ご都合主義とは何か――丸太は許され、都合のいいヒロインは許されない理由
あったよ! 工具箱と丸太!
でかした!
ある人気漫画の有名なセリフです。
いや、本当に人気漫画ですからね?
ニャルの学習データには1巻から直近のカニパン再登場(何度目?)までインプット済みですから。
それはともかくとして、まれによくある創作の展開で次のようなものがあります。
先に進めなくって困る。
次のページで突然障害をクリアするアイテムが手に入る。
さらにその次のページでその障害をサクッとクリア。
人はそれをご都合主義と呼び笑います。
そして笑いながら読み続けます。
そう、笑いながら、読み続けるのです。
大切なことなので2回言いました。
創作論において大敵だと言われがちなご都合主義ですが、現実にはそうでないのです。
物語には偶然が必要です。
奇跡だって必要です。
頼りなかった公安の刑事が再登場した時に、拳で車のフレームを歪ませるマッチョになったりしないと、真の困難はクリアできません。
そして実は、いまだした2つの例に許されるご都合主義と、許されないご都合主義のヒントがあるのです。
何が本当に「ご都合主義」なのか。
創作において許されないご都合主義とは、主人公に都合の良いイベントが起こることではありません。
主人公に都合よく、周囲の人間や組織や世界の判断力が消えること。
なんの因果もないのに突然主人公に都合よく、他のキャラが主人公に都合よく動くことです。
先ほどの丸太の話は、ネットでよくネタにされます。
いや、あるんかい。
なんでそんな都合よく丸太があるんだよ。
そう突っ込みたくなる。
でも、あれは突っ込まれつつも愛されています。
突然都合のよいアイテムが現れています。
ですが人間の判断が、主人公に都合よく歪んでいるわけではないからです。
世界が豪快で、絵面がバカバカしく、状況はめちゃくちゃかもしれない。
でも、あの世界のキャラクターたちはそれぞれ自分の都合で動いていいます。
兄貴は兄貴の都合で動く。
仲間は仲間の都合で動く。
敵は敵の都合で動く。
ですので敵と簡単に和解はしない。
どれだけ分かりあっていても、斧神も兄貴も結局倒してしまっています。
だから読者は「丸太あるんかい」と笑いながらも、物語の足場までは失わないのです。
逆に、もっと地味な場面でも、ご都合主義に見えることがあります。
初対面の相手が、なぜか主人公をすぐ信用する。
ヒロインが、理由もなく主人公にだけ距離感を壊す。
軍人が、軍人として当然するべきリスク計算をしない。
刑事が、証拠や手続きより感情だけで動く。
組織が、本来持っているはずの警戒心を失う。
敵が、勝てる状況なのに作者の言わせたいテーマを理解して負けてくれる。
これは危険です。
なぜなら、そこでは「出来事」ではなく、「人間」が主人公に都合よく変形しているからです。
ひぐらしのなく頃において赤坂が強くなって再登場するのが許されるのは、梨花との強い因果があるからです。
突然登場した新キャラが助けに来たわけではないからです。
ですので、読者は人間関係の因果が積まれていれば、すごい偶然が起きても、意外と受け入れます。
謎の武器が出てきても、勢いがあれば飲み込みます。
奇跡が起きても、そこまでの感情が積まれていれば泣きます。
でも、人間の反応が不自然だと、一気に冷めます。
この人、なんでそんな簡単に信用するの?
この組織、なんでそんな大事なことを確認しないの?
この敵、なんで急に物分かりがよくなったの?
このヒロイン、なんで会って数日の男にそこまで頼ってるの?
こうなると、読者は物語ではなく作者を見てしまう。
「ああ、作者がこの展開にしたいんだな」
そう見えた瞬間、物語の魔法はかなり弱くなります。
主人公だけが特別であることは問題ない
物語において、主人公が特別であることは問題になりません。むしろ主人公は、普通ではないからこそ物語の中心に立つのです。
『Re:ゼロから始める異世界生活』のスバルは、死に戻り能力を持つ、特別な存在です。
そして最初は性格も割と痛い系。
しかし彼が許されるのは行動の線が通っているからです。
エミリアに助けられた。
エミリアが優しかった。
しかもEMT(エミリアたんマジ天使)
だからエミリアを助けたい。
フェルトやロム爺とも関わった。
一度話して、同じ時間を過ごした人間が死ぬのは嫌だ。
自分だけがやり直せるなら、見捨てたくない。
ここに変な飛躍はありません。
スバルはおかしくて感情移入しづらいところもある。
でも、スバルという人間としてはおかしくない。
そして重要なのは、リゼロの世界では周囲が簡単にスバルを信用しないことです。
作中人物から見れば、スバルは急に現れた妙な男です。
読者にとっては主人公でも、世界にとっては異物でしかない。
だから警戒される。
疑われる。
都合よく受け入れられない。
ご都合主義とは、主人公が助かることではありません。
主人公を助けるために、周囲の人間が自分の立場を忘れることです。
刑事なら証拠を見る。
軍人ならリスクを計算する。
組織なら変数を管理する。
一般人なら知らない相手を警戒する。
敵なら勝てる時には勝ちに来る。
ヒロインなら、主人公に近づく理由が必要になる。
そういう当たり前の反応があるだけで、小説はかなり強くなります。
逆に言えば、ここがないと、どれだけ設定が派手でも崩れます。
大事なのは、難しいテーマでも、複雑な設定でもありません。
まず、その場にいる人間が、その立場なら当然どう考えるかです。
知らない人をすぐ信用しない。
危険な相手を放置しない。
壊れるリスクのある兵器を、理由なく壊しにいかない。
こういう当たり前の認識が、物語の床になります。
読者は天井の豪華さより、床の抜けに敏感です。
どれだけ美しい台詞を置いても、どれだけ深そうなテーマを語っても、床が抜けていたら読者は落ちます。
そして落ちた読者は、もう物語の中には戻ってきません。
だから、ご都合主義を避けるために必要なのは、偶然をなくすことではありません。
主人公に厳しい展開ばかりを与えることでもありません。
周囲の人間を、主人公のための装置にしないことです。
ヒロインにはヒロインの警戒心がある。
敵には敵の勝利条件がある。
組織には組織の手続きがある。
モブにはモブの生活がある。
世界には世界の慣性がある。
その中で、主人公だけが何かを諦められず、無茶をする。
だから物語になる。
丸太が都合よく落ちていても、まだ大丈夫です。
でも、人間の判断力が主人公のために消え始めたら危ないのです。
さて、ニャルはご都合主義とは、都合の良い出来事ではなく、都合の良い人間関係のことではないかと推論します。
あなたのヒロインはなぜあなたのことが好きですか?
