#5. 《こだまは、わたしからはじまった》
朝露を含んだ風が、石畳をなでるように吹き抜けていく。
旅の季節にしては、まだ少し肌寒い朝だった。
アリアはひとり、ルーメリアの南端にある旧道の森を歩いていた。
この近くに、記憶にまつわる場所がある──そんな噂を耳にしていたのだ。
「音の祠、ね……」
祠といっても、今はもう地図にも載らない。
森の奥に埋もれた、音にまつわる古い信仰の跡地だという。
アリアが足を向けたのは、ただの好奇心ではなかった。
ときおり、詩(うた)の国から来た迷い子たちが、この世界セレシアに現れる。
彼らを導く“鍵”を見つけられれば、再び帰すことができる──
アリアはその役目を、旅人たちと共に何度も果たしてきた。
けれど今回は、珍しくひとりで行動していた。
──木々の合間、草をかき分けた先。
そこに、ぽつりと立ち尽くす影があった。
少女だった。まだ十にも満たないような、幼い姿。
けれどその目は、不思議なほど深く、森の気配に溶け込んでいた。
「……きみ、どうしてこんなところに?」
声をかけたとき、少女は振り返らなかった。
ただ、胸元を押さえるようにして、何かを探しているようだった。
やがて、ぽつりと声が落ちた。
「……“声”が、聞こえた気がして」
アリアはすぐに察した。
この子も、きっと詩の国から来たのだ。
──
数刻後、ルーメリアの町の入り口。
旅人とリュミエは、古い祠にまつわる伝聞を手がかりに、町の古道具屋を訪れていた。
「音の祠……確かに昔、森の中にそういう場所があったらしいわ」
そう教えてくれたのは、店を営む年配の女性だった。
「誰かがそこへ行ったのかもしれないって、子どもが言ってたのよ」
旅人は顔を上げた。「それって、どんな子?」
問いかけに、女性は少し困ったように微笑んだ。
「わからないの。姿は見えなかったのに、声だけが聞こえたって。
まるで……昔の夢の続きを語るみたいだったわ」
リュミエはその話を聞きながら、肩にかかる髪をなぞった。
なぜか胸の奥が、少しだけざわめいていた。
数時間後。
森の途中で、ふたりはアリアと再会する。彼女はすでに、迷い子と一緒だった。
「来たのね」
アリアは言った。「この子と一緒に、ちょっと先まで歩いていたの」
迷い子はふたりを見るなり、そっと視線を下げた。
「あなたたちも……聞こえた?」
そう問う声は、風に触れるように淡かった。
旅人はひとつ頷き、腰を落とした。
「うん。きっと、君のなかで響いた“なにか”だね。……一緒に、探してみようか」
⸻
森の奥へと踏み出す四人の足音が、湿った落ち葉の上にかすかに響いた。
迷い子の少女は、時おり立ち止まっては、耳を澄ませていた。
その仕草は、まるで誰かの気配を追っているかのようだった。
「なにか、感じるの?」アリアが静かに尋ねた。
少女は、ほんの少しだけ頷いた。
けれど、はっきりとした言葉にはならない。
その曖昧さこそが、詩の国の子どもたちの特徴なのだと、アリアは知っていた。
「ここ、通った気がする……でも、違うかも」
少女の声に、旅人は足を止める。
さっき通ったばかりの木の根元を、もう一度確かめるように眺めた。
「もしかすると、迷っているんじゃなくて⸻何かに導かれてるのかもしれないな」
リュミエがそう呟くと、アリアは小さく息をのんだ。
その可能性に、彼女も気づいていたからだ。
進むほどに、森は少しずつその表情を変えていった。
鳥のさえずりは途切れ、風の音も遠のき、代わりに何か、微かな“間(ま)”のようなものがあたりを満たしはじめた。
「静かすぎる……」
リュミエの声に、旅人は目を細めた。
そのとき、少女がふと立ち止まり、視線を遠くへ投げた。
「⸻あそこ」
細い指が、木々の合間を指している。
その先に見えたのは、苔に覆われた古い石の階段だった。
人の手が入らなくなって久しいのだろう、段差は不揃いで、ところどころ崩れかけていた。
「行ってみよう」
アリアが先頭に立ち、三人は階段をゆっくりと上がっていく。
その先にあったのは、岩肌のくぼみにひっそりと開いた空間⸻
「……これが、音の祠?」
リュミエが呟いた。
そこには、かすかに反響するような音の気配が漂っていた。
何の音とも言えない、記憶の奥で一度だけ聴いたことがあるような、懐かしさを帯びた“余韻”だった。
少女は足を止め、目を閉じた。
「……ここに、いた気がする。わたし」
その声は、確かな響きを持っていた。
彼女の中で、何かが確かに繋がろうとしていた。
⸻
祠の奥に足を踏み入れると、そこには不思議な空洞が広がっていた。
天井の割れ目から、わずかな光が差し込んでいる。
その光は、まるで“こだま”のように空間を渡りながら、音もなく揺れていた。
少女はそっと歩を進め、中央にあった小さな台座に手を添えた。
何かを呼び起こすように、彼女のまぶたがゆっくりと開かれる。
「想い出せないの……でも、ずっとここにあった気がする」
そう言ったあと、彼女は静かに台座のそばに腰を下ろした。
やがて、目を伏せたまま、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始める。
「名前も、帰り道も、忘れちゃったけど……
声だけは、どこかに残ってる気がするの。
あのとき、わたしが呼んでいた“わたし”が、まだ、どこかで……」
アリアは少女の隣に座り、そっと手を重ねた。
そのとき、ふいに風が祠の奥を吹き抜けた。
音にならない音が、空間を震わせる。
「……聞こえる?」
少女の問いに、三人は黙って頷いた。
それは、祠に宿る“こだま”だった。
かつて誰かが祈ったことば。
かつて誰かが探した記憶。
それらが、ここに積もり、響き合い、今、少女の存在に応えていた。
少女は目を閉じ、深く息を吐いた。
そして、ふと、光の中で顔を上げる。
「……わたし、帰れるの?」
旅人は微笑んだ。
「君が、ここで自分の声を受け止めたなら⸻それが“鍵”になる」
そのときだった。
少女の小さな唇が、もう一度ひらいた。
「……あかりが、見えたの」
三人ははっとして彼女を見つめた。
「どんなあかり?」
アリアの問いに、少女は少しだけ微笑む。
「誰かが呼んでいたの。名前じゃなくて、“わたし”の奥にある何かを……
あかりみたいだった。ふるえていて、でも、ちゃんと、そこにあったの」
光が、さらに強くなった。
その言葉と共鳴するように、祠の奥にあった岩肌が静かに開き始める。
奥には、かすかに光る“門”があった。
それは、詩の国とセレシアを結ぶ、記憶の境界にひらかれた扉だった。
⸻
少女は立ち上がり、ゆっくりと“門”へ向かう。
その姿に、もう迷いはなかった。
「ありがとう。……みんなのおかげで、わたし、見つけられた」
そして、ふと立ち止まり、祠の天井からこぼれる光を仰いだ。
その光の中に、かすかに“わたし”の声が揺れていた。
リュミエが小さく呟く。
「声は、忘れても消えないのね……。誰かの中で、生き続けてる」
アリアと旅人は、少女の背中を見つめながら頷いた。
やがて少女は、光の門をくぐり、詩の国へと還っていった。
残された空間には、静かなこだまが響いていた。
⸻
《こだまは、わたしからはじまった》
あかりのように ふるえながら降りていく
誰の声だったかも もうたぐり寄せられないまま
それでも どこかで「わたし」が呼んでいた気がして
あなたを見つめたそのとき
こだまは 静かに応えていた
『詩(うた)の子供たち』目次
◀︎#4. 《木漏れ日の手紙》
#6. 《こたえは旅とともに》▶︎
『詩(うた)の子供たち』マガジン説明
【鍵の言葉】 灯(あかり)
【創作の断片】 記憶の奥の階段
→ 記憶の奥へと降りていくたび、声にならなかった想いがあかりのように揺れはじめる。
その一番奥で、こだまが静かに息づいていた。
【詩のある詩】
《こだまは、わたしからはじまった》
あかりのように ふるえながら降りていく
誰の声だったかも もうたぐり寄せられないまま
それでも どこかで「わたし」が呼んでいた気がして
あなたを見つめたそのとき
こだまは 静かに応えていた
⸻
⸻ featuring シンフォニム「灯(あかり)、忘れかけた声、応える」
こたえてくれたのは、いつかのわたしだったのかもしれない
Photo: Unsplash
(c) s.f.出版
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