人類の終わりを祝う式典を本気で作った話。RingNe最終章のセレモニー演出と体験設計。

おんむすびさんによる法螺貝の立螺が
空に響き渡ります
▼作るきっかけ
人類の終わりを祝う式典を本気で作りました。
まず舞台となった「RingNeイベント」とは何かをちょっとだけ説明しますね。
「RingNe最終章"人類最後の祝祭"」は、2025年9月20日~22日の三日間にわたって南足柄市の廃校で開催された、超体験型のイマーシブイベントです。
2046年、人類は感染病の蔓延によって絶滅の見通しとなり、残された人々が「人類最後の祝祭」を開く――そんな小説の世界を現実にインストールして愉しむ。
参加者は小説世界の2046年で生きる人々になりきり、「人類最後の祝祭」を現実世界で共に作り上げる。
イベントコンテンツがあらかじめ用意されている訳ではなく、参加者自身が考え、創り、披露する。
「小説の世界観 × 大人の文化祭」とイメージすると分かりやすいでしょう。
※もっと詳しく知りたい方は、後記するアメミヤユウさんの記事を見てみてください。
僕はこのRingNeイベントに第二章から参加してきました。
そして今回イベント内で行われる「セレモニー最終日 第一部:滅」の演出をすることになりました。
セレモニーって何?と思った方は「人類の卒業式」みたいなものと思っておいてください。
この記事で僕が何を考え、どうセレモニーの演出と体験設計をしていったのかを綴っていきます。

▼セレモニー全体像

▽コンセプトと詩
セレモニーは三日間あります。各日が「生まれて、在りて、滅する」という生命の三幕構成に対応しています。
一日目 → 生まれて
二日目 → 在りて
三日目 → 滅する
僕が担当した三日目は「生命が滅する ≒ 終わり」について向き合うセレモニーになります。
死があるから生が際立つのと同じで、死に向き合うには生に向き合う必要があると感じました。
私達は「生まれて、在りて、滅する、そしてまた生まれる」という生命の循環の中に生きています。
悠久なる輪廻の時の中で、私達が人間の姿でいられたのはほんの刹那的な瞬間でしかありません。
刹那的だからこそ愛おしい、そんな人間であれた瞬間に思いをはせて欲しい。
そんな思いで始めにセレモニーの「コンセプト」と、それをもう少し拡張した「詩」を綴りました。
―― コンセプト ――
人間であった刹那に思いをはせ、
愛と感謝を持って自らの手で終わりを祝う。
―― 詩 ――
万物に始まりあれば、必ず終わりあり。
さようならは寂しい事じゃない、
もと来た輪廻の円環へと還るだけ。
この世界の悠久なる時の中で、
私たちが「人間」として生きた刹那に思いをはせながら、
愛と感謝を込めて自らの手で終わらせよう。
『さようなら いつかまた』
これら「コンセプト」と「詩」を中心にセレモニーの内容を考えていきました。

▽セレモニーの構成
セレモニーには以下の段階があります。
① 第一部開幕
② 人間であれた刹那に思いをはせる
→「悔恨の残響パート」
③ そんな思いを自らの手で終わらせる
→「悔恨の残響パート」
④ 自分自身の終わりを受け入れる
→「西原雨天 歌パート」
⑤ 終わりを祝う。
→「西原雨天 歌パート」
⑥ 第一部閉幕
それぞれの段階についてこのあと解説していきますね。
▼前準備
▽衣装は白を基調としつつそれぞれの装い

白を基調としたセレモニー然としたスタイルがイメージとして浮かびました。(自然の素材感だったり儀式的だったりエスニック調だったり) しかし、人類終焉の刻、皆が自主的に集まっているお祭りで、「これがユニフォームです」と強制するのも違うと感じました。 どんな衣装を着るかもその人を表すアイデンティティの一つ、そこには多種多様な在り方があっていいと思いました。 とはいえ、前に出てパフォーマンスをする人がみんな変な面白Tシャツとかを着ていたら、それはそれでセレモニー的な雰囲気が出ません。 そこで、セレモニーで前に出る人には、
「祝祭で皆の前に出るってなったときに『普段着すぎると味気ないかな?じゃあどんな服装が良いのかな?』と各々が考え、結果として白を基調とした雰囲気のある服装になった。」
という文脈を考え、共有しました。 その結果、多様でありながらもセレモニー然とした雰囲気のある装いにする事ができました。
▽美術はバランス良く美しく

まず、流木のオブジェが中心にあり、白縄の丸い境界が流木のオブジェを囲んでいます。
マイクスタンドは、体育館と正対したときに流木のオブジェの延長線上に来るように配置。
悔恨の残響と焚火台は、流木のオブジェから悔恨の残響、焚火台、マイクスタンドがちょうど三方向に伸びるような位置に配置しました。
▼① 第一部開幕の儀
セレモニーの雰囲気を引き立てる、おんむすびさんのハンドパンによる神秘的な音色の演奏。
そんな雰囲気の中、司会者のゆかっちさんが入場。
ゆかっちさんが開幕を宣言すると共に、おんむすびさんによる法螺貝の立螺が空に響き渡ります。

▼②③ 悔恨の残響パート
② 人間であれた刹那に思いをはせる
③ そんな思いを自らの手で終わらせる
を、行うパートになります。
後悔を回顧することで「人間であれた刹那に思いをはせる」、
そしてそれを燃やすことで「自らの手で終わらせる」。
※『悔恨の残響』については別の記事で詳しく解説しました。こちらも見てみてね。
※この記事の最後にも同じリンクを記しています。





塩をかけて清める




▼④⑤ 西原雨天 歌パート
④ 自分自身の終わりを受け入れる
⑤ 終わりを祝う
を、行うパートになります。
西原雨天さんという方は、RingNeのイベント作りに以前から関わっている方です。しかし歌などのアーティスト活動の経験はありません。
そんな雨天さんが「セレモニーでオリジナルで書き下ろした歌を歌う」ということになりました。
「雨天さんの歌唱」という要素を、どう世界の中に位置づけ、どう体験を作っていったかについて書いていきます。
▽現実世界から小説世界へのインストール
現実世界の雨天さんがセレモニーのときにただ歌うだけでは、それはRingNeの世界で雨天さんが歌っている事にはなりません。
雨天さんと問答を繰り返し、現実世界の西原雨天という存在を小説の世界へとインストールしていきました。
・雨天さんは小説の世界ではどういう人物なのか?
・何故セレモニーで歌うことになったか?
・どういう立場で歌うのか?
・歌うという行為はセレモニー的にどういった意味を持つのか?
こういった事を話し合いました。
その上でこのようなイマーシブストーリーを考えました。
ミュージシャンでも何でもないただの一般市民である雨天さん、人類最後のセレモニーをやることになって最後にどうしても自分でも思いを表現したくなり手をあげた。
すると周りの人も温かくそれを受け入れてくれてセレモニーで歌うことになった。
歌は生命そして終わりについての歌。
この歌を皆を代表して歌う事によって、皆にも終わりを受け入れるという事をして欲しい。
そしてそれらの行為そのものが終わりへの祝い。
▽歌唱の方向性
現実世界でも小説世界でも、雨天さんはミュージシャンのような歌唱の専門技術がある人ではありません。
「歌をクオリティ高く歌う」という「上手さ」で勝負する方向性より、「皆の代表として皆の共感する思いを歌う」といった「親近感」の方が合っていると思い、その方向性で演出を考えました。
▽参加者巻き込み型の歌詞作り
前項の「親近感を抱いてもらう」ということに加え、参加者一人一人に、ただ受け身で聴くのではなく、もっと「自分事化して欲しい」と考えました。
そのために、皆に言葉を募り、その集まった言葉のイメージを元に歌詞を完成させるというイマーシブストーリーを雨天さんと考えました。
歌詞作りに観客自らが参加することで、セレモニーを「一緒に作っていく感」が生まれ、思い入れを持って歌を感じることができると考えたからです。




▽完成した歌詞

『 輪廻 』
作詞:西原雨天
作曲:西原雨天
きみがいつか水だった 昔のことを覚えているかい
そこはさよならの星 通り過ぎていくあとさき
きみがいつか土だった 昔のことを覚えているかい
そこはむくろの大地 姿ほどけたむくろの
かつて当たり前だったように 名前でできた世界を終えて
まぜこぜに まぜこぜに まぜこぜにかえるんだよ
数え切れないさよならで まぜこぜになってきた 空に地べたに
きみがいつか花だった 昔のことを覚えているかい
生命の巡りに思いをはせながら、愛をもって終わりを受け入れる。
そんなメッセージが込められています。
▽完成した歌詞の告知
皆さんに聞き馴染んでもらうためにLINEやDiscordで告知をしました。
それに加え、学校の放送室から、でみさんに完成した歌詞を校内放送で流してもらう事にしました。

お願いした告知文。
こんにちは。でみです。人類最後の祝祭、最終日、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
これから、本日のセレモニー第1部で歌う楽曲を流します。
作者の雨天さんよりメッセージを頂いてますので代読させていただきます。
ーーーーー
こんにちは。西原雨天と申します。
本日のセレモニー第1部で、私たちの生命についての思いを歌わせていただきます。
これから流していただく曲は、事前に皆さんに生命に関する思いや言葉をつのり、そのイメージをもとに歌詞を書かせていただいたものです。
ぜひセレモニーでは、皆さんおのおのの方法で一緒に思いを表現できると嬉しいです。
それではお聴きください作詞作曲、西原雨天。
『輪廻』
(音楽スタート)
▽参加者巻き込み型の歌唱
さあ、いよいよ雨天さんが歌を歌う段階です。
先述している通り、「親近感」「自分事化」「一緒に作っている感」など参加者の心に距離の近い体験を大切にしてきました。
雨天さんが歌うのをただ聴いているだけではなく、観客自身もこの「生命への思いを表現しながら終わりを受け入れる営み」に参加して欲しいと思いました。
そこで、雨天さんの歌唱と共に、楽器を持っている人は楽器で、踊りたい人は踊りで、一緒に歌いたい人は歌で、それぞれが心地の良い表現方法で一緒に表現できるという建付けにしました。
メインでトモヒロさんがアコギで演奏をするなか色々な楽器の音色が響きます。
雨天さんの歌を繋ぐように、莉玲さん、Amanoさん、シュウさん、ゆかっちさんが歌ってくれました。
そして最後は皆で歌い、終わりを祈りました。
▽終わらせる演出
最後に「皆で終わりを受け入れ祝ったこの瞬間」すらも手放します。
雨天さんは歌詞を綴った紙を手に持ちながら歌っています。
そして皆で歌い終わった後、そんな思いのこもった歌詞の紙を焚火台の炎の中に投じます。

この歌詞が綴られた紙は、雨天さんにとって皆の現世での思いが込められた大切なものです。
大切なものであるからこそ、それを手放すことに無常感と美しさが宿ると考えました。
最後に自らの手で大切なものを炎に託し、手を合わせ祈ります。
『 さようなら いつかまた 』
▽『輪廻』音声データ&楽譜

練習時の録音データが残っていました、貴重。ぜひ聴いてみてね。
歌:西原雨天 演奏:トモヒロ
※二つとも内容は同じです
楽譜はこちら。



▼⑥ 第一部閉幕
これにて「セレモニー最終日 第一部:滅」の行事は完了です。
▼関連記事
僕が先日綴ったセレモニー内の行事『悔恨の残響』の解説記事。
アメミヤユウさんが展開している「RingNe」や「体験小説」の話。
▼結び
以上、如何でしたでしょうか。
今回このような制作のきっかけをいただいた、原作者アメミヤさん並びにRingNeDAOの皆様ありがとうございました、そしてお疲れさまでした。(木霊)
その時どのような思いで制作していったかは、何かに書き記しておかないと時間の渦の中に消えて行ってしまいます。
それは何だか寂しいので今回筆をとらせていただきました。
小説のような現実の三日間でした。
果たして現実世界での2046年はどうなるのか。
2046年への予言としてここに記しておくものとします。
もしあなたなら人類最後の祝祭でどんな「終わり方」を見つけたいですか?
