謙虚さが組織を殺す――あの人の考えたシステムがすごいのではない。あの人がすごかっただけの話
「このやり方を共有すれば、誰でも再現できます」
組織でよく聞く言葉だ。成功した部署の手法を横展開する。優秀なマネージャーのノウハウを標準化する。一見、正しい。むしろ健全に見える。
だが、ここに大きな落とし穴がある。その成功は本当にシステムの成果だったのか。それとも、その人が異常に優秀だっただけなのか。
この判定を誤ると、組織は静かに死ぬ。
しかも厄介なのは、属人化を生むのが傲慢な天才だけではないことだ。
本当に危険なのは、謙虚な天才である。
「自分がすごいのではありません。この仕組みがすごいんです」
そう本人が本気で言った瞬間、組織は信じてしまう。
天才の処理能力を前提にしたものを、再現可能なシステムだと勘違いする。
その最大級の歴史的事例が、ナポレオンだと思う。
ナポレオンの軍団制は、本当に「システム」だったのか
ナポレオン軍の強さを説明するとき、よく出てくるのが軍団制だ。複数の軍団を独立して行動可能な単位として編成し、広く展開させ、必要な地点に素早く集中する。言葉にすると合理的だし、実際に驚異的な速度を持った。
だが、忘れてはいけないことがある。
軍団制というシステムが存在したことと、そのシステムをナポレオンの速度で運用できることは、まったく別の話だ。
当時の通信手段は伝令のみ。それでもナポレオンは複数の軍団を動かし、敵の意図を読み、戦場全体をひとつの流れとして扱った。
教科書に残るのは手順だけだ。その手順を動かしていた人間の異常な計算速度は、教科書には書けない。
後世の将軍たちはナポレオンを学んだ。しかし誰も再現できなかった。学んだのは「ナポレオンがやったこと」であって、「なぜその瞬間にその判断ができたのか」ではなかったからだ。
本当に危険なのは、傲慢な天才ではない
傲慢な天才は、まだわかりやすい。「俺にしかできない」と言ってくれれば、組織も警戒できる。
しかし謙虚な天才は違う。「誰でもできます」と本気で言う。
周囲は安心する。これは再現できると信じる。
ここが危ない。
本人が謙虚であればあるほど、組織はその成功をシステムの成果だと誤解する。
成功した人のやり方を観察すると、手順は見える。
だが本当に成果を生んでいたのはそこではないかもしれない。
会議前の空気で地雷を察知していたかもしれない。
資料の一文から相手の本音を読んでいたかもしれない。そういう処理はマニュアルには残らない。
本人も、それを特殊技能だと思っていない場合がある。普通にやっているだけだからだ。
「あの人がいるから回っている」は、成功している間は見えない
本当に怖い属人化は、成功している時に発生する。
「あの人がいるから何とかなる」「今回もあの人が調整してくれた」。
これが続くと組織は勘違いする。
機能している、だから問題ない、と。
しかし実際には、特定の人間が壊れかけた部分を毎回手で支えているだけかもしれない。
その人がいる限り結果は出る。
疑う人間は「うまくいっているものに文句を言う人」になる。
そしてその人が抜けた瞬間に初めてわかる。あれはシステムではなかった。人間だった。
「誰でもできます」と言う人ほど、疑った方がいい
本当に確認すべきなのは、その人がいなくても回るか。平均的な人間でも再現できるか。暗黙知が抜けても成立するか。例外処理を誰が拾っているのか。
優秀な人ほど、自分の無意識の処理を過小評価する。
だから「普通にやればできます」と本気で言う。
だが、その普通が普通ではない。
謙虚さは美徳だ。
しかし組織設計においては、謙虚さが危険になることがある。
謙虚な人間は、自分の能力をシステムの成果として説明してしまうからだ。後継者には仕組みだけが渡される。だが仕組みだけでは動かない。
結論
天才の仕事を標準化するとき、最初に見るべきなのは手順ではない。
その人が無意識に補っているものだ。
どの判断を省略しているのか。
どの違和感を拾っているのか。
どの例外処理を一人で抱えているのか。
そこを見ないまま手順だけを抽出すると、組織は属人化を解消したつもりで、属人化の抜け殻を量産する。
本当に危険な属人化は、「俺にしかできない」と叫ぶ天才から生まれるのではない。「これは誰でもできます」と本気で言う謙虚な天才から生まれる。
あの人の考えたシステムがすごかったのではない。あの人がすごかっただけの話だったのだ。
