イスタンブールの飼い猫|旅行記2026夏#2
イスタンブールに到着したのは、明け方だった。私は外国の空港に着いて飛行機から降りる瞬間、その空気を思いっきり吸い込んでみることにしている。
ケバブやチャイのような、どこか身勝手な「異国」めいた香りを期待していた。ところが、空港にはそんな香りはほとんどなかった。外へ出てみても、大して変わらない。明け方の気温は、低い。東京を発つ前、梅雨冷えで肌をヒンヤリ冷やされる毎日だったけれど、イスタンブールの朝も想像よりずっと冷たかった。
「トルコ」と聞いて頭の中で作り上げていた景色と、目の前の世界が少し違って見えた。明け方、空港からホテルへ向かうタクシーの窓から眺める街は、どこかパリを連想させた。違うのは土の色が褐色に近いことくらい。
イスタンブールは、ヨーロッパとアジア、二つの大陸にまたがる街だ。ボスポラス海峡を境に、旧市街、新市街、そしてアジアサイドと三つの顔を持つ。旅行前にあてどもなく彷徨っていた地図上の道を、タクシーの中で思い出していた。空港からイスタンブールに向かう方角と日の出の位置から、進行方向の右手にボスポラス海峡が見えてくるはずだった。そんな大雑把な地形を描けるだけで、どこか知っている街に来たような気すらしたのだ。実際に海峡にかかる橋を見つけたときは、「あっ…」と声が出た。やっと辿り着いた気がした。
予約したホテルは、新市街にある。もともとは、旧市街に宿泊するつもりだった。沢木耕太郎さんの『深夜特急』で作者が滞在したのは、旧市街の安宿だ。ブルーモスクやトプカピ宮殿といった錚々たる世界遺産が、徒歩圏内にひしめき合うのが旧市街。1600年帝都として栄えた歴史の息吹を感じながら、霞がかかる朝を迎えてみたいという、小さな憧れがあった。でも、イスタンブールに霞がかかるのかな。これは勝手な想像に過ぎないのだけれど。
知人から「旧市街は歴史がある分、設備が古いホテルも多くて大変。」と聞いた。そこで、ホテルは旧市街を避け、新市街にしたのだった。旧市街と新市街をつなぐガラタ橋近く、カラキョイというエリアにあるホテルだ。ガラタ橋を渡るトラムを利用すれば旧市街と新市街を簡単に行ったり来たりできると、地図の上で何度か練習していた。
ホテルに着いたのは、朝七時前。
車を降りた瞬間、一匹の白黒の猫がホテルの入り口前で待っているのに気がついた。
「そうか。イスタンブールは猫の街だった。」
ガイドブックで度々そう知らされていたのを思い出しながらホテルへ入ると、今度は三毛猫がフロントのカウンターに堂々と座っている。予約の名前を告げるより先に、猫の名前が「プリンセス」ということを知った。このホテルの猫らしい。外で寝転んでいた白黒猫は野良猫で、食事だけホテルで与えているそうだ。
フロントの男性二人がプリンセスを撫でながら、「撫でろ撫でろ」と娘たちを促した。娘たちは撫でたいくせに、人見知り(ネコ見知りというのか)で結局撫でることができない。私は、猫より犬の方が好きだった。
しかし、「ホテルの猫」とは一体どういう定義だろう。ホテルの外にいる白黒猫との違いはなんなのだろうか。首輪もしていないし、飼い主登録をしているわけでもないだろう。ホテルで寝起きするだけで、日中は自由にカラキョイの街を散歩でもしているに違いない。
チェックインには早すぎるので、荷物だけフロントに預けて街へ出るつもりだった。二人の娘を連れた私たちに、フロントの係員が言った。
「チェックインは午後二時だけど…部屋ができているので、もう使っていただいて大丈夫ですよ。」
チェックイン前、しかも朝の七時前から部屋を使わせてもらえるなんて、一泊分おまけしてもらったようなものだ。夫と思わず顔を見合わせた。荷解きして、シャワーを浴びて着替えて街へ出られる。感謝をしつこいくらい伝えて(ちなみに、「ありがとう」は、トルコ語で「チェシェクレール」という。トルコ語でお礼を言ったのは私だけだった。)、部屋に入らせてもらった。
トルコに到着したばかりだけれど、これまで出会ったトルコ人全員親切だ。別の言葉を探すとしたら、「人見知り」しない人たち、とでもいうのかもしれない。すぐに人の顔色を窺ってしまう私には、これくらいの距離感でグイグイと来てもらえるのが心地良い。
部屋で少し休んで、ホテルの外に出る。フロントに出発を伝えた時、フロント前のソファにプリンセスが寝転んでいるのが見えた。プリンセスが寝る場所の周辺だけ、薄茶色の毛がビッシリ張り付いている。
なるほど、「ホテルの猫」とはこういうことなのだ、と思った。
それにしても、イスタンブールは本当に猫の街なのだ。猫も市民権を得て、猫と共に生活しているような風景ばかりが目につく。
バス停にもトラムの駅にも、喫茶店の椅子にだって猫が居座っている。まさか猫がトラムに乗って橋を渡ることはないだろうけれど、人が座る場所を猫が占領していても、シッシと追い出される光景は見なかった。トルコ人は人見知りもネコ見知りもしないのだろう。
子猫も多い。路上には至る所に猫のための餌の皿が置かれていて、キャットフードやサンドイッチの切れ端のようなものが入っていた。かといって、臭くて不潔な感じもしない。おそらく、定期的に誰かが皿を洗って、餌を取り替えているに違いない。そして猫たちは先を争うわけでもなくのんびり食べて、そのうちまた喫茶店の椅子で眠るのだった。
「もし、この猫を家で飼いたくなったら、持って帰っても良いの?」子猫を見ながら、10歳の長女が聞いてきた。つまり、トルコ人はこの猫たちを自分の「ペット」にできるのかという質問のようだ。路上で寝泊まりする小さな猫を、不憫に感じたらしい。
「食べるものだってあるし、家の中にずっと閉じ込められるより、この方が幸せじゃない?」と言うと、娘はわかったようなわからないような顔をしていた。
私は、ふと思ったことを口にした。
「ねぇねぇ、これだけ猫がたくさんいたら、イスタンブールにはネズミが1匹もいないかもね。」
冗談のつもりだった。でも、冗談にもならないかもしれない。
「東京には、ネズミがいるの?」5歳の次女が聞いてきた。
「東京の地下鉄にはね、ネズミがたくさん住んでるんだよ。ママ、ネズミの家族が地下鉄をドドドって走ってるの、見たことあるから。」
「ふーん…」
嘘ではないのだけど、ちょっと大袈裟な言い方だったかもしれない。
それにしても、猫に生まれ変わるとしたら、イスタンブールがいいなと思った。
カラキョイのホテルからガラタ橋のトラムへ向かう途中、新市街のランドマークとも言われるガラタ塔が見えてくる。地図で確認したわけでもないけれど、あれがガラタ塔に違いないとすぐにわかった。
「ランドマーク」なんて今風な言い方をしたけれど、この塔は14世紀に建てられたものだ。オスマン帝国時代に、火の見櫓として使われていた。イスタンブールの新市街の「新」の基準がよくわからなくなる。歴史的な遺構が常に視界に入るこの街にあって、ここでは「時」の概念そのものが、日本とは大きく異なるに違いない。
空港からホテルに向かうタクシーの中で、「この街はパリに似てるな…」なんて私は感じていた。
いや、もしかしたら、パリがこの街に似ているのかもしれない。
(つづく)
後記:
昨年の夏も、フランスへの里帰り記録を旅行記でまとめていました。その時は記事ごとにテーマを決めていたのですが(例えば、「食」とか「美意識」とか(笑))、今年は特別テーマで区切らずに、実際に自分が歩いた順序を辿るような方法で書いてみることにしました。
旅先で時間も限られますが(夜、やっと見つけた一人時間。)、書き足りないことが見つかればまた帰国後に。去年は旅が終わってからゆっくり書くことが多かったのですが、しかし、旅先で書くのもなかなかオツです。
ネット環境が悪くて写真がうまく貼り付けられないのが残念。文章だけでどこまで伝わるか、という挑戦や!
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