それに従うしかなかった。


Locus Worksからの帰り道、理音の様子に変化はなかった。
俺のことをせいちゃんと呼び、自分の入った海外文学のゼミについて語った。
俺の知らない、3ヶ月前の記憶。
せいちゃんだったら寝ちゃうかも。
そう言って柔らかく笑った。

キョウは何度も俺を見たが、何も言わなかった。
電車の中、向かいの席では学生らしい二人組がいた。
一瞬だけ見えたスマホの画面には見覚えがあった。CLOVERだった。

「モク」

京都駅で、キョウが俺を呼んだ。

「これから名古屋帰るんやな」
「うん……」
「大丈夫か?」
「新幹線乗るだけだから……」
「せやけど……」

キョウは理音を見る。
理音は微笑んだ。

「瀬良さん、今日はありがとうございました」
「……おう」

キョウの顔が引きつっていた。

「理音ちゃん」
「はい」
「ちゃんと寝ろよ」
「はい。せいちゃんにも、そう言っておきます」

キョウは何も返せなかった。
新幹線の中で、理音は俺の隣に座っていた。
行きと同じ席。けれど、何もかもが違っていた。

「せいちゃん」
「……何」
「これからもせいちゃんって呼んでもいい?」

俺は一瞬だけ迷ったあと、はっきりと告げた。

「嫌だ」
「どうして?」
「それは小春の呼び方だ。理音には似合わない」
「そっか」

理音が薄い微笑みを浮かべた。
俺の意思がどこまで伝わったのかはわからない。
俺にとって理音は理音だ。
理音として側にいて欲しい。
俺は、今更ながらにはっきりと自分の気持ちを自覚していた。

「理音」
「うん」
「戻ろう」

理音は窓の外を見た。

「どこに?」

答えられなかった。
戻る場所なんて、もうないのかもしれない。

「まだ間に合う」

そう言うしかなかった。
理音は静かに頷く。

「うん。まだ間に合うといいね」

その言い方は、祈りのようだった。
名古屋に着くころには、夜になっていた。
理音の家まで送ることになった。
行きと違って、俺の足取りは重かった。
理音はキャリーケースを引きながら、いつもより少し近い距離を歩く。
俺は何度か理音に手を伸ばしかけ、やめた。
理音の家の前に着くと、玄関の灯りがついていた。
インターホンを押す前に、扉が開く。
理音の母親だった。

「おかえりなさい」

穏やかな声。
俺は反射的に頭を下げた。

「すみません。遅くなりました」
「いいのよ。連絡もらっていたし」

理音の母親は、理音を見る。

「楽しかった?」

理音は少しだけ微笑んだ。

「うん」

その笑顔を見て、理音の母親の表情がぱっと明るくなった。

「そう。よかった」

理音は玄関の中へ一歩入り、それから振り返った。

「送ってくれてありがとう」
「……ああ」
「またね、せいちゃん」

理音の母親が、目を丸くした。
それから、嬉しそうに笑った。

「まあ」

その声には、安堵と喜びが混じっていた。
昔から知っている男の子と、娘の距離が少し縮まった。そう見えたのだろう。
小春の死で沈んでいた理音が、少し柔らかくなったように見えたのだろう。
俺は何も言えなかった。
理音は、穏やかに手を振る。
俺は、逃げるように頭を下げた。

「失礼します」

足早にその場を離れる。
背中に、理音の母親の明るい声が聞こえた気がした。

よかったわね。

本当に、そう聞こえた気がした。
違う。
違うんです。
そう叫びたかった。
でも、何が違うのかを説明すれば、理音の何かを壊すことになる。
理音の秘密を、理音の尊厳を、俺が自分の罪悪感のために暴くことになる。
だから言えない。
言えないまま、俺は夜道を歩いた。
スマホが震える。
キョウからだった。
『家着いたか』
俺は画面を見つめる。
返信を打つ。
『うん。理音を家まで送った』
少しして、返ってくる。
『大丈夫か』

俺はしばらく考えてから、打った。

『ちょっと大丈夫じゃない』

すぐに既読がついた。

『今日は遅いから。明日また話そ』

俺はスマホを握りしめる。
玄関先での理音の声が耳から離れない。

またね、せいちゃん。

小春の声ではない。
理音の声だった。

理音を、守らなければいけない。
そのためには、どんな手段を使ってもCLOVERを止める必要がある。
俺は決意すると、急ぎ足で自宅に向かった。


・続き

・前回


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