カスタマーハラスメント対策の名のもとに、支援できない事業者が利用者を切り捨てる ― カスハラ義務化が障害福祉の現場にもたらす最悪のシナリオ
2026年2月14日付の福祉新聞に、「厚労省がカスハラ対策指針を策定 障害者の合理的配慮に留意求める」という記事が掲載されました。
改正労働施策総合推進法に基づき、2026年10月1日から、カスタマーハラスメント(以下「カスハラ」)対策が全ての事業主に義務付けられます。
厚生労働省はこのほど、具体的な対処方法を定めた指針をまとめました。
この指針では、障害者が求める合理的配慮を事業主がカスハラと受け止めないよう留意することが明示されています。
障害者差別解消法に基づく差別的取り扱いの禁止と、合理的配慮の提供義務を踏まえ、「建設的対話」により適切に対応する必要がある、としています。
この記事を読んで、障害福祉事業所を運営する立場として、率直に思うことを書いてみます。
カスハラ対策義務化の概要
まず、今回のカスハラ対策の全体像を整理します。
カスタマーハラスメントの定義
法律上、カスハラとは以下の3つの要素を全て満たすものとされています。
顧客、取引先、施設利用者その他の利害関係者が行う
社会通念上許容される範囲を超えた言動により
労働者の就業環境を害すること
具体的には、暴行、土下座の強要、性的要求、不当な損害賠償請求、SNSへの悪評投稿をほのめかす発言などが例示されています。
事業主に求められる措置
厚労省の指針では、事業主が講じるべき措置として、主に以下の内容が示されています。
事前の準備
事業主の方針の明確化と従業員への周知・啓発
相談対応体制の整備
対応方法・手順の策定
従業員への教育・研修
実際に発生した際の対応
事実関係の迅速な確認
従業員への配慮措置(1人で対応させない、管理監督者が代わるなど)
やり取りの録音・録画
犯罪に当たる場合の警察通報
再発防止に向けた措置など
これらの措置義務に違反した事業主は、助言、指導、勧告、さらには公表の対象となります。
障害福祉分野での議論
注目すべきは、2025年12月8日に開催された社会保障審議会障害者部会の合同会議での議論です。
厚労省はこの場で、障害福祉サービスの運営基準を見直し、事業者にカスハラ対策を義務付けることを提案しました。
しかし、委員からは慎重な声が相次ぎました。
ある委員は、
「少なくとも障害福祉の分野で、カスタマーハラスメントという言葉を使うのは時期尚早」と指摘し、
「障害者が長年尊厳を奪われてきた背景や、個々の障害特性に関わる行動への十分な配慮が必要」と訴えました。
また、別の委員は、
「カスハラ対策が行き過ぎて、安易にサービスの撤退や契約解除ができるような方向性は避けるべき」と念を押しています。
この審議会での議論は、まさに僕がこの記事で書きたいことと重なります。
障害福祉の現場で本当に心配していること
障害特性は「サービス利用の前提条件」である
僕が最も懸念しているのは、障害特性に起因する行動がカスハラとして扱われ、利用者の排除につながるリスクです。
統合失調症の陽性症状を考えてみてください。
幻覚や妄想に伴い、大声を出す、興奮する、職員に対して攻撃的な言動をとる。
これらは、本人の「意図」によるものではありません。
病気の症状です。
知的障害における易興奮性や衝動性もそうです。
感情のコントロールが難しく、突発的に物を投げたり、職員に手が出てしまうことがある。
これも障害特性によるものです。
そして、こうした障害特性があるからこそ、その方は障害福祉サービスを利用しているのです。
つまり、これらの行動は「サービス利用の前提条件」として、事業者が当然に想定しておくべきものです。
今回の指針では「合理的配慮」との関係に留意するよう記載されていますが、合理的配慮の範囲にとどまる話ではないと僕は考えています。
障害特性に起因する行動と、意図的なハラスメント行為は、根本的に性質が異なります。
この区別を現場で適切に行えるかどうかが、極めて重要な問題です。
「支援力不足」を棚に上げてはならない
もう一つ、強く懸念していることがあります。
カスハラ対策の義務化が、職員の支援力不足の免罪符になりかねないということです。
利用者が興奮状態になった、暴言があった、他害行為があった。
こうした場面で、まず問われるべきは「支援のあり方は適切だったか」ということです。
環境調整はできていたか、本人の状態の変化を見落としていなかったか、対応の仕方が本人を追い詰めていなかったか。
ところが、カスハラという概念が障害福祉の現場に導入されると、こうした振り返りが省略される危険性があります。
「あれはカスハラだった」と片付けてしまえば、支援の質を問い直す必要がなくなるからです。
さらに深刻なのは、カスハラを理由に本人の意に反して退去や退所、つまり契約の終了に至るケースが出てくる可能性です。
障害特性による行動を理由に利用者を追い出すことが、「カスハラ対策」という正当な装いのもとに行われてしまう。
これは、あってはならないことです。
行政に求めたいこと
だからこそ、行政には以下の点について十分な配慮をお願いしたい。
まず、障害特性に起因する行動を理由とした契約終了を防ぐための明確な仕組みを作ること。
カスハラの認定にあたって、障害特性との関連を慎重に判断するプロセスを義務付けるなど、安易な排除が起きない制度設計が必要です。
次に、カスハラ対策を理由としたサービス提供拒否や契約解除について、第三者が関与するチェック体制を設けること。
事業者の一方的な判断で利用者の行き場がなくなる事態は、絶対に避けなければなりません。
そして、職員の支援力向上のための研修や支援体制の充実に、カスハラ対策と同等以上の力を注ぐこと。
利用者の行動の背景を理解し、適切な対応ができる職員を育てることこそが、本質的な「対策」です。
職員を守ることと、利用者の権利を守ること。
この二つは、決して対立するものではありません。
カスハラ対策は、あくまで職員の就業環境を守るためのものです。
その趣旨は正しい。
しかし、障害福祉の現場では、一般の小売業やサービス業とは全く異なる文脈があります。
障害特性に起因する行動を「迷惑行為」として切り捨てるのではなく、支援の質を高めることで対応していく。
それが、障害福祉の専門性というものだと僕は思います。
10月の施行に向けて、行政には現場の実態を踏まえた丁寧な制度設計を、そして同じ障害福祉の事業者の皆さんには、この問題への関心を持っていただくことを願っています。
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