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【第9話】 三本の矢

前回の第8話では、上杉家の激動の裏側や、織田信長・伊達政宗といった「殺し合い、奪い合う兄弟たちの泥沼劇」に少し触れました

血で血を洗う戦国時代において、「昨日までの味方が今日の敵」となるのは日常茶飯事。実の兄弟であっても背中を預けることすらできない殺伐とした世の中でした。

そんな中、真逆の美談として今も語り継がれている兄弟たちがいます。

毛利元就が3人の息子たちに教え諭したとされる、あの有名な「三本の矢」のエピソードを知っていますでしょうか?

この三兄弟は、毛利家を支える『骨幹』として、それぞれ全く違う役割と看板を背負っていたようなんです。


長男:毛利 隆元(もうり たかもと)

父から毛利本家の家督を継いだ真面目で優秀な長男。
正室の長男として生まれた毛利家の正統なサラブレッドであり、優れた政治・調整能力を持っていました。
しかし、父が「戦国の超天才・元就」、弟ふたりが「武と智の規格外の天才」だったため、激しいプレッシャーから・・・

「自分は弟たちに比べてダメな長男だ…」
「弟たちが毛利本家を軽視している気がする」

と胃を痛めて愚痴をこぼすような、繊細で人間味あふれる人物だったそうです。

次男:吉川 元春(きっかわ もとはる)

安芸の名門・吉川家に養子(実質的な乗っ取り)として入り、生涯不敗とも言われる圧倒的な武力で毛利の「最強の槍」となった猛将です。

三男:小早川 隆景(こばやかわ たかかげ)

水軍を擁する名族・小早川家に養子として入り、同家を掌握。
瀬戸内海の制海権を握ると同時に、のちに秀吉からも一目置かれるほどの「智謀と外交の天才」として活躍しました。



元就は、当時の有力豪族であった「吉川」と「小早川」に優秀な息子たちを送り込んで乗っ取り、本家の毛利を両脇からガッチリ支えさせる「毛利両川(もうりりょうせん)体制」を作り上げたのです。

そんな強力な弟ふたりに挟まれた長男の隆元ですが、本家の当主として必死に家をまとめ、いよいよこれからという永禄6年(1563年)、41歳という若さで突如急死してしまいます。

残された弟ふたり(元春・隆景)は泣き崩れながらも亡き兄の思いを継ぎ、幼い隆元の長男:輝元(元春、隆景の甥)を命がけで支え抜きました。

この鉄の結束があったからこそ、毛利家は過酷な戦国を生き抜き、幕末まで大大名として残ることができたのです。

ここまでは毛利家の話。

実はこの時代、四国の地にも、毛利家と驚くほど似ている「三兄弟」がいたことをご存じでしょうか?



土佐の小さな豪族から駆け上がった「四国版・毛利両川」


土佐の長宗我部家です。

そもそも「長宗我部」という珍しい苗字のルーツを辿ると、非常に興味深いふたつの説が存在します。

『長宗我部系図』などが伝える「信濃国(長野県)から土佐へ移住してきた渡来人・秦氏(はたし)の末裔である」という渡来人伝承説と、現代の研究者が支持する古代からの土着豪族説です。

どちらにせよ、非常に古い歴史を持つ家系であることに違いはありません。

土佐に根を張った際、同じ「宗我部(そかべ)」という地名エリアにおいて、長岡郡側に拠点を置いた側が「長宗我部」、香美郡側に拠点を置いた側が「香宗我部」を名乗ったのが始まりでした。

ルーツを辿れば古い歴史を持つ長宗我部家でしたが、戦国時代初期の時点では決して群を抜いた存在ではありませんでした。

当時の土佐国は「土佐七雄」と呼ばれる強大な豪族たちがひしめき合う群雄割拠の地であり、長宗我部家はその中の一豪族に過ぎず、スタート地点はそれどころか「どん底」でした。

しかもその長宗我部氏は、元親の祖父:兼序の時代に、城(岡豊城)を追われ滅亡の危機に追い込まれるのです。

しかし、元親の父:国親の時代に見事返り咲きます。

国親の幼少期、長宗我部家は宿敵である本山氏ら土佐の豪族連合軍に攻め立てられ、本拠地・岡豊城(おこうじょう)が落城。
家が一時滅亡するという地獄を味わいます。
土佐南部の一条氏を頼って命からがら逃げ延びた国親は、並々ならぬ執念で旧領を奪還。
「我が家がこの土佐で生き残り、周囲を呑み込むには、強固な親族体制を作るしかない」と誓います。

そして国親は、毛利元就と同じように「他家乗っ取り&兄弟配置戦略」を敢行しました。

長男:長宗我部 元親(もとちか)

父・国親の思いを継いだ絶対的当主。
「土佐の出来人(できもの)」と称され、若き日はおとなしく「姫若子」と揶揄されるも初陣で覚醒。
父の作った土台の上に立ち、群雄割拠の土佐を力強く統一していきます。


次男:吉良 親貞(きら ちかさだ)

土佐の名門・吉良家に養子として入り、同家を吸収。長宗我部軍の「最強の槍」として土佐のライバルたちを撃破し、やがて伊予・讃岐への侵攻でも前線に立った軍事の天才です。


三男:香宗我部 親泰(こうそかべ ちかやす)

かつて苗字の由来を分かち合った香宗我部家の養子となり、同家を完全に掌握。
阿波(徳島)方面の攻略を一手に引き受ける現場の凄腕指揮官でありながら、織田信長や豊臣秀吉との高度な外交交渉まで一身に担った「超スーパーサブ」でした。



一度は滅びかけた土佐の小さな一豪族。
そこから父・国親の執念と、この3人の奇跡的なチームワークによってライバルたちを圧倒し、まずは「土佐一国の統一」を達成。

さらに四国全土を揺るがす一大勢力へと一気に駆け上がっていったのです。


毛利とは「真逆」に回った悲劇の歯車


しかし、この二組の三兄弟は、あまりにも対照的な形で明暗が分かれることになります。

毛利家は「長男が先に死に、弟たちが一致団結して家を守った」のに対し、長宗我部家は「右腕・左腕となる存在、そして未来を託すはずの継承者が次々と潰えていった」のです。


まず、長宗我部軍の「最強の槍」として前線を支え続けていた次男・吉良親貞が、四国制覇の道半ば(30代半ば)で病死。

軍事の大黒柱を失った元親は、大きな片腕を奪われることになります。


そして天正14年(1586年)、決定的な悲劇が襲います。

九州の島津氏を討伐するため、豊臣秀吉の命で出陣した「戸次川(へつぎがわ)の戦い」です。

この戦いで豊臣軍の軍監(司令官)仙石秀久は、元親や信親らの制止を聞き入れず、無謀な渡河・突撃を強行。

結果、島津軍の得意とするおとり戦術「釣り野伏せ」にハマり、豊臣軍は大惨敗を喫します。

この激戦のさなか、元親が溺愛し、教養・武勇ともに完璧な後継者として育て上げていた長男・信親が、わずか22歳で討ち死にしてしまったのです。


暗転する英主と、家臣団のドロドロとした粛清劇


未来そのものであった愛息・信親の死を知った元親は、自害しようとするほど狂乱し、この日を境に「土佐の出来人」と呼ばれたかつての英明さを完全に失ってしまいます。

信親の死によって持ち上がったのが、深刻な家督継承問題でした。

元親もまた父・国親にならい、次男の香川親和(ちかしげ)を讃岐の名門・香川家へ、三男の津野親忠(ちかただ)を中土佐の津野家へ養子として送り込み、周囲を固める戦略をとっていました。

そのため、本来であればこの次男や三男を本家に戻して継がせるのが、血統的にも順序的にも当然でした。
しかし、正気を失った元親は、周囲の反対を押し切って手元にいた弱冠14歳の四男・盛親を後継者に強行指名します。

これに反対したのが、亡き次男・吉良親貞の息子である吉良親実(ちかざね)や、一族の比江山親興らでした。

「順序を無視した家督継承は家中を滅ぼす」と命がけで諫言した親実に対し、狂気に囚われた元親が下したのは、あまりにも残酷な「切腹命令」でした。(諸説あり)

さらにその一族や異論を唱えた家臣たちも容赦なく粛清・追放され、長宗我部家を支えてきた結束は内側からガラガラと崩れ去っていったのです。

そんなゴタゴタした家中において、織田・豊臣との外交を一手に引き受け、狂っていく兄・元親を宥(なだ)めながら、崩壊寸前の長宗我部家を陰で必死に繋ぎ止めていたのが、最後の希望である国親の三男・香宗我部親泰でした。

しかしその香宗我部親泰も文禄2年(1593年)、朝鮮出兵の最中、渡海準備で赴いていた京都・伏見の陣中で、親泰もまた力尽きるように病に倒れてしまいます。


滅びゆく四国の覇者


頼れる弟たち、そして未来を託した長男をすべて失った長宗我部元親。

元親の死後、四男の盛親が跡を継ぐものの、すでに家中はかつての絆を失い、冷めきっていました。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属した盛親は、敗戦後に改易され土佐一国を失います。

さらに15年後の「大坂の陣」にて、盛親は再起をかけて大坂城に籠城。
凄絶な戦いを見せるも敗れ、最後は京都で捕らえられて斬首されました。

この処刑によって、かつて四国を制覇した名家・長宗我部氏は、とうとう歴史の主役から完全に姿を消すこととなってしまったのです。



もしも土佐の「三本の矢」が揃い続けていたなら?


もし——

もしも、軍事の天才である次男・吉良親貞がもっと長生きし、三男の香宗我部親泰とともに兄・元親の両脇を固め続けていたなら——?

百戦錬磨の親貞が生きていれば、あの戸次川での仙石秀久による無謀な突撃を力ずくで抑え込み、信親の討ち死にを防ぐことができたのではないか。

信親が健在であれば、あのドロドロとした跡目泥沼劇も、身内同士の凄惨な粛清劇も起きなかったのではないか。

長宗我部家もまた、毛利家のように幕末までその名を残す「四国の覇者」となれていたのでしょうか?



今夜の井戸端会議は、この「四国のもう一つの三兄弟の、切なすぎるIFの運命」について語ってみました。



もし皆さんが歴史の神様なら、長宗我部家のどの「分岐点」を書き換えてみたいですか?

①「吉良親貞が病死せず、戸次川の戦いを阻止した未来」

②「信親が生き残り、秀吉のもとで四国大名として大成する未来」

③「盛親が関ヶ原で東軍(家康)に味方し、土佐を守り抜いた未来」


「自分ならここを変える!」

「こんな長宗我部家が見たかった!」

という熱い妄想コメント、ぜひお待ちしております……!


それでは、今回はこの辺で……。

また次回の「妄想井戸端会議」でじっくりお話ししましょう。


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