天職と会社勤めと
これまで自分は、何か大事なことをひとつ、忘れて生きてきたのではないか?
あるnote記事に出会って、自分の仕事について振り返ってみる気になった。
天職という考え方
こんな記事に出会った。
天職に出会われたのだな、良かったな、素晴らしいな、というのが読後感であった。
一見回り道をしたようだが、すべてはここに通じていた…
このくだりからは、天職と出会えた筆者の確信と喜びが伝わってきた。
記事を読み終えたところで、さて自分はかつてどうだったのだろう、と思った。
私は、在籍した会社を選んだとき、天職という考え方は全く持たなかった。そこに所属し、勤め上げたときも、自分は天職を全うしたとは少しも思わなかった。
元会社員としては、それが標準的かとも思う。しかし、先のnote記事から伝わる筆者の喜びを反芻してみると、自分は何か大事なことに気づかぬまま、素通りしてしまっている気がした。
子供のころの夢
子供のころの夢は、理系進学へとつながった。
おとなになったら、宇宙パイロットになりたかった。
お絵描きは大嫌い。水彩画は天敵。
音楽や本を読むことは好きだった。SFを夢中になって読んだ。
中学の理科の授業がたいそう面白く、テレビを見るよりも興奮した。一度聞いたことは忘れなかった。
高校に入り、物理は予言の学問だという先生にも出会った。
大学への進路を決めるときには、自然な流れで理系を選んだ。
専門を選ぶ
専門は、電気、制御を選んだ。
お絵描きがキラいな子は、製図嫌いな若者に成長した。したがって、機械系、建築系は鬼門であった。迷うことは無かった。電気系、制御系だ。電気系の図面なら、どんどん持って来い。
大学の卒論テーマは、電力系統の安定化制御となった。
会社を選ぶ
鉄鋼会社へ入り、電気設備エンジニアとなった。
就職活動はそれほど困難ではなかった。電気・制御系の学生を求める企業は多かった。
大学研究室では、企業の先輩(大学OB)による就職説明会がたびたびあった。
ある電気メーカーの先輩は、人工衛星の姿勢制御なんか面白いぞ、と誘ってくれた。電力会社の先輩は、今の専門がそのまま生かせるぞ、と言った。
鉄鋼メーカーの先輩は、就職説明会の帰りの電車が同じ方角だった。じっくり話を聞くことができ、工場見学に行くことにした。
当時鉄鋼業は、一般学生からは、斜陽産業と見なされていた。一方この先輩は、日本の鉄鋼製造技術が、当時業界世界一であるとされていることを、工場見学で教えてくれた。したがって鉄鋼製造設備の電気制御ならば、自ずと世界一の応用技術に携われる、というわけだ。
その先輩は勧めてくれた。電気エンジニアにとっての、技術的な面白さはピカいちだ、ウチでなくてもよいから、鉄鋼業界に入れ。
斜陽産業との評判が気になった。技術は面白そうだが、大丈夫だろうかと少し心配だった。でも金属資源の埋蔵量は鉄が圧倒的に多いのだから、よもや鉄鋼五社が次々と潰れてゆくことはあるまいと考えて入社を決意した。
仕事に就くまでは、総じて自分がいちばん希望する進路に進み、仕事内容に魅力があり自分の力も発揮できそうな会社を選ぶことができていた。
ふたたび天職について
就職後の仕事にも恵まれた。
巨大な製造設備が、制御理論を駆使した設計通りに振る舞ってくれるという経験ができた。
世界初の製造プロセスを実現するプロジェクトにも参加させてもらい、優秀な人たちとチームを組ませてもらった。
後進の育成に専念させてもらった時期もあった。
データサイエンス技術の導入にも参画させてもらった。
設備投資など、会社経営の一端が見える仕事を担当させてもらったこともあった。
どの仕事も、それぞれの段階で、それなりの苦労があり、喜びや感激があったのを思い出した。
チームでの仕事には、ユーモアも大切だった。
シート状の長い鋼板を、適当な長さごとにワンカットする切断機があった。ある改造後の試運転で、突然機械が高速に連続カットを始めて止まらなくなった。復旧、原因調査、対策…。今日は徹夜になるかもな。皆がうんざりと腰を上げかけたとき、誰かが叫んだ。
誰だぁ、あの機械にみじん切りを教えたのは?
みじん切りは、台所用語だ。せっかく作った鋼板を、売る前にみじん切りにする工程などあるものか。関係者一同、大爆笑となった。皆元気を取り戻した。
翌日、いつもは、しかめ面でトラブル報告を聞く事業所長室の面々も、そうかみじん切りかと大爆笑したそうだ。
これらの経験が宝でなくて、何であろう。会社生活では、日々の出来事への対応のほうに、すぐに目を奪われ、喜びや感激が心に残ることがなかった。自分は恵まれた仕事をさせてもらったのだな、と改めて思った。
負けず嫌いだったのだろう、と思う。仕事とは、おのれを殺しリアリティに徹して向き合うものであった。
精神的な限界を感じる局面では、同じことを上手くやれそうな同僚ないし先輩エンジニアの性格になりきろうとした。
肉体的にきつい局面では、このくらいのことも出来んのかと、怒りを自分にぶつけ、アドレナリンの勢いで乗り切ったりした。
若いころの自分には、それが、組織の中で生きるということであった。今思えば、我ならざる者になろうとする時もあったのかもしれない。
そのような姿勢が必要になる事態は、しばしば不意に訪れた。若いころは、自分で招いてしまった事態も多々あった。
上手くいかないケースを事前に羅列し、準備すべきは何か、と机上シュミレーションするようになり、それに長けていった。いつしか、喜びや感激は、いったん味わった後すぐに封印し、このさき上手くいかないとすればそれは何か、と考える習慣がついていた。
仕事から退いた今、この記事を書きながら、それらの封印を少し解いてみた。
素通りしてしまった何か大事なこと、とはこれであった。人に恵まれた、仕事に恵まれた、みんなと成し遂げたと思ったときの、喜びや感激であった。この世に生まれて良かったという感覚につながるものだ。
天職を得たという感覚ではなかった。しかし私は、人や仕事に恵まれ、喜びも感激もあった。それは、小さいものばかりではなかった。天職を得るのと等しい恵みをたびたび受けた、と思ったとしてもバチは当たるまい。
いまからでも遅くないだろう。ここで気づいたことは、今後も何らかの形で、生かしたいと思う。
菜の花や背伸び背伸びに海の前
