見出し画像

[原油] 「6月に日本は詰む」とTBSが脅した日、市場はこっそり暴落の準備をしていた。


こんにちは、葦原翔です。

あの重苦しい夜の空気を、あなたも覚えているでしょうか。
つい数週間前、5月の終わりのことです。

テレビをつけると、どのチャンネルも「世界の終わり」のような顔をしていました。特にTBSの報道番組のスタジオは、まるで喜びを押し殺すような高揚感に包まれていたのです。

画面の向こうで、いかにも知的なスーツを着たコメンテーターが、フリップを指差しながら力説していました。

「ホルムズ海峡の封鎖により、ブレント原油は114ドルを突破しました」
「これはオイルショック以来の危機です」
「このままでは、6月に日本経済は完全に詰みます」
「政府はナフサは充分にあるというが、どこにあるんだ」

電気代は3倍になり、ガソリンスタンドからは給油待ちの列が消えず、日本の製造業は全滅する。そんな、ディストピア映画の予告編のような言葉が、お茶の間に次々と投げつけられていたのです。

私はそれを見ながら、手元にあったマグカップのコーヒーを静かにすすっていました。そして、不謹慎にも少しだけ笑ってしまったのです。

テレビの前の視聴者が「明日はトイレットペーパーを買いに走るべきか」と真剣に悩んでいるその裏で。世界の原油市場という冷徹な怪物は、全く違う絵を描いていたからです。

それからわずか数週間。

時計の針が6月中旬を指した今、何が起きているでしょうか。テレビが「日本沈没」のタイムリミットに指定したまさにその月、WTI原油先物はあっさりと80ドルの大台を割り込みました。

あれほど深刻な顔をしていた予言者たちは、今や何事もなかったかのように定時で退社しています。一体、あの騒ぎは何だったのでしょうか。

なぜ、私たちはこれほど簡単にメディアに怯まされ、そして市場はこれほど鮮やかにその恐怖を裏切ったのか。今回は、ニュースの表面をなぞるだけでは決して見えてこない、原油暴落の「不都合な真実」をひも解いてみましょう。

少しだけ、世界の血流の裏舞台を覗く旅に出かけてみませんか。


第1章:予言者たちの定時退社 〜なぜWTIはあっさり80ドルを割ったのか〜

経済のニュースを見るときに、私たちが絶対に忘れてはならない鉄則があります。それは、「メディアは現在のトレンドが直線で未来に続くと勘違いする」という習性です。

原油が114ドルまで上がると、彼らは「次は150ドルだ、200ドルだ」と騒ぎ立てます。逆に原油が下がると「石油の価値はゼロになる」と言い出す。彼らの世界には、なぜか「振り子」という概念が存在しないのです。

しかし、マーケットの住人たちは違います。彼らは、テレビが「絶望の未来」をゴールデンタイムで垂れ流しているまさにその瞬間、こっそりと売りのボタンを押していました。

なぜなら、米イラン間での停戦合意(MOU締結)の足音が、すぐそこまで聞こえていたからです。

「ホルムズ海峡が、30日以内に開通するかもしれない」

その一報が流れた瞬間、市場のアルゴリズムは容赦ない計算を始めました。
これまで価格に乗っかっていた「地政学リスクプレミアム」という名の恐怖の手数料が、一瞬で剥ぎ取られたのです。

結果として、WTI原油は80ドルを割り込み、ブレント原油も83ドル台まで急降下しました。テレビのコメンテーターが「日本は詰む」と力説していたあのフリップの数字は、インクが乾く前に過去の遺物になったわけです。

メディアの予言が外れるのは、彼らが「感情」で数字を見るのに対し、市場は「確率」で動くからです。海峡が閉鎖されたとき、確かに世界の石油の約20%が物理的に目詰まりを起こしました。

しかしそれは、地球上から石油が消えたわけではなかったのです。ダムの門が一時的に閉まっただけで、上流には水がタプタプと溜まっていました。

門が開くと分かった瞬間に、人々がその水の「大洪水」を予感するのは、あまりにも当然の帰結でした。



第二章:裏切りのサプライチェーン 〜中東が眠っていた間に起きたこと〜

ここで、今回の危機の構造的な本質について、少し頭の整理をしてみましょう。ウッド・マッケンジーなどの国際的な調査機関が指摘する、最も重要なポイント。

それは、今回の騒動が「生産能力の喪失」ではなく、単なる「物流の目詰まり」だったという点です。1970年代のオイルショックのときは、産油国が意図的に「油田の栓」を閉めました。

つまり、世の中に出回る原油の絶対量が減ったのです。しかし、2026年の今回は違います。サウジアラビアもクウェートもイラクも、原油を掘る気は満々でした。

ただ、ペルシャ湾の出口であるホルムズ海峡という「細い廊下」が、一時的に通りにくくなっただけなのです。そして、中東の国々が「廊下が通れない、どうしよう」と右往左往している間。

地球の反対側では、全く別のドラマが進行していました。アメリカのシェールオイル企業たちです。彼らは、中東の混乱をこれ以上ない「ビジネスチャンス」として静かに歓迎していました。

テキサスやノースダコタの荒野で、彼らは最新のAI技術を駆使しながら、猛烈な勢いで地面を掘り進めていたのです。その結果、アメリカの原油生産量は日量1,370万バレルという、人類史上最高水準に達しました。

中東からの血流が滞った数ヶ月間、世界経済の心臓を動かし続けたのは、この北米の圧倒的な物量です。さらに、ブラジルやカナダ、アルゼンチンといった非OPECの国々も、こぞって増産に踏み切りました。

タンカーたちは中東を避け、アフリカの南端である喜望峰をぐるりと回る新しいルートを瞬時に開拓したのです。輸送コストは上がりましたが、「サプライチェーンの目詰まり」を解消するための代替ルートが、この短期間で驚くほどの完成度で構築されてしまいました。

つまり、中東が眠っていた間に、世界の石油の地図は完全に書き換えられていたわけです。そして今、ホルムズ海峡という「元の廊下」が再び開通しようとしています。

何が起きるか、想像がつきますでしょうか。新しく作られた「アメリカ・南米ルート」のドバドバとした供給に加えて。せき止められていた「中東ルート」の日量1,100万バレルという巨大な水流が、再び合流するのです。

これが、市場が今最も恐れている「富の過剰供給」の正体です。


第3章:2027年、原油65ドルへのカウントダウン

ここからの展開は、ジェットコースターのように早くなる可能性があります。ウッド・マッケンジーのシニア・アナリストたちの予測をじっくり読み解くと、彼らは年末の80ドル下落を単なる「通過点」としか見ていません。

彼らの本命の予測は、その先にある「2027年の65ドル、あるいは50ドル台への暴落」です。なぜ、そこまで極端に下がるのでしょうか。理由は簡単です。一度始まった「増産合戦」は、そう簡単には止まらないからです。

アメリカのシェール企業は、一度リグ(掘削装置)を稼働させると、価格が下がったからといってすぐには生産を止めません。なぜなら、彼らの最新の損益分岐点は、WTI原油で「1バレル=40〜45ドル」あたりまで下がっているからです。

つまり、原油が60ドルになろうが50ドルになろうが、彼らは十分に利益を出せる筋肉質な体に進化してしまっているのです。一方で、戦線に復帰する中東の国々の台所事情は、全く異なります。

イランやイラクといった国々は、これまでの封鎖や制裁によって、外貨が喉から手が出るほど欲しい状態にあります。停戦が成立した瞬間、彼らは「1ドルでも多く稼ぐために、上限を無視して全開で売り急ぐ」可能性が極めて高いのです。

サウジアラビアやロシアといった「OPEC+」のリーダーたちは、この事態に大慌てしています。直近の6月にも緊急のバーチャル会合を開き、「みんなで自主減産を維持しよう」と必死に呼びかけました。

しかし、足並みはすでにガタガタです。自分の国の経済が苦しいときに、他国のために我慢できるほど、国際政治の世界は甘くありません。

「みんなが減産している間に、うちだけこっそり増産して売り抜けてしまおう」

そんな疑心暗鬼が、産油国たちの間で静かに広がっています。需要の側を見ても、明るい兆しはありません。国際エネルギー機関(IEA)の最新の報告書は、世界的な景気減速とエネルギー転換によって、2026年後半の原油需要の伸び予測を大幅に下方修正しました。

供給は「空前の大洪水」を迎えるのに、それを飲み干す側の需要は「お腹いっぱい」になりつつある。日量230万〜370万バレルという、近年の歴史にない規模の「オイル・グラット(供給過剰)」が、すぐ目の前まで迫っているのです。

テレビが「供給不足で日本が詰む」と騒いでいた同じ年に、世界は「供給過剰で価格が崩壊する」という全く逆の崖っぷちに立たされている。経済という名の舞台の、なんという皮肉な大転転換でしょうか。


第4章:奪われた需要は、海峡が開いても戻らない

しかし、この原油安のニュースを「あぁ良かった、これで元通りだ」と安心してみてはい高を括るわけにはいきません。今回の数ヶ月に及ぶホルムズ海峡封鎖という「悪夢」は、世界のエネルギー構造に、決して消えない深い傷跡を残したからです。

ウッド・マッケンジーのアナリストが指摘する、最も背筋が凍るようなインサイト。それは、「輸入国の構造シフト(不可逆的な需要の消失)」です。

5月に原油価格が114ドルを超えたとき、日本や欧州、そして中国といったエネルギーの主要輸入国は、文字通り生きた心地がしませんでした。

「中東の、あの細い海峡が一本閉まるだけで、我が国の経済の息の根が止まるのか」

この強烈な恐怖体験は、各国の指導者や企業の経営陣の脳裏に、深い教訓として刻み込まれました。彼らが取った行動は、単なる「嵐が過ぎ去るのを待つ」ことではありませんでした。

彼らは、地政学リスクに依存するエネルギー構造そのものを、根底から破壊するための「強制アクセル」を踏んだのです。

具体的には、産業用ボイラーの大規模な電化、工場への太陽光パネルの異常なまでの敷設、そしてEV(電気自動車)やプラグインハイブリッドへのシフトの再加速です。

「もう二度と、中東の機嫌に我が国の運命を委ねない」

その決意のもとで行われた巨額の投資は、海峡が開通したからといって、決して元には戻りません。一度ハイブリッド車やEVに買い替えたドライバーが、原油が下がったからといって、わざわざ大食いのガソリン車に乗り換えることはないのです。

工場に導入された大容量の電動システムが、再び重油燃料に戻ることもありません。つまり、原油高という恐怖が、世界の「脱石油」の時計の針を、一気に5年は前倒ししてしまったわけです。

海峡が開通し、中東の国々が「さあ、元通りオイルを売るぞ」と市場を見渡したとき。そこには、すでに自分たちの商品を必要としなくなった、冷ややかな世界が広がっているかもしれません。

原油価格が年末に80ドル、来年に65ドルへと暴落していく真の理由は、単に供給が増えたからだけではないのです。「石油の世紀」そのものの終わりの始まりが、この封鎖劇によって決定的に早まってしまった。

それこそが、今回の騒動の裏に隠された、最も巨大な地政学的パラダイムシフトなのです。


結び:僕たちは、次の「詰む」にどう向き合うか

さて、話を私たちの日常に戻しましょう。

原油がこれだけ急落しているのだから、明日からすぐにガソリンや電気代が安くなるかというと、そこには少しだけ注意が必要です。日本の経済システムには「タイムラグ(時間差)」という厄介な同居人がいるからです。

私たちが今使っているガソリンや、工場で使われている原材料は、数ヶ月前の「114ドルの超高値」のときに、必死の思いで買い付けて運んできたものです。

その「高い在庫」が日本のサプライチェーンを通り抜けるには、どうしても3〜6ヶ月ほどの時間がかかります。そのため、私たちの生活実感が本当に楽になったと実感できるのは、2026年の冬から2027年の初頭にかけてになるでしょう。

為替市場に目を向ければ、原油高による「実需のドル買い(貿易赤字)」が減るため、1ドル=160円に迫っていた過度な円安圧力は、徐々に和らいでいくはずです。

年末に向けて、ドル円相場は150〜155円という、少しだけ息のしやすいレンジへと緩やかに回帰していくと見られています。

「6月に日本は詰む」

あの日、テレビの画面から流れてきた不吉な予言は、結局のところ、ただの「エンターテインメントとしての絶望」に過ぎませんでした。

世界はそんなに簡単に詰まないし、同時に、そんなに単純なハッピーエンドも用意してくれません。次にまた、テレビが深刻な顔をして新しい「絶望」を語り始めたとき。

私たちは、一呼吸置いて、マグカップのコーヒーをすするくらいの余裕を持ちたいものです。画面の向こうの予言者たちが、トレンドの直線を引いて怯えている間。

世界の賢い資本たちは、すでにその次の「振り子」が戻ってくる場所を見据えて、静かに動き出しているのですから。さて、私たちはこの事実から、次はどのような未来を予測するべきでしょうか。

ガソリンの価格表示が少しずつ下がり始めるロードサイドの風景を眺めながら、そんな世界の裏舞台に想いを馳せてみるのも、悪くない日常の知的な愉しみです。


いいなと思ったら応援しよう!

葦原 翔(あしはら かける) 読んでいただきありがとうございます!もしこの記事が面白い、役に立ったと感じたら、下の「チップを渡す」からサポートしていただけると嬉しいです。あなたの応援が、次の記事を書く大きな励みになります。

この記事は noteマネー にピックアップされました

noteマネーのバナー