雪村 ≒ Session!!【茨城県立歴史館:森京介】 茨城県水戸市
江戸時代の関東地方に配置されたのは、徳川家の譜代・親藩大名。
ゆえに転封(引っ越し)が多く、固定された殿様がややレアな地域です。
その中で常陸の国の水戸藩は、ほぼ江戸期を通じて水戸徳川家が領有(家康の子だから当たり前か)。
平安期から常陸で幅を利かせていた源義光系の佐竹氏を東北・秋田へと追いやり、江戸の北側の備えとして末っ子を布陣。
現在の水戸市民にとっての殿様は、水戸徳川家で間違いなさそうです。
ただアート系の歴史に、徳川家の関与はさほど感じられない常陸の印象。
水戸市の人口は265,000人。ここ1年間はほぼ横這いながら、県内では最多。
一方、第2位のつくば市は微増傾向の263,000人。
歴史の浅い学園都市が、県庁所在地の人口規模を超える日は近いかも。
そんな県の中心・水戸市は県立の美術館と歴史館(博物館)を擁し、加えて市立博物館に芸術館と公立の文化施設が充実。
以前に県立近代美術館を記録しましたが、今回は美術館の北西、千波湖の対岸に位置する歴史館を。

茨城県立歴史館

茨城県立歴史館は1974年の開館。設計は失礼ながら初耳の森京介。
他に手掛けた作品には沼津市明治史料館と、これまたレアなミュージアム。

歴史館は茨城県の古代から現代までの歴史全般資料と文書類を収蔵・展示する県立ミュージアム。歴史博物館+文書館から歴史館と命名。
目を引くのは一橋家12代徳川宗敬より寄贈された一橋徳川家関係の資料群。1987年に約6,000点の展示用として一橋徳川家記念室が増設されています。
茨城県水戸市緑町2-1-15
歴史系のミュージアムらしく、重厚で落ち着いた雰囲気の空間。

2024年度はオープン50周年と節目の年。

2F通路では、50年のあゆみを過去開催の特別展ポスターで回顧。
個人的に興味を惹かれる展示は、申し訳ありませんが数年に1回程度。
ただしそれは、他の県立ミュージアムも同様。
そして足を運ぶ頻度が変わるのは常設展示の充実度や工夫。
そういう意味では、市立ミュージアムの方が小回りが利いている印象。

常設展示では県立ミュージアムあるあるの複製が多用される茨城県。
つまりは撮影禁止ネタも多数。
その中から水戸関連の資料を中心にいくつかチョイス。
徳川光圀像(立原杏所筆:複製)。原本も歴史館の所蔵。

徳川光圀(1628-1701)は水戸藩2代藩主。
いわゆる助さん、格さんのご主人様である水戸黄門。
そして光圀は2代目の黄門様(初代は藩祖頼房)。
朱舜水像(立原杏所:複製)。こちらも原本は歴史館蔵。

朱舜水(1600-1682)は中国の儒学者。1660年に来日し、光圀が藩へと招聘。黄門様や助さんの師となり、水戸学の源流となった人。
そして水戸藩と言えば大日本史。

光圀が主導した全397巻の日本の歴史書は、完成までに250年という超大作。
その印象は、けっこう文字が大き目。
この大日本史の編纂事業は、藩財政の重荷とされています。
3代藩主徳川綱條が編集したのが常山文集。

先代光圀の残した詩や文書をまとめ、4代宗堯が発刊。
綱條は光圀の甥(庶兄の子)。本来兄(松平頼重:高松藩主)が継ぐはずの水戸家当主となっていた光圀は、後継に甥を選択(自身の子は高松へ)。
次は茨城県の西湍、古河ゆかりの展示品。このあたりは県立らしさ。
雪華図説は1832年に土井利位が発刊した、86種もの雪の結晶カタログ。

土井利位(1789-1848)は古河藩主で、雪の結晶の研究家として知られています。愛称はなんだかオシャレな雪の殿様。
右腕だった家老鷹見泉石の肖像画(渡辺崋山筆)は国宝(トーハク蔵)。
つづいて県南出身の冒険家が残した資料、北蝦夷図説(1857年)。

図説は間宮林蔵(1780-1844)による樺太探検レポート。
林蔵は常陸の人(つくばみらい市に資料館あり)。
幕臣として蝦夷地調査に従事し、測量技術は伊能忠敬仕込み。
最近鉄板化されている展示は、庶民の住宅コーナー。
他館と異なる視点は、電化以前・以後での比較。


もう一歩進んで、スタイリッシュ&ミニマルなスマート住宅もありかも。
当時の看板もいまや貴重な歴史資料(リアルな経験のないグループ編)。
絶滅の日が近づく蛍光管・・・

続いて子供のころ、田舎のボロ屋の壁に掛かっていた看板編(イメージ)。
調べてみるとネットオークションでは、意外にもけっこうな金額で取引されていて驚かされます。

大村崑もいずれは重要文化財か?
またレトルトパックではなく「ヒートパック」のボンカレーの方は、顔は知っているけど名前は知らない人の代表。
山口の自転車にいたっては、まったく分からん。
常陸を深堀するためのガイドブックを2冊(ほぼ江戸期限定)。
1冊目は徳川御三家の一角、水戸藩(シリーズ藩物語:現代書館)。
複数いた黄門様また光圀の苦悩、そして水戸学の歴史が満載。
2冊目は譜代の古河藩(同:シリーズ藩物語)。
雪の殿様主従についても、もちろん掲載。
また土井家初代は、家康ご落胤説のある利勝。藩物語にもチラリと。
歴史館にもどります。
特別展の前に専用展示室を。
一橋徳川家記念室

なぜ水戸の地に一橋家の大名道具類が?
最後の徳川将軍15代慶喜は水戸家の生まれ。
そして一橋家を相続後に将軍家を継いでいます。
その流れでと思いきや事実は全く違いました。
一橋初代は徳川治済(1751-1827)。8代将軍吉宗(1684-1751)の孫であり、将軍家のスペアとして吉宗が創設した御三卿の後継に。
何かとフィクサー的な一面が取り上げられますが、おじじ様の吉宗も将軍就任前には、キナ臭い事象がアレコレ。
そもそも治済自身にも将軍継承の資格があり、武家では権力闘争は当たり前(ある意味仕事?)。

肖像画(重要文化財)は3重の箱入り。その保管は厳重に。
治済の従一位口宣案(重要文化財)

徳川家でも、将軍以外の人物が生前に従一になるのはレアケース。
息子家斉が11代として将軍職に就任したおかげか。
治済・家斉親子は贅沢三昧を極め、幕府財政を疲弊させたと揶揄されます。
ただ後世から見ると、文化面の爛熟においては足利義政的な存在だったのかもしれません。
一橋コレクションを歴史館に寄贈したのは、先述の12代宗敬(1897-1989)。実は水戸徳川家12代篤敬の子として生まれ、一橋家を継承。
クラシック音楽を愛した人で、愛聴盤のレコードコレクションや当時のプレイヤーは水戸市立図書館(水戸市立博物館併設)に所蔵されています。

紀伊の頼宣系から水戸の頼房系になっていた一橋家。
治済が聞けばビックリでしょうか。

歴史館では、御三家&御三卿と豪華な徳川ファミリー。
特別展は常陸ゆかりの絵師がその主役。
ただそのプロフィールの多くは謎に包まれ、何かと正解とスピードが求められがちな現代においてはアンチテーゼな展示。2025年春のお話。
雪村でせっしょん

せっしょん、する? と今風のゆるーいコピー。布袋さんもハマりすぎ。
雪村は室町時代の画僧(絵描きのお坊さん:1490年頃-1590年頃)。
まず生没年がハッキリしない人ですが、86歳以上確定と当時としては長命。
出自が常陸を拠点とした佐竹氏という禅宗の僧(夢窓疎石の法系)というのが個人的興味のポイント。
常陸で生まれ、相模の鎌倉や小田原そして南奥州の会津、三春に足跡を残しているのは間違いないフットワークの軽い人。
「西の雪舟、東の雪村」と呼ばれるそうですが、これまた常陸ゆかりの岡倉天心(1863-1913)は、「雪舟と阿弥家との間にありて、雪舟が表とすれば雪村は裏」と高評価(かなり意訳)。
ちなみに阿弥家は水墨画、お茶、連歌、鑑定と多芸で室町将軍家のアートディレクターを務めた人々(ザックリと能阿弥、芸阿弥、相阿弥の3代)。
展示には歴史館ほか地元茨城県所蔵作品が目立ち、栃木県や福島県と雪村ゆかりの地域から33年ぶりに常陸に大集合!
関西のコアな美術館からは大和文華館(奈良市)所蔵作品が多数。

2025年2月-4月 @茨城県立歴史館
雪村はその出自から佐竹氏、小田氏、足利氏(古河公方)所蔵の名品から学んだとされ、鎌倉や京都の名僧とのつながりも指摘されています。
興味の根底は戦国末期の佐竹家の立ち位置。ちょうど鬼義重に時代です。
佐竹家は地政学的に、奥州南部へと伸長してきた伊達家に対抗した大名衆の後ろ盾。また関東全域へと北上拡大路線を続けた後北条氏に対しては北関東勢の旗印。そういう状況の戦国時代に、どうやって自由に動き回れたのかというのが最大の疑問。
時代を細かく俯瞰すると、雪村の生涯は他大名家とのガチンコ決戦時代よりもわずかに前という絶妙な時期。これもめぐり合わせでしょうか。
ちなみに伊達家とバチバチだった蘆名家には、家中混迷を利用して当主の養子に送り込まれたのは佐竹義重の子。また雪村が三春時代に世話になった田村清顕は、伊達政宗正室(愛姫)の父という関係性。
メインの展示室は撮影不可でしたが、一部撮影可の作品は一橋記念室に。
まずはそちらから(通常は一橋関連の専用室)。

そこにはクローン文化財という見慣れない名前が。
そして間違い探しのような展示光景。
元々は3幅セットだった作品が、寿老人図・猿猴図。

その中で、禅宗画で時々見かける2幅のテナガザルが歴史館所蔵作品。
そしてセンターだった寿老人は、太平洋を渡ってアメリカの美術館所蔵に。

フリーア美術館蔵の寿老人図は、美術館創設者の遺言によって門外不出に。
そこで日本で3幅が揃う可能性が低い事から、東京芸術大学、フリーア美術館、茨城県立歴史館による共同プロジェクトで、2021年に制作されたのがクローン文化財です。その実体は、簡単にいえば文化財のデジタル化。
トーハクでもキャノン製の国宝絵画をよく見かけますが、原本保存かつ間近で鑑賞できる機会が増えるという三方よし!な21世紀の模写スタイル。
さらにもう一歩踏み込んだのがスーパークローン文化財。

寿老人図のみ、雪村による完成時の姿(シミや擦れ跡等の経年劣化と損傷を除去)と考えられる状態を想定して復元されています。
こちらは正直スッキリ過ぎな印象・・・ このあたりの塩梅はむずかしい。
展示されていた作品を、手持ちの写真から。
花鳥図(重要文化財)は大和文華館(奈良市)所蔵。

いかにも室町期の水墨画。ガラスの反射はゴメンナサイ(スマホの限界)。
つづいての書画図も大和文華館蔵。

こちらは着色されていますが、やはりあふれる室町期の空気感。
ちなみに雪村自画像も所蔵している、スゴすぎる大和文華館。
特別展にも来ていましたが、残念ながらその写真はなし。
その代わりにこちらを。
呂洞賓図(重要文化財)も大和文華館所蔵。

特別展には来ていませんでしたが、
龍に乗ってあふれるパワー120%!的な作品。
2017年東京芸術大学美術館での雪村展が「ゆきむら」ではなく「せっそん」というコピーでした(行ってないけど)。
そして当時のチラシやポスターのメインビジュアルが確かコレ。
ドラゴンボールにも影響を与えたとか与えていないとか・・・
私淑とは
メインの展示室には、後世の絵師による模写の展示も。
狩野養信(木挽町狩野:幕府奥絵師)もその1人。
雪村の技量は江戸期の狩野派でもお手本となり、狩野崖芳や橋本雅邦と近代日本画へと受け継がれます。
最も興味深かったのは雪村作と並んだ尾形光琳による完コピの共演展示。
渓橋高逸図こそは、光琳が雪村の技術を研究・継承していたエビデンス。
光琳と言えば私淑で知られる琳派を代表する1人ですが、その光琳が東日本を拠点としていた雪村に私淑していたという事実。
そこへ謎かけするかのように展示されていたのが欠伸布袋・紅白梅図。
残念ながら写真はありませんが、素人目にはフツーの水墨画。
中央に欠伸顔で伸びをする布袋さん。両脇に紅白梅図という三幅画の構成。
それは、紅白梅の枝ぶりが尾形光琳の紅白梅図のベースでは?という諸説あります的な作品(ホントかー!)。
加えて紅白梅図の款記の違いから光琳作では?という見方もあるそうです。
ちなみに光琳の紅白梅図での布袋さんポジションは、特徴的なグルグルな川へと昇華。

光琳が受け継いだ雪村の魂は紅白梅図屏風へ(たぶんそういうコトに)。
いまだ正解にたどりつけない世界。
まあネット上に答えはないでしょうけど、がんばれ生成AI。
ライバルだった伊達家との関係
東北地方にあまたいた武闘派大名の中で、アート界隈においても高い存在感を示していたのが油断ならない御屋形伊達政宗(1567-1636)。
政宗ゆかりの作品も、数点が仙台から来襲。
キャプションに目が留まったのは、仙台藩伝来の山水図(仙台市博物館蔵:写真なし)。雪村作品を所望していた政宗のため、重臣白石宗実(白石家は後に登米領主)から贈られた逸品。政宗が心待ちにしていた雪村です。
加えて同じく仙台市博物館蔵の茅濛図は、4代藩主綱村の茶会で使われたとされています。伊達家中にも浸透していた雪村。
そして領国にある大崎八幡宮(仙台市)や瑞巌寺(松島町:ともに国宝)の壁画や襖絵は、雪村の画風だったそうです。ヤバすぎるぞ雪村!
現在レアな存在になっている図録も添えておきます。
パワー120%以外の紹介作品が網羅されたスペシャルな1冊。

編集・発行:茨城県立歴史館
238ページ 2025年
展示作品とともに、読み応えのある論考にも紙面が割かれています。
ネットで検索しても、出てくるのはもっと古い時代の展示図録。
気長に探すしかありません・・・
水戸市内の歴史系ミュージアムは、県立歴史館が存在するせいか勢いを感じません。県内の土浦市や古河市のような充実した所蔵品や個性は・・・
その代わりではありませんが、かつての佐竹時代の記憶が炸裂する特別展は貴重です。図録が絶版になっているのは、リアルなお客さんによる評価。
次の機会はいつになるのか分かりませんが、見る側も今は雌伏の時期。

千波湖の向こう側、県立近代美術館の記録はこちらから
ちょっと距離はありますが、県北の岡倉天心にフォーカスした美術館も

