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老いを創造する

後半の人生における心の旅は、
加齢に伴う喪失感に始まる。
しかし、その後半の人生では、
中年期にいったん喪われた「魔法」
が再来するという。
「魔法」とは、
子供時代や青年期の天衣無縫な精神
を象徴する用語である。
魔法の再来は、
自我を超え魂の全体性へと向かう、
心的プロセスのスタートであるらしい。
私はこれを、
老いを創造する心の旅の始まり
と受け取った。



我とともに老いよ?

我とともに老いよ!
最善の時はこれからだ
Grow old along with me!
The best is yet to be

ロバート・ブラウニング
『Rabbi Ben Ezra』より

有名な詩句である。最近たまたま見かけたのだが、何かが引っかかった。
私は現在65歳。
信頼する人からこんなことを言われたら、元気が出る年頃だ。
これから、いい時がくるのだ。…

ブラウニングのように神を信じているわけでもない私には、しかし、次の瞬間不審感がじわじわと湧いてくる。
最善の時、て何?
ほんとうにこれからなの?

この不審感に応えてくれそうな言葉を昔どこかで見たな…
書棚の奥に埋まっていた本を何冊か掘り起こし、探し出した。

後半の人生における魔法の再来は、…しばしば現実社会でも起きている。

アラン・チネン『熟年のための童話セラピー』
羽田詩津子訳 魔法を取り戻す より

これだこれだ。
アラン・チネンは、ユング派の精神分析医である。
チネンのいう魔法とは何の象徴だったかな?それが再来するとは?
何十年かぶりにこの本を再読し、記憶を呼び覚ます。

どうやら、「魔法の再来」とは、
個人が自我を超えて魂の全体性へと向かうプロセスが始まることを象徴する用語
だったようだ。

魂とか自己超越とか、ユング心理学らしい、怪しい(いろいろな意味に使える)用語が出てくるが、私は嫌いではない。しかもチネンのこの本は読みやすい。
ではあるが、読んだだけではまだ抽象的にすぎ、納得感が無い。本の最初のあたりを、最近の自分にあてはめてみることにした。


加齢に伴う喪失感

後半の人生における心の旅は、加齢に伴う喪失感に始まる。

チネンの本では、後半の人生に入った人を主人公とする童話を取り上げ、その年代の心理的な発達課題と突き合せて解説する。
引用された童話には、まず貧しい老人が登場する。

貧困は欠乏であり、…「喪失」を暗示している。…貧困が加齢による喪失の象徴になっているのだ。

同 魔法を取り戻す より

私の場合はどうか。

仕事から引退する半年ほど前から、退職後の自分の日常を想像して、少しぞっとしたことがあるのを思い出す。

当時の職場に転勤してきてから、積極的に遊び友達を作っては来なかった。そのころの私には、日常の遊びに誘い誘われる友人は、とくにいなかった。

仕事引退とは、毎日のやることを失い仕事仲間を失うことである。このまま退職すると、朝起きたら何をやっているだろう。何か家事をやり、図書館にでも行って、帰ってくるか。
次の日は…?その次の日は…?

なんだかとてもさびしい日常になってしまいそうな気がした。
これは加齢による喪失の一種と言えそうだな…。

しかし、いかんいかん。私の場合、そのままでは一直線に耄碌してしまいそうだ…。

かと言って、何らかの仕事を続けるつもりは無かった。次の仕事の誘いは無いではなかったが、残りの人生、今までとは違う世界も見ておきたかった。

というわけで、
このまま放置すれば加齢の喪失感になすすべもなく沈んでしまうかも、という危機感を多少抱えた状態で、
しかし何ら対策を講じるでもなく、退職を迎えることとなった。


魔法の再来

しかし、その後半の人生では、中年期にいったん喪われた「魔法」が再来するという。チネンの言う「魔法」とは、

子供時代や青年期の天衣無縫な精神

アラン・チネン『大人の心に効く童話セラピー』
羽田詩津子訳 魔法の喪失 より

を象徴する用語である。

その「魔法」が、中年期にいったん喪われ、後半の人生に再来する。
本によれば、加齢に伴う喪失感にあるときに、求めずして魔法がやってくるという。
そんなに上手いこと、転がってくれるものだろうか?

だが、この話を念頭に、自分の「今」を振り返ってみると、けっこう分かりやすいことが起こっている気もする。

私は、先に書いたような喪失の危機感を、気持ちの隅に抱いた状態で退職した。そして、退職後の事務手続きに気を取られているとき、つまりあの耄碌一直線の危機的な状態になる、まさにその直前のある日、電話がかかって来て、旧友たちとの再会につながった。

後に旧友から聞いたところによれば、彼らからの電話コンタクトがこのタイミングとなったことは、全くの偶然と思われた。

上の記事に書いたように、それが中学高校の旧友たちとの再会につながり、LINE交流や星空案内活動につながり、さらにはこのnote投稿にもつながった。

またその電話の翌々月には、元職場のOB会があり、普段はこのようなパーティーの苦手な私が出席する気になり、そこで再会した先輩を通じて、おもちゃ病院に参加する縁につながった。

退職という自分の人生の節目に到来した一連のこの出来事には、魂をやや揺さぶられたと言ってもいいような、感激も喜びも、私にはあった。

次々と訪れるできごとを振り返って思う。

中学時代や高校時代の旧友と再会すると言う出来事は、私にとり、まさに
魔法=子供時代や青年期の天衣無縫な精神
の再来であった。クラス会では、お互いの思い出すことをつなぎ合わせて、記憶を新たにしその当時の感情を蘇らせた。

会社員時代には無かった、気持ちの余裕や遊び心も、このとき私の中に蘇り活性化したのかも知れない。
その後いくつかの新たな活動に参加するきっかけが、この「魔法の再来」に続くように、訪れたのだが、このときには「何かお誘いがあったら、まずは受けてみよう」という気になっていた。

そしてまず始めた星空案内受講やおもちゃ修理は、子供たちと交流する側面が大きい。従ってこれ自体が、さらなる魔法の再来である。

これまで仕事以外での自己開示をほとんどやってこなかった私がnote投稿を始めたのも、天衣無縫な精神が私に乗り移った結果であるのかもしれない。

会社員時代は、エンジニアとして理系一辺倒だった私が、下記のnote記事に刺激を受け、あろうことか、ハンナ・アーレントの政治哲学の本を読みかじり始めた。

実は性格的に、「哲学」のような本にトライしたりするのも嫌いではないのですよ。
私はいま、
アーレントの思想の一端を、身近な具体的事例と対比してその意味を考察し、
学習内容を【ChatGPT対話】と冠して発信し、
その次はここまでを一回まとめてみようかな、
などという作業を嬉々としてやっている。

これも、若いころの知的好奇心が再来したということかもしれない。
またこの方の自己開示に影響されて新たな行動を始めた、と言う意味で、それこそ既にアーレントの言う「活動」の領域にちょっとだけ足を踏み入れているのかもしれない。

チネンの本や関連する童話が示唆するのは、
このようなできごとを、魔法の再来が始まったと捉えて大切にしないと、今の私にとって大事なことを逃してしまうぞ
ということになるのだろう。

もともと仕事引退の理由は、今までとは違う世界も見ておきたいということだったし、その後出会うことは大切にしたいと考えていたので、この示唆を受け入れるのに異存は無い。


老いを創造する

魔法の再来は、自我を超え魂の全体性へと向かう心的プロセスのスタートであるらしい。私はこれを、老いを創造する心の旅の始まりと受け取った。

チネンと同じユング心理学の河合隼雄の著作を、私は時々読む。

老人一人一人が自分の老いを創造するというか、作りあげるというか、そういう覚悟もいるんじゃないかと思っています。

河合隼雄『「老いる」とはどういうことか』
「老い」をめぐって多田富雄さんと より

老いと創造は、一般には対立的な概念かもしれない。しかし、河合は言う。後半の人生に入るときの状況は、一人一人異なる。従って理想的な歳の重ね方に、一般論はない。先人を参考にして、一人一人がその生き方を創造する覚悟が要る。

私は下記の記事に書いたように、「(第二の人生に入ってはじめた)新たな活動の意義を整理して、自分の理解を深めてゆく」と目的を決め、note投稿を始めた。

それを思い出しつつ、先の河合隼雄の言葉を反芻して、気付くことがあった。

今自分は、自身の老いのありようを創造する過程にある。
これまで自覚は無かったが、noteで始めていたのは、そういうことなのかもしれない。目から鱗がひとつ落ちたような気がした。

noteでは、これまでの日常ではあまり向き合って来なかった、自分の心のやや深いところに向き合い、言語化し発信し、コメントをもらったときは言語化した心の深部を客観的に振り返る。
そのような側面がある。

自分の心と対話しつつこれからの歳の重ね方を編み出す
それを今、noteでやっている。そんな自己認識に至った。

同窓の旧友からの電話に始まる一連の出来事には、感情を揺さぶられるものもいくつかあり、私には、
意味のある時期に意味のある出来事が偶然起こった
という印象があった。ユングに言わせれば、これが共時的現象なのかもしれない。そしてこの現象の源である何ものかが、あのブラウニングの詩を通してこう私に語りかけてきたのだとしたら。

我とともに老いよ!
最善の時はこれからだ

たとえばそんな意味でこの詩を読んだほうが、今の私には分かりやすいし、詩句も俄然輝いて見える。

既に始めている、いくつかの活動。
noteを活用した、それらの逐次的な振り返り。
私の日常は、会社員時代とは異なる様相を見せつつある。
これが、これからの人生の創造につながってゆくのかどうか。既に創造に入っているのかどうか。
また向かう先に、魂の全体性なるものがあるのかどうか。
これらは今の私には預かり知らぬところである。
しかし、最近何だかとても楽しくなってきた。

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