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囚われの正体

皆さん、こんにちは。
HSP×アンチ東大主義の、@おはようございますです。

高校生の頃、僕は文献を渉猟していた。
一冊の参考書にしがみつくのではなく、複数の本を読み比べ、行き詰まったら別の説明を探す。
自分なりに考え、納得しながら理解を深めていく。
少なくとも、当時の僕はそれを「真剣な学び」だと思っていた。

けれど、周囲から返ってきた言葉は違った。

受験生が辞書や参考書を比較検討するのは、誤った勉強法だ
一冊を何度も繰り返すことが大切
他の本に目移りするのは「浮気」だ

受験業界では、この言葉がほとんど常識のように語られる。
「浮気をするな」という言い回しは、今思えば象徴的だ。
学び方が、いつの間にか倫理の問題にすり替えられている。


僕は「全振り」していたわけじゃない

誤解してほしくないのは、
僕が「自分のやり方だけが正しい」と思っていたわけではない、ということだ。

むしろ逆だった。
「浮気をするな」という声に、かなり敏感だった。
だから、

自分の勉強法は、もしかしたら間違っているのではないか

という不安を、ずっと抱えていた。

それでも現実には、一冊の本ではどうしても腑に落ちないことがある。
別の本を開いた瞬間、

ああ、そういうことだったのか

と視界が開けることが、確かにあった。
その経験は、何度も僕を救っていた。


大学で聞いた、あまりにも軽い答え

大学に入ってから、僕はある先生に聞いた。

「いろんな本を読むことって、どうなんでしょうか」

返ってきた答えは、拍子抜けするほどあっさりしていた。

それは大切だよ。いろんな視点を知るのは重要だからね。

そこで僕は、さらに聞いた。

「でも高校生のときは、一冊を繰り返せって言われてました」

先生は少し考えて、こう言った。

高校生には……まあ、そうかもしれないね。

軽く、流された。
その瞬間、僕は少しだけ安心して、少しだけ虚しくなった。


間違っていたのは、勉強法じゃない

今、時間が経って振り返ると、はっきり分かる。

あの頃の僕は、
勉強法が間違っていたわけではない

問題だったのは、
「一冊を繰り返せ」という方法論そのものよりも、
それが唯一の正解として押し付けられていたことだ。

本を比較すること。
説明の違いに気づくこと。
自分なりに納得できる言葉を探すこと。

それらは、本来、学問の入口にある行為のはずだ。


囚われは、外から与えられる

「浮気をするな」
「余計なことをするな」
「決められたやり方に従え」

こうした言葉は、
効率のため、親切のため、という顔をしてやってくる。

でもその裏で、
考え方の幅を狭め、
自分で判断する力を奪っていく。

その囚われは、自分で作ったものじゃない。
外から、善意として与えられたものだ。


あの頃の僕は、間違っていなかった

今、はっきり言える。

あの頃の僕は、
「受験に最適化されていなかった」かもしれない。
でも、学ぶ姿勢としては、間違っていなかった

むしろ、
問いを持ち、複数の説明を行き来し、
自分の言葉で理解しようとするその態度こそが、
後になって生きてくる。

囚われから抜け出すのに、
才能はいらない。
必要なのは、
「自分のやり方は本当に間違っているのか?」
と問い返す勇気だけだ。

そしてそれは、
高校生だったあの頃の僕が、
すでに手にしかけていたものだったのだと思う。



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