見出し画像

川の街リュオーレの物語⑳ 小景(10) 羊を下ろす日

コロン、カランと澄んだ鈴の音が響く。
落ち葉が積もった丘の細道を、ジョキスはゆっくり下っていた。

片手には長い棒切れを持っている。
すぐ脇をヤギのゼックが歩き、後ろに羊たちが続いていく。
ときどき、犬のリキが吠えている。立ち止まってしまった羊を
群れに戻そうとしているのだろう。

「霜が三度降りたら、羊を下ろせ」
丘の羊飼いたちに語り継がれてきたことだ。

でも、ジョキスの父はいつも「もう少し、いいだろう」と言う。
今年も、放牧を終えるのは最後になった。

最近、野犬の群れが山から下ってくることがあるらしい。
念のため、ジョキスもリキもこの数日は丘の上の作業小屋に泊まっていた。

リキは、いつもより周囲を警戒しているように見えた。
でも、何事も起きなかった。
道を下るにつれ、ジョキスの肩の力も少しずつ抜けていく。

春に丘へ上げた羊とヤギを、一頭も減らさず連れ戻せた。
放牧に出したときは不安そうに歩いていた子羊たちも、
今では親と区別がつかないほど大きくなっている。

向こうから道を上ってくる人の姿が見えた。
昔、茶畑があったところに住んでいる女の人だ。

気づいているのかいないのか、ゼックは変わらぬ歩調で進んでいく。
ヤギも羊も、犬とは違う。思うように操るわけにはいかない。

鈴の音が聞こえたのだろう。
女の人は、少し道幅が広くなったところで立ち止まってくれている。

コロン、カラン。ジョキスは、そのまま群れを連れて下っていった。

「こんにちは!」すれ違うとき、ジョキスは短く声をかけた。
少し微笑んでいるように見える女の人と、目が合った。

なぜか、あの人を見るとほっとしたような気持ちになる。
一瞬、足取りまで軽くなったように思えた。

女の人は何か言ったようにも見えた。
しかし、鈴の音と羊たちの鳴き声で声は聞こえない。

行き過ぎてから振り返ると、
女の人はリキの頭を軽く撫で、そのまま道を上がっていくところだった。

みかんの木々や畑が広がる一帯を抜けると、遠くに羊小屋が見えてくる。

今年は、みかんがしっかり木に残っている。
リツホたちもほっとしていることだろう。

羊を入れる囲いの前に、ディアッキが立っていた。
目がいたずらっぽい笑いを浮かべている。

嫌な予感がした。

「よう~、ジョキス」
言うが早いか、ディアッキは足元のバケツを持ち、中の水をこちらにかけてきた。

ヤギと羊がいて、よけることができない。
ジョキスの上半身が、水浸しになる。

「おい、ふざけんな!」という呆れ声と、
「この前のお返しだ!」という叫び声が交差した。

ディアッキは、少し距離を取り、笑いながらこちらを見ている。

ジョキスは、ふと我に返って後ろを振り返った。
大丈夫、ヤギも羊も、濡れてない。

まずは、この子たちを囲いの中に入れて落ち着かせよう。
リキにも、食事と水をあげなくては。

ディアッキには、そのうち返してやるか。

冷たい風が抜け、濡れた服の感触が肌に伝わってくる。

ジョキスは大きく身震いして、
「よーし、着いたぞ」と呼びかけた。

その声に答えるように、羊たちが一斉に鳴き始めた。
コロン、カラン。
首につけた鈴の音が、その声に重なった。


続きを読む



リュオーレの物語は、少しずつ続いていきます。
各話への道しるべは、こちらから。
リュオーレの物語 道しるべ|湖上珊歩