昨日、悲別で。ソールが剥がれた。
これは数日前の、仕事納めの日の日記です
ソールが剥がれ始め、修理するか捨てるか迷っていた。
20年くらい履いている、安い靴。ブランド名は汗で消え、不明。

つま先の穴飾り(メダリオン)と縫い目に沿った穴飾り(ブローキング)が、イギリス型ウイングチップのとてもオーソドックスな雰囲気に華やぎを添えていて、同時に買ったブラウンのストレートチップと共に(そっちもカッコいい)、めちゃくちゃ好きな靴だった。どれくらい好きだったかというと、この靴を引退させ保管するために、グレンソンで似たものを探したくらいだ。グレンソンの6万円する靴が、この安靴を守るためか。アホか。そもそも買う勇気あんのか。時々私は途方もないアホになる。
母を見舞った日のことだ。ジャケットなしでウールのコートの上にレザーのコートを着た「コートONコート」のいでたちでこの靴を履いていたら、母がそのスタイルを大層ほめてくれた。物語はそれだけだ。母は死んだ。
でも人は亡くなった後にも、ずっと消えない言葉を残して行く。「その靴、いいわね」という、それだけでも。心を縛るものとして。
「安物だよ。ボロボロだしね」「男の靴はボロボロでいいのよ」
ただしグレンソンはいかにもアメリカ風で、この靴には似ようがなかった。だから愚かな真似をせずに済んだとも言えるのだが、要はこの靴への未練を消してはくれなかったのだ。できればこいつを、直したい。
さりとて、何せ30代前半くらいで買った靴。安い。Amazonで半額(8,000円)くらいだった。もちろん底は圧着してあって張り替えられず、履き潰して捨てるしかない「セメント製法」だ。数回は張り替えられるとされる「マッケイ方式」や、更に数度の張り替えが可能な「グッドイヤーウエルト方式」ではない。
「セメント方式」の靴を「グッドイヤーウエルト方式」に改造できるかというと、修理屋で可能ではあるのだが、30,000円近い料金がかかる。そこで問題が発生する。もちろん「金」だ。これって見合うコストだろうか?

考え込んでしまう。人は20,000円弱の靴を30,000円払って修理するものだろうか。しかも買った時の代金はセールで7,000~8,000円だったのだ。内側を見ても作りは丁寧ではあるけれど、素材は決して上等ではないだろう。底を張り替えられるように金をかけて「一生もの」にしたとて、上物の強度は「一生もの」ではない可能性は高い。いずれ遠からず、別れが来る。
そんな思いを察したように、あるいは別れの準備のように写真を撮ったせいか、この夜、帰路でソールがつま先を残して剥がれた。歩を進める度、剥がれたソールがカスタネットのように「パタタタ、パタタタ」とリズムを刻み始める。そのせいですごくタップダンスが上手な人のようになって、小学生の頃に観た「昨日、悲別で」という天宮良主演のドラマを思い出した。「昨日、悲別で」はタップダンサーになる夢から上京した青年の物語だ。倉本聰脚本、エンディングテーマ曲は「22才の別れ」だ。この歌は別に好きじゃない。5年の交際を経て別れる22歳のラストメッセージが歌われるのだが、まず相手が成人と想像した時に(そうとは限らないのだが)17歳と交際しようという大人の気持ちが理解できないのだ。ただしこの歌が名曲で、感傷を歌って優れているという点は分かる。
あなたにさよならって言えるのは今日だけ
明日になってまたあなたの温かい手に 触れたら
きっと言えなくなってしまう そんな気がして
奇跡的に開いてたリフォームショップで泣きつくと、ソールをアロンアルファでくっつけてくれた。足を入れてみる。大丈夫だ。違和感もなし。
……えっ、修理とか廃棄とか、何のお話でしたっけ。
歌の通りだ。さよならと言えなくなってしまった。
いいか。もう少しこの靴と歩いて行こう。
「悲別ロマン座」が再開していたらしい。
まあ、おれはドラマの内容をビタイチ覚えていないんだけど。
