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【死と再生】子供の頃に見た夢

小学校に上がる直前ぐらいであったろうか。こんな夢を見た。

昼であったか、夜であったか、私は、広い座敷のようなところに入ろうとしていた。物音のしない部屋であった。人は居るのに、妙に静かだった。
大人が何人か坐っていた。みな着物姿で、扇を広げ、それにじっと見入っていた。

みんな、何を見ているのだろう。
私は気になった。大人たちは、じっと扇を見つめている。話しかけられる雰囲気ではなかった。見つめているものを傍から覗くこともできなかった。

何かよいものが見えているに違いない。
扇を広げた人たちは、身動きひとつせず、それを、いつまでも見つめ続けている。

自分も見たい…。
私は、部屋を進み、座敷の空いているところを見つけた。そして大人たちと同じように、かしこまって坐ってみた。誰かが扇を渡してくれた。

みんな、何を見ているのだろう。
期待を寄せながら、扇をすっすっと広げた。広げるとともに、扇の面に、和服姿の女性の上半身が浮かび上がってきた。意外な展開に一瞬怯んだが、もう遅かった。

赤…。
赤ではなかったかもしれない。何か印象に残る色があった。現れたその人は美しく、私は目が離せなくなった。青白いその顔がこちらを向き、目が合った。
やがてその人の口角が少しずつ上がっていった。笑みが凄みを増してゆく。

そして、こう言った。
「死ぬ準備は、できていますか?」
えっ…。
時間が停まった。

何処からか、同じ会話が漏れ聞こえてきた。
「死ぬ準備は、できていますか?」
「はい…。」
もう、扇の女性と目を合わせては、いられなかった。開けてはいけないものを、自分は開けてしまった。私は怖ろしくなって、そこから逃げ出した。

目を覚ましたときの、激しい鼓動は、いまでも覚えている。
この扇を広げたからには、死ぬんだろう?
そう促されたような恐怖があった。学童前の私には、かなり怖い夢であった。

幸い私は、それから60年余りを死ぬこと無く生きてきた。その間、たまに思い出してきた夢である。だが、その意味はいまだによく分からない。

子供の頃に見た夢を大人になっても覚えている場合、 その夢は、その人の人生にとって大きな意味があると、何かの本で読んだことがある。初老となった今なら、この問いから逃げ出さずに、じっくり向き合うことができそうだ。



やってみるか。

気持ちを改め、畏まって坐ってみた。
渡された扇をゆっくりと開く。
魅力的だが危険な感じが高まってくる。

問うて来た。


混沌とした気持ちが起こり、自分のなかで次第に形になってゆく。

さあ、答えるのだ。
死ぬ準備は、できていますか?

以下は、彼女に宛てたメッセージである。

扇の女性へ
大好きなあなたへ答えます。
はい、という一言では答えられません。
私はこの生で、何度かあなたに会っています。その度に「死と再生」と思われる出来事を経験しました。
今はその意味を意識化したい。そしてその次のステップで今の自分に必要なことを見出したいと思います。

シャレで答えるつもりは全く無かった。自分にとっては、真面目に答えるべき、人生からの問いであった。

今の私には、扇の女性の問いは、次のように聞こえる。
あなたは、何をするために生まれてきたのか?
それは、成就したか?

なので私の答えは、こうなる。
いまそれを考えているところです。それが成就すべきものかどうかも含めて。

とぼけたような答えだが、正直な気持ちだ。([1])何か固定した成果を上げるために生きている、という考えは、自分の今の感覚とはどこかずれがある。

死は、誰もがいずれは向き合わねばならぬ。扇の女性は、決して怖いことを問うてきたわけではないのだ。それを自覚するのに、60年かかった。

[1]下記参照


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