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どうして教師を目指したのか【1】


すべては大病から始まった

14歳。中学3年生の初夏。
私は、ただひたすらにグラウンドを駆け回るスポーツ少年でした。
目標はライバルに負けないこと。
勝つことではなく、負けないこと。
幼い頃から極端に失敗を恐れる傾向があった私は、得意なスポーツでも、
これまで勝てていた相手に、もしかしたら今度は負けるかもしれない…
そういった恐怖心から少しでも解放されたくて、少しでも自信をつけたくて、来る日も来る日もハードな練習を重ねる日々を送っていました。

スポーツに全力で打ち込んでいた14歳の頃

そんなある日――。
私は出場していた大会で、突如、倒れこんでしまいました。
気付けばそこは、病院のベッドの上。
訳も分からず検査を受け、体の組織を摘出され、医者に指示されるまま激痛をこらえて、その日は夜を明かしました。

翌日、神妙な表情の医者から告げられたのは「もうキミは、スポーツをすることが出来ない」という、14歳の私にとって、一瞬では、その言葉の意味を理解できないような重すぎる事実でした。

これまでの努力が、音を立てて崩れていく。
隣を見ると、両親がグッと涙を堪えながら、これからの治療方針について医者と真剣に話をしていました。
私の耳にはもう、なんの音も届かなくて。
ただボーっと、その場で虚空を眺め尽くすだけ。
頭の中に浮かぶのは、形にならない、言葉以前の感情ばかりでした。


教えてくれて、ありがとう

スポーツ特待生の話が消え、一般入試で地元の進学校に入学した私は、なんの目標もなく、思い描く夢もなく、ただ漠然と流されるまま、高校での日々を送っていました。

好きな体育の授業は常に見学。
みんながキラキラ輝く汗を流し、楽しそうにグラウンドを駆け回る姿を、私はいつも隅っこの木陰で眺めることしか出来ませんでした。

勉強は嫌いではなかったし、苦手でもなかったのですが、どうしても、どこか一生懸命になれない自分がいて――。
授業はどこか上の空、試験はいつも中途半端な成績、学校もサボり、ときに抜け出し、かつて毎日のように走っていた公園のベンチに座って、ただボーっと木の葉が揺れるのを眺めていたりもしていました。

誰からも、何も、期待されていない。
この頃の私は、そんな生徒でした。

髪が伸び、沈鬱な日々を漠然と送っていた16歳の頃

なんのために勉強するのか?
その努力に意味はあるのか?
努力をしたところで、またその努力は無に帰すのではないか?
そんな自問自答を、頭の中で、何度も何度も反芻する日々。

私の過去を知る友達や、病について説明を受けた教師たちは、まるで腫物を扱うかのように怠惰な私に優しく接してくれました。
その優しさに甘えて、自問自答するフリをしながら、頑張ることから逃げているだけじゃないか!いつまで下を向いているつもりだ!
頭の中に去来するのは、そんな自らを律する言葉ばかりだったのですが、何故かどうしても、かつてのような努力をするエネルギーが、私の中から湧き出てくることはありませんでした。

「ねえ佐合くん、この問題ちょっと解らないんだけど…」
その日、私は、冷たく静まり返る自習室の椅子に座っていました。
自分でも何故、自習室に入ったのか分からないのですが、ただの気紛れか、それとも本当にただふらりと立ち寄っただけだったのか、いずれにせよ、その日私は高校に入学して2年以上も経って初めて、自習室というものに足を踏み入れていたのでした。

自習室に来たくせに、参考書も出さず、シャーペンも握らず、教室前面に掛けられた時計の針を眺めていた私に声を掛けたのは、隣の席に座っていた去年のクラスメイトでした。
はじめ空席だったその席に、いつから彼女が座っていたのかも分からないくらいボーっとしていた私は、不意に掛けられた声に慌てて反応し、そして自分でも驚くくらい一生懸命に、彼女からの質問に応えようと、シャーペンを握る左手と頭と心をフル回転させていました。

「教えてくれて、ありがとう」

疲れました。もう本当にクタクタでした。人に教えるのってこんなにエネルギーを使うのかと驚いたことを今でも覚えています。
だけど最後のその一言で、久しぶりに「疲れるのも悪くないな」と、そう思える自分がいました。
それからの私が勉強を頑張れるようになったのは、紛れもなく、この出会いのおかげだったと、今でもそう強く思います。


思ったより長くなったので、次に続きます


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