俳句と一期一会と
最近、一期一会を意識するできごとがあった。きっかけは、同窓会であった。同窓会のエピソードから俳句が生まれ、俳句会に出してみた。
昨年仕事から引退し、第二の人生に入った。今後は、少し広く世間を見てゆきたい。これから経験することは、一度きりのことかもしれない。それを少しでも大事にしてゆきたい。俳句を、そのための手段のひとつにしようと考えた。
俳句は、2023年ごろから始めていた。2025年になってからは句会に出るようになった。
同窓会
最近、一期一会を意識するできごとがあった。きっかけは、同窓会であった。
退職後に、元職場から電話が入った。
高校の同窓生と名乗る女性から、職場にご連絡が入りました。学校時代のこともよくご存知のようでしたので、怪しい電話では無いと思います。連絡先を伺っておきました…
この女性に電話してみた。同級生のKさんであった。
久し振り。元気?
実は、I君が探し当てたの。
少し驚き、I君に電話した。
久し振り。元気?
やっと見つけたよぉ。
聞けば、この5年間、あの手この手で私を探し続けてくれたようだ。このクラスの誰とも連絡を取らないまま、50年近くが過ぎていた。
心当たりの誰に訊いても私の居所は分からず、最後はGoogleで、私の名前+思いつくキーワードを数限りなく検索したのだそうだ。文献がいくつかヒットし、その不鮮明な写真から、これに違いないとひとつに絞りこみ、その会社に電話してみたとのこと。それは、私が会社員時代、同僚と連名で発表した、20年ほど前の技術論文であった。
I君は、私に連絡がとれるまであとひと息と思われた段階で、怪しまれて連絡を拒否されたらしい。男の声ではだめだと判断し、女性の中で、話し方が上手く信用されそうな同級生に、最後の試みとして連絡を頼み、Kさんが引き受けてくれたとのこと。
Google?20年前の論文の写真?最後の試み?
その写真は、自分でも自分と判別し難い、不鮮明なものであった。会社名も事業所名も昔の名前ではなくなっている。私の転勤もあった。転勤前の事業所では、私を知る人は、どんどん少なくなっている。
いくつもの障壁と幸運があったことは、容易に想像できた。
会社員時代に、Google検索に引っかかるようなプロジェクトに参加してなかったら…
個人情報保護に関する職場の意識が、さらに強固だったら…
それを柔軟に判断できるような人が電話を受けてくれてなかったら…
そもそも、私を探す旧友たちの熱意が、これほどで無かったなら…
友達とは、ありがたいものだ。新幹線で同窓会に駆け付けた。あたたく迎えられた。会えて良かった。この人達と一生会えなかったかもしれないんだな。
同級生のひとりが、中学同窓会のグループLINEにもつなげてくれた。ここでも、いろいろな人が声をかけてくれた。
久し振り。元気?
ネット上ではあるが、とても懐かしい人とも再会できた。
子供のころは会うのが当たり前だった友達だが、数十年の無沙汰の上での再会となると、いくつもの幸運がないと実現しないものであった。自分が望めばいつでも会える。どうやら、私の意識下にはこのような根拠の無い前提が埋まっていたようだ。今回の一連の再会のかけがいのなさ。一期一会を強く意識させるエピソードであった。
俳句会
同窓会のエピソードから俳句が生まれ、俳句会に出してみた。
旧友たちとの再会に、多くの幸運が必要であったと分かったことから、同窓会の写真も、ただの写真ではなくなった。中学や高校の同級生が、たとえば卒業アルバムの女の子から、青年、壮年を経た大人の女性として写真に収まる姿がちょっと感動だったりした。(不思議と同級の男の子の成長には感激しない…)
今年になってから月一回、句会に参加するようになった。地元カルチャースクールで、俳句のプロのもと、十人から二十人の句会形式で学ぶ。通常、出句三句、互選七句。
同窓会から生まれた句を出してみた。
をとめ子は佳人となれり翁草
句会では、二人が「いいね」投票してくれた。ひとりが、「お孫さんか誰かを見守る感じが良いと思った」と評してくれた。
自分には孫はいないのだけれどなと思い、曖昧に、にこにこしながらも、恙無き成長の姿に感動というエッセンスだけは伝わったのかなと感じた。
欲を言えば、人の出会いのかけがいのなさを上手く切りとった俳句を捻りたいところだが、まだ手に余る。
一度きりのできごとの一段面を俳句にしてゆく習慣をつけてゆこう。作句の過程で、自分の感動の焦点がどこにあるかを見極めてゆくことにもつながるだろう。
note記事と同じように、俳句はあくまでも自分のために作ろうと思う。作句の志を常に持っておくようにすれば、一期一会をそれと気付きやすいと思う。
菜の花や私らしさを十七音
