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江之浦測候所前夜からシン・メイゲツモン【明月院&根津美術館3】神奈川県鎌倉市&東京都港区

由緒ある建物がその長い歴史の過程で移築を重ね、永住の地に辿り着く。
観光コンテンツに必要とされるのは、そんなレアストーリー。
数百年の歴史を持つ建物かつ複数回の移築ともなれば、詳細なヒストリーは「〇〇と伝わる」的なオブラートに包まれても仕方ありません。
ただこのネット時代にあっては、どこかに埋もれた情報はないものかと気になります。


前回の記事では、明月門伝来の謎!的なやや勿体つけたエンディングにしてしまった江之浦測候所。
明月門の前に、測候所のプロトタイプというべき作品も補完しておきます。
実際、新素材研究所の超初期の設計だったそのミュージアムには、測候所で見られたディテールも。
プロトタイプは江之浦測候所とは箱根山の反対側に位置する、クレマチスの丘(静岡県長泉町)にあります。

IZU PHOTO MUSEUM:クレマチスの丘

クレマチスの丘は、スルガ銀行創業家ファミリー企業によって開発され、庭園、複数の美術館やレストランが立ち並んだ美術館リゾート。

その中に2009年に開館したIZU PHOTO MUSEAMは、杉本博司(新素材研究所)により設計された写真系ミュージアム。ただし2018年から長期休館中。
そしてすぐそばにあるヴァンジ彫刻庭園美術館も現在休館中。
また敷地内にあったレストランやショップも、現在は閉店と残念な状況にあり、一帯は塩漬け状態。

スルガ銀行の融資問題によるゴタゴタや、創業家ファミリーの銀行経営からの撤退、そして例の流行り病等々、現状の理由は複雑なようです。
ちなみにヴァンジ彫刻庭園はリアルに紆余曲折を経て静岡県へと寄贈。
目下復活プランを模索中(あまり希望の光は見えていないようにも)。

休館後に気になって、現状確認しています。

たぶん草間彌生

放置状態なのか分かりませんが、それほど荒れてはいませんでした(ヴァンジ美術館休館後は不明)。
ちなみに開館中に企画展を訪れたのは、ずいぶん昔の2013年(写真なし)。
カミナリをフィルムに記録したかのような杉本作品「放電場:ライトニングフィールド」や古墳のような薄い石の積層ぐらいが記憶の片隅に。

塩漬けされた入口
パンフ 2013年版

ミュージアムの情報は、同じくクレマチスの丘にあるベルナール・ビュフェ美術館(こちらは現役)のHPにあり、現在休館中と案内は最小限。

こちらの石屋?さんのHPには、新素材研究所の作品としての施設情報が。

薄い根府川石を積み上げる手法は、ココで試されていました。
石垣とはややニュアンスが異なり、どちらかといえば古墳的な雰囲気。

シンプルで興味深い建物でしたが、この立地で写真美術館が成立するのか?と疑問が湧いたのも正直な所。
ちなみに長泉町(人口42,000人)は、静岡県内の「街の住みごこちランキング」で7年連続No.1に選ばれています(2025年)。

江之浦測候所はIZU PHOTO MUSEAMの延長線上にあり、その発展形という印象です。プロトタイプもいい感じにエイジングが進んでの復活を期待。

元チケットセンター 侘しい

それでは今回の本題、明月院へ。

明月院:北鎌倉

奥に見える総門

測候所のパンフにあるように明月門オリジンの地は、神奈川県鎌倉市にある古刹明月院めいげついん。あじさい寺で知られているようですが、その名称でアピールするお寺はココだけではありません。
ちなみにあじさいの季節には、境内にあふれ過ぎる観光客の写真を目にします。個人的には、そういう状況であじさいを楽しめるのか疑問ですけど。

神奈川県鎌倉市山ノ内189

お寺の歴史は平安期1160年、首藤経俊しゅとう つねとし(1137-1225)が父の菩提を弔うため創建した明月庵が源流。

鎌倉期1156年には、北条時頼ほうじょう ときより(鎌倉幕府5代執権:1227-1263)により最明寺が建立されます。
そして時頼没後に時宗ときむね(8代執権で時頼の子:1251-1284)よって最明寺は禅興寺として再興。

室町期の1380年には、上杉憲方うえすぎ のりかた(関東管領:鎌倉公方の補佐:1335-1394)によって禅興寺の伽藍は整備され、関東十刹の一位にランク。
この時期に明月庵は明月院と改められ支院のトップに。

江之浦測候所の解説では明月門は室町期のモノという事だったので、この伽藍整備の頃に建てられたのでしょうか?

境内のお花配置が細かく記されたパンフ。

パンフ 2022年版

パンフのタイトル写真は、季節によって変更されているようです。

3月でしたが拝観者はそれなりに。人の少ないタイミングもそこそこ。
そしてこちらの名称は山門。

山門
枯山水庭園
本堂

あじさいと並ぶ明月院のフォトスポットが悟りの窓
行列になる事もあるようですが、そういう時は庭をぶらぶらが基本。

悟りの窓

季節を選べば、並ばずともOKのようです。
そもそも大行列とは、煩悩大集合の状態が可視化されたモノ。
美しい庭園をのんびり散歩すれば、鎌倉ならではの自然との出会いも。

開山堂
瓶の井

鎌倉でガサッガサッと音がする時は、疑うべきはリス。

住宅地の電線をチョロチョロ走ってる姿にも何度か遭遇。
鎌倉市内では増殖中らしく、比例して被害も。
見た目はカワイイけど・・・ 人と野生の共存はバランスが難しい。

本堂裏の庭園には、ベンチで座禅を組んだオバサンが一人。

結局動かず

振り返れば、煩悩溢れる人たちを覗く窓。

総門から本堂へと進まずに、左側へ向かうと見えてくるのが時頼廟所。
かつての最明寺跡に建てられているそうです。

時頼廟所

後北条氏ではなく、鎌倉幕府執権北条氏の三つ鱗紋こそがオリジナル。

廟所のそばにはお墓が。

北条時頼 墓所

実質、幕府最高権力者のお墓にしては小ぶり。

現在の明月院には、正門という名称の門はありません。
明月門は惣門のあたりに建っていたのでしょうか?
倒壊したのは関東大震災(1923年)での話。調べても鎌倉での写真はもちろんのこと、情報はほぼ皆無。

鎌倉めぐりの参考になるのはこちら。

仏像ネタを中心に鎌倉のお寺を網羅した1冊。もちろん明月院も。
ちなみに仏像は、鎌倉国宝館に寄託されているモノ多し。
明月院蔵からは上杉重房うえすぎ しげふさ像がエントリー。
重房は鎌倉期に京都から下向し、公家から武家化した一族の祖。
記事には明治期の古写真も数点掲載されていますが、明月門は見当たらず。
(関東大震災で倒壊している鶴岡八幡宮の写真はあったのですが)

2022年3月

シン・メイゲツモン:根津美術館

ここで江之浦測候所のパンフから、明月門の説明を要約。

明月門は室町時代に建てられた鎌倉明月院の正門。
1923年の関東大震災で半壊し、茶人の仰木魯堂おうぎ ろどう、ビール王馬越恭平まこし きょうへい、鉄道王根津嘉一郎ねづ かいちろうとオーナーを変えます。
そして21世紀の根津美術館建替時に門は小田原文化財団へと寄贈され、鎌倉を飛び越えて小田原の地に移築。

ポイントは、旧オーナーがいずれも昭和初期の数寄者。
倒壊した明月門を解体保存したのは仰木魯堂(建築家で設計茶室が現存)。
自邸の門として復活させたのはビール王。
そしてビール王と鉄道王は共に東京青山に自邸を持ち、共に太平洋戦争で自邸が被災するという残念な状況に。
幸運にも生き残った明月門は、馬越邸から根津邸の門になったという経緯。
ちなみに馬越恭平と根津嘉一郎は、ビールビジネスでは鎬を削った間柄。

あえての休館日

根津邸を展示室化した根津美術館は、1941年の開館。
美術品だけでなく庭園も見所で、質・量ともに充実した鉄道王のコレクションを所蔵・展示しています。白眉は尾形光琳の燕子花図屏風(国宝)。
2006年に隈研吾設計の美術館(現在の建物)へと生まれ変わっています。

東京都港区南青山6-5-1

根津美術館の初見は、2001年ごろ。建替え以前には大した知識もなく何度か足を運んでいますが、明月門の記憶は全くありません。

唯一、駐車場から玉砂利をザクザク歩いて展示室に向かった記憶のみ(ヘタすると庭も無料で見れそうなゆるい雰囲気と)。
それらしい門もなかったような。

パンフ 2001年版

手持ちの最も古いパンフを見てみると・・・

美術館庭園マップの端っこに、なんかあります!

パンフ拡大 2001年版

名称もズバリの明月門。
これまで全く気がつかず。庶民はいつも駐車場側からズンズン入場。
美術館の正門は、骨董通り側だったようです。

では現在はどうなっているのか・・・

グーグルマップにもあるように、石人像に守られたシックな門が。
21世紀風の呼び名はシン・メイゲツモン(たぶん)。

シン・メイゲツモン

いわゆる玄関まで距離のある富裕層邸宅のお手本スタイル。

その後も気にかけて見ていますが、場所柄なのかモデルさんらしき方がお洒落な服に身を包み写真撮影(記念写真ではない)している様子も。

朝鮮石人像

真相に迫るというと盛り過ぎですが、一応スッキリした明月門。
アナログなパンフ蒐集によって辿り着けたのは、デジタルとミニマリストへのアンチテーゼでしょうか。

そして数寄者の系譜にその名を連ねているのかも分かりませんが、何らかの王の称号を得るであろう杉本博司さん。
江之浦測候所を見て回れば、自らの審美眼を基準に歴史の欠片蒐集を続けるアーティストに、終着点がなさそうなのは一目瞭然。
測候所は、明月門永住の地になり得るのでしょうか?

前編となる現在の明月門の記録はこちら

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