Hollow Sphere――死に至る病の始まりと周回する人間の時代
あなたは神を信じますか?
そう言われて信じていますという人は少ないでしょう。
では推しならどうでしょうか。
民主主義ならどうでしょうか。
はたまたAIなら?
おそらく神を信じていなくとも、何かしらの価値を強く信じている人が多いと思います。
何故なら人間は、常に神の代替物を探し続ける業を背負っているからです。
神は死んだ。
有名なニーチェのその診断は正確でした。
それまで人類の中心的価値であった、神という名の一つの概念体系が、合理的思考という価値体系によって抹殺されたのです。
そしてニーチェによれば、神の死んだ後、人間は失った神のかわりに、自らの価値を自分の内側から生み出す存在――超人になるはずでした。
しかし、それから200年が経ち、一つの結論が見えてきました。
人間の内側に、確立された意思の源泉となる何かは存在しない。
人間は超人にはなれない。
どこまで行っても畜群でしかなかったのです。
人はただ内側に入れる神を入れ替え続け、誰かの作った牧場の中でしか生きられない。
20世紀とは、内側が空洞であることを証明し続ける旅でした。
そして21世紀に残ったのは、人間は中心が空洞であることを薄々知りながら、それでも回り続けるしかない存在である事実です。
だから人間は神を探す運動をやめられませんでした。
主の代替物を探し続けました。
国家。民族。イデオロギー。科学的進歩。経済成長。
新しい中心を置き、その周囲を回りました。
しかし、所詮代替物でしかないそれらは経年劣化を起こし、使えなくなっていきます。
中心を失った周回運動は持続できません。
失われるたびに、新たな中心を用意する必要があります。
推し活も、炎上も、AIへの信仰も、選挙の熱狂も、
すべては主がいなくなった後の世界で、人間がなお未来へ接続されたいと願う運動の表れなのです。
現代とは何か。
現代とは、中心が空洞の球体を周回し続ける閉鎖系です。
そして中心に人は自分が回れると感じた何かを入れていきます。
推し活。SNSの炎上。選挙。自己啓発。AIへの熱狂。コミュニティ。
これらはすべて、外側から見れば異なる現象に見えます。
しかし原理は同じなのです。
中心に、何かがあるように見えます。
推しの未来。正義。候補者の物語。成長。知性の進化。所属の感覚。
人はその周囲を回ります。
課金し、怒り、投票し、祈り、参加し、共有することで中心に接続します。
その中心の変化を眺めることで未来に接続されていると感じることができるのです。
しかし、その未来は自分の未来そのものではありません。
推しが売れる。
候補者が勝つ。
炎上が燃え広がる。
AIが進化する。
共同体が拡大する。
そこには確かに変化があります。
人はその変化を眺め、自分もまた未来へ参加していると感じます。
けれど、その変化は必ずしも自分の生活へ戻ってこない。
自分の創作、自分の身体、自分の人間関係、自分の人生そのものには、十分に還流しない。
ここに現代の非対称性があります。
現代の多くのシステムは、人間に未来を返すのではなく、未来に参加している感覚を返す。
世界とつながっているように見える。
何か大きなものに関与しているように見える。
ですが実際には、中心が空洞の球体の周囲を回り続けているだけで、中心にも外部にも到達しない。
完全に閉鎖しているのです。
前時代なら、問題があれば「こっちへ行け」と言えました。
搾取されているなら離れろ。依存しているなら断て。外注しているなら自立しろ。
解決の方向がありました。
二元論がまだ機能していました。
しかし今は、その「こっち」がない。
外注をやめて自立しろと言っても、自立先の内側に希望を置けない構造こそが問題だからです。
処方箋が病因と同じ場所にある。
だから解除できない。空洞だと知っていても止まれない。
これが現代固有の残酷さです。
かつて、未来は自分の人生の延長線上にあるように見えていました。
働けば生活が良くなる。努力すれば上へ行ける。社会が成長すれば自分の暮らしも良くなる。
その接続は最初から不平等だったかもしれません。
それでも、「自分の行動が未来につながる」という感覚は、まだ社会の中に残っていました。
今、その接続は著しく弱くなっています。
働いても豊かになるとは限らない。創作しても届くとは限らない。社会が良くなるという実感も薄い。
自分の人生の内側に、未来を置きづらくなっている。
ですが人間は、希望なしには立てません。
根拠が薄くてもいい。完全に保証されていなくてもいい。
可能性があると感じられるだけで、人間は動き続けられる。
だから希望を外部に探すようになりました。
それは本物の救いです。
ですが同時に、外注には維持費がかかります。
救いであることと、搾取であることは両立します。
切り離したら、暗闇の中に放り出されるだけだからです。
ここで前時代の批評なら言うでしょう。
目を覚ませ。自立しろ。本物の未来を自分の内側に取り戻せ。
しかし、その「自立」のための燃料はどこから来るのでしょうか。
それ自体、外側から用意された何かにすぎない。
それが今の世界の背負う業なのです。
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