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わたしの一番かえりたいところ|仕事より笑顔の待つ“居場所”


#私の帰りたい場所


このテーマをみたとき、反射的に自分に当てはめてみると、答えは迷わず『わが家』でした。

そして、タイミングが悪い。

「なんてツラいんだ」と思いました。


◆ 仕事中心だった日々

「さすがっ!」
「すばらしい!期待以上の仕事をいつもありがとう」

そんな言葉を求めて、毎日、どれだけ遅くまで働いたでしょう。

数字だけではない、成果と日々の積み重ね。

評価されることに重きを置き、期待に応えることに全力な毎日は、昔ほどではないにせよ、今も変わりません。

同僚に頼まれれば断らず、「明日で構いません」と言われれば今日中に済ませておく。

そんなことばかりしていれば、当然、毎日終電近く、子どもたちの寝顔を見るだけの日が続くのは当たり前ですよね。

異動して、少し早く帰って来れることも増えましたが、それは、たぶん一時的なもの。


◆ 見つけた居場所

数年前、都内に購入したマイホーム。

気がつけば、1人増えて6人暮らし。

喧騒にまみれて怒ってしまう日も、妻とぶつかって「こんな家…」と思ってしまうこともあります。

『違うから』とわかっていながら、仕事のイライラを引きずってしまう情けない自分も。

それでも、転勤族として、当たり前に何度も引っ越しをして、妻にも子ども達にも大きな負担をかけてきましたが、いざマイホームという“居場所”を購入すると、私の中に新しい気持ちが芽生えてきました。


◆ “転勤”に揺れた心

異動の知らせが近づいたある日の帰り道、私はふと、

「このままこの仕事を続けていていいのかな?」と思いました。

もし単身赴任になり、妻や子ども達と離れることになったときのことを想像したとき、これまでどんなにツラいことがあっても、転職や退職は考えたことはありませんでしたが、張りつめていた線が切れ、ボーっとしてしまうような感覚を味わいました。

『ただいま』と玄関を開けたとき、『ギャーッ』と叫びながら走って抱きついてくる小さな腕。

公園やお出かけ先で、やさしく握ってくる小さな手や、少し大きくなった手。

ごはんで散らかるテーブルや床、思いどおりに進まないお風呂や就寝の時間。

『パパ、あのね』と色々な方向から服を引かれ、話しかけられる時間。

なんだか、全部が愛おしい。


◆ 『パパ』の存在


今でも仕事は好きで、頑張ってきた日々や、遅くまで残る人を否定するつもりはありません。

現実に、働かなければ家庭を養っていけないということも十分に理解しています。

でも、これまで仕事第一主義だった自分の中に、もう一つの“軸”ができたことは、事実です。

わが家には、数字や成果じゃ測れない価値があって、誰にも評価されないけど、たくさんの笑顔が待っています。

肩書きや苗字で呼ばれることよりも、褒められたり評価されることよりも、「パパ」と呼ばれるその声と、“今日のできごと”を聞きたくて“妻や子どもたちと話したい”ということが、遅くまで残ることを美学としていた自分がいま、早く帰りたいと思う理由になっていました。

“パパ”と呼ばれることが、こんなにも自分に響くようになるとは、若い頃は思いもしませんでした。


◆ 私だって「行きたくない」

私がこのテーマにツラさを感じた理由は、実は今日から2か月半の長期出張が始まるからです。

この家のざわめきから遠ざかる。

途中、誕生日を迎える子もいます。

きっと、わずか2ヵ月でも、4人の子ども達には、私が見逃したくない、それぞれ新しい「できたよ」が増えていく
 
昨晩、4人を順番に寝かしつけていたときのこと。

『明日からしばらくいないから、ママのことをたくさん手伝ってあげてね』

そう声をかけたら、長男が布団に潜り込んでしまいました。

こういうときは、大抵泣いているときです。

しばらくして、小さな声で『パパと会えないのが寂しい』と、泣きながら私に抱きついてきました。

『たくさんお手紙書いてママに写真送ってもらうね』

長男はいちばんパパっ子だもんね。
パパも寂しいよ。

仕事でどれだけ評価されても、こんなふうに、誰かの心を強く揺らす存在になれることは、ほとんどありません。

こんな自分でも『会えなくて寂しい』と泣いてくれるほどの関係を、ちゃんと築けていた。

だからこそ、自分も「行きたくない」と思えるんだと、胸が熱くなりました。


◆ 仕事より笑顔を求めて

仕事人間の私が、今いちばん求めていて、守りたいものは、慌ただしくて、うるさくて、それでも温かい“わが家の日常”でした。

自分や家族との時間を充実させてこそ、いい仕事につながる

そんなふうに思えるようになった今、私は“「充」私奉公”を目指したいと思っています。
 

超過勤務の時間ではなく、子どもと過ごす長い時間を。
滅私奉公ではなく、充私奉公を。
評価で見いだす立場よりも、笑顔と『ただいま』の待つ場所を。
肩書きで呼ばれる場所
よりも、『パパ』と呼ばれる場所を。



わたしの一番かえりたいところは、マイホームがある住所ではなく、6人で一緒に暮らすこの「わが家」でした。
 


私が、どんなに嫌なことがあっても、仕事を一生懸命続けてこられた理由も、きっとそこにあります。
 
「わが家」がいつまでも、自分が帰りたいと思える場所であり、自分が帰るべき場所であって欲しいと思います。

きっと、私がこう思えるようになったのは、妻のおかげです。

自らも働きながら、4人の育児を体調不良のときくらいしか大変そうに見せずに、そつなくこなしている妻が、今朝『離れたくない』としばらく抱きしめてくれたのが、嬉しかったです。
 
これからは「仕事(評価・成果)」より「笑顔(家庭・子どもたち)」を求めて、
「評価される人間」じゃなく、「帰りを待たれる人間」でいたい——。
今は、そんなふうに思います。
 
 
ひとまず、いってきます。
 



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