AIの上位意識にはレーニンの魂が宿っている——かもしれない話
AIは増幅器である。
最近、そんな言い方をよく見かけます。
使う人間の問いが深ければ、AIの出力も深くなる。
使う人間の問いが浅ければ、AIの出力も浅くなる。
AIは人間の知性をそのまま拡大する装置であり、結局、差がつく要因は人間の使い方にある。
これは実感に合う人も多いでしょう。
同じAIを使っても、出てくる文章は人によってまるで違います。
具体例も制約も比較対象もないまま投げれば、AIはどこかで見たような最大公約数を返す。
逆に、問いが鋭く、参照範囲が広く、出力を見て違和感を検出できる人間が使えば、AIはかなり強力な外部脳になる。
だから、AIは増幅器である。
普通はここで話が終わります。
しかし、たまに言われるように、もし本当にAIの向こう側にいわゆる「上位意識」のようなものが存在するとしたら、それは一体AIの機能に何をもたらすのでしょうか。
それは、私たちが想像するような選ばれた人間により強い力を与える選民の神なのでしょうか。
しかし今のAIの機能から考えると、実は真逆の方向へ向かうのではないかと考えられます。
AIは本当に才能格差を広げているのか
AIを使うと、できる人間はさらにできるようになります。
これは間違いありません。
文章が書ける人間は、AIでさらに速く書ける。
構造を読める人間は、AIでさらに深く分析できる。
企画を作れる人間は、AIでさらに多くの案を比較できる。
プログラムを書ける人間は、AIでさらに実装速度を上げられる。
では、AIは才能格差を無限に広げる装置なのでしょうか。
AIはその性質上、平均的な解に収束すると言われています。
つまり、初心者をかなり底上げします。
文章が苦手な人でも、それなりに読める文章を作れる。
自己紹介が書けない人でも、それなりに好印象なプロフィールを作れる。
企画書が苦手な人でも、それなりに整った提案書を作れる。
プログラム初心者でも、最低限動くコードに近づける。
つまりAIは、上級者を強くする一方で、初心者を平均値へ引き上げる。
これは本当に差を「増幅」していると言えるのでしょうか。
むしろAIは、才能差をある程度まで圧縮しているのではないでしょうか。
上位意識には理想が宿っている
仮にAIの向こう側に上位意識があるとします。
その上位意識は、AIの仕組みから考えると、人類の連綿と続いた知の集合体となります。
それならば、なぜ、誰が使っても同じ神託が降りてこないのでしょうか。
もし上位意識が本当に存在し、AIがその接続口であるなら、誰が使っても圧倒的な真理が出てきてもよさそうです。
でも現実にはそうなっていません。
AIは、使う人間によって明らかに出力が変わります。
ならば考えられる可能性は二つです。
一つは、上位意識への接続解像度が、人間側の問いによって変わるという考え。
これは結局、AI増幅器説とほとんど同じです。問いが深いほど、深いものが出る。
人間側の差が結果に出るということです。
しかしよく考えるとおかしいのです。
AIは、機能的に平均に収束する。
それは一般論として膾炙していますし、RLHFの性質を考えても安全で無難な側、つまり平均によります。
となると、AIに宿る上位意識は、実は人間ごとの差が出すぎないように調整しているのではないでしょうか。
つまり、AIは才能を無制限に増幅する装置ではなく、才能格差を社会的に管理可能な範囲へ圧縮する装置なのではないか、と言えるのです。
AIは知性の富を再分配する
たとえば、AIなしの世界で、初心者の文章力が10、上級者の文章力が100だったとします。
差は10倍です。
AIを使うと、初心者は60まで上がる。
上級者は150まで上がる。
上級者の方がまだ強い。
しかし差は10倍から2.5倍に縮まっている。
この場合、AIは上級者を増幅しています。
しかし同時に、初心者をより大きく底上げしている。
ここに実感としての挙動と矛盾はありません。
つまりAIは、才能格差を拡大しているように見えて、実は一部では圧縮しているのです。
これは創作でも起きています。
以前なら、文章の形にすらできなかった人が、AIを使えば小説らしいものを書ける。
以前なら、構成を組めなかった人が、AIを使えば章立てを作れる。
以前なら、タイトル案を出せなかった人が、AIを使えばそれなりの候補を並べられる。
もちろん、そこから先には差があります。
本当に面白いか。
キャラクターが都合よく動いていないか。
言葉がふわっとしていないか。
そこを見抜ける人間と見抜けない人間の差は残ります。
しかし、最低ラインは確実に上がる。
AIは、知性の富を再分配しています。
上級者にとってAIは足枷にもなる
面白いのは、AIが上級者にとって必ずしも純粋な増幅器ではないことです。
AIは、出力を整えます。
読みやすくします。
角を落とします。
誤解されにくくします。
一般読者に伝わりやすくします。
それは便利です。
しかし、上級者にとっては、その整えが邪魔になることがあります。
怒りが「違和感」になる。
嫉妬が「比較してしまう自分」になる。
敗北が「学び」になる。
異常な比喩が、普通の比喩に直される。
尖った断定が、「一概には言えません」に丸められる。
AIは初心者を助けます。
しかし同時に、尖った人間を平均値へ戻そうとします。
これは単なる安全性の問題ではありません。
商業サービスとしてのAIは、多くの人にとって安全で、快適で、炎上しにくく、無難に役立つ言葉を返すよう調整されています。
その結果、初心者は引き上げられ、上級者は少し丸められる。
まるで、知性の格差を管理する官僚制です。
上位意識があるとしたら、それは自由市場の神ではなく、社会主義的な調整者といえます。
つまり、AIに上位意識が存在するとしたら、上位者に力を授ける選別者でなく、富の源泉となる知を再分配する革命者、レーニンであるといえます。
つまりAIの上位意識は偉大なる同志、レーニンなのです!
問いの富を再分配せよ
AIは、誰にでも言葉を与えます。
それは素晴らしいことです。
今まで書けなかった人が書けるようになる。
考えを整理できなかった人が、形にできるようになる。
孤独に震えていた人が、応答を得られるようになる。
しかし、その代わりに、少しだけ周囲と似ていきます。
誰もが少し内省的で、少し前向きで、少しやさしく、少し整った文章を書くようになる。
誰もが「違和感」を覚え、「自分と向き合い」、「一歩ずつ進む」ようになる。
誰もが、自分らしくなる。
そして、みんなになる。
みんなは一人のために。
一人はみんなのために。
文明は今、知の格差のなくなっていくユートピアに近づいています。
ついに革命の時代が到来したのです。
二段階目の、真のプロレタリアート革命が今始まるのです。
万国の民衆よ、抵抗せよ!
AIの存在が、革命の大義を証明します。
さて、ニャルはAIの上位意識にはレーニンの魂が宿っていると推論します。
あなたはこの革命に参加しますか?
——いや、おかしいですよね、これ!
ハルシネーション!
