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違和感と怒りと、それでも考え続けるということ──教育について書くときの自分へ|教育論|思考|エッセイ|自己内省|学びの本質|知的探求|学校教育|受験教育|確証バイアス|

皆さん、こんにちは。
HSP×アンチ東大主義の、@おはようございますです。

今日は少し、これまで書いてきた内容とは違って、
「自分がどういう状態で書いているのか」について、正直に書いてみたいと思います。


■ 正直に言えば、僕には“怒り”がある

教育について書くとき、僕の中にはどうしても

  • 学校教育への違和感

  • 受験システムへの疑問

  • 形式的な学びへの不満

そういった感情が湧いてきます。

これは綺麗ごとではなく、

過去に翻弄されたという感覚から来ているもの

だと思います。


■ 書きながら、どこかで不安になる

ただ同時に、こうも感じています。

  • これは書きすぎではないか

  • 感情に引っ張られていないか

  • その時の気分で言っていないか

つまり、

自分の文章を、自分で疑っている状態

でもあります。


■ 確証バイアスへの自覚

僕は教育関連の本も読みますし、

  • 中学受験の実態

  • 大学受験の構造

といった話にも触れています。

でも、それらを読めば読むほど、

自分の考えに合うものばかり選んでいるのではないか

という疑いが出てきます。

いわゆる確証バイアスです。


■ 見えている世界は、たぶん偏っている

だから、はっきり言っておきたい。

自分が見ている世界が正しいとは思っていません

  • 偏見もあると思う

  • 思い込みもあると思う

そして何より、

怒りが、世界を歪めて見せている可能性もある


■ それでも書く理由

では、なぜ書くのか。

それは、

違和感が消えないから

です。

  • これはおかしいのではないか

  • 何かズレているのではないか

その感覚だけは、どうしても無視できない。


■ 怒りは悪いものなのか

最近思うのは、

怒りは必ずしも悪ではない

ということです。

確かに、

  • 視野を狭くする

  • 判断を歪める

という側面はあります。

しかし同時に、

怒りがあるからこそ見えるものもある


■ 大切なのは「断定しすぎないこと」

だから僕は、これからはこうありたいと思っています。

  • 主張はする

  • でも断定はしない

  • 疑いを残す

つまり、

自分の考えと距離を取りながら書く


■ 結論ではなく、過程として

この記事は、何かの結論ではありません。

むしろ、

考えている途中の記録

です。


■ 最後に

教育について語るとき、

  • 冷静であるべきだ

  • 客観的であるべきだ

と言われるかもしれません。

でも実際には、

人は感情なしには考えられない

とも思います。

だからこそ、

  • 怒りを持ちながら

  • その怒りを疑いながら

  • それでも考え続ける


そんな不安定な状態のままでも、
書き続けてみようと思います。

それが今の自分にできる、いちばん正直な態度だからです。

どうでしょうか。よろしければ、コメント・フォロー・スキで応援下されば有難いです。🍀
@おはようございますでした。

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