[エッセイ]「そういえば」と思い出す過去の彩りは鮮やか。
ある程度の齢を重ねた人間の胸がドキドキする要因は概ね限られてくる。
もちろん大概は心疾患なのですぐに病院へ行かなければいけない。
だが、稀に恋の場合もある。
「いい歳をして恋なんてみっともない」と世間一般はテンプレートをぶつけてくるかもしれないが相手に迷惑をかけないなら想うのは個人の自由だ。
そういえば「テンプレート」ってなんか語感が良い。
「天ぷら」に少し似ている気がする。美味しそう。前世は親戚だったのかな。「天ぷらテンプレート」ってビジネス用語みたいで日常で使ってみたい。叶うなら揚げてみたい。
話が逸れてしまったが、こんな私にも胸がドキドキする時がある。
ここまでの導入で気づいた人もいるかもしれない。
そう、まさに豚骨ラーメンが目の前に現れた時だ。
私はいつの間にか老いてしまった。
老いるつもりなんてなかったのに、その選択肢すら与えて貰えなかった。
ポテ〇チップスを食べれば必ずニキビが出来て、油汁を飲めば腹を壊す。脂質を資源に生きているのにも関わらず年々、油ものを受け付けられなくなってしまっている悲しき生き物。
ちびまる子ちゃんの世界線で表すなら体系は小杉くんなのに胃腸は山根、そして、精神は藤木というあの永沢くんですら同情してしまう程の虚弱合成獣。(さくらももこ著「永沢君」は本当におすすめです)
それが私だ。それでもその豚骨ラーメンを食べることだけはやめられない。
どこのどんなラーメンかは明言するのを避けさせて欲しい。ラーメンの世界にはそれぞれの流派があり権力闘争が盛んに行われていて非常に面倒くさい。おっとアブナイ。アヤウクホンネガデカケタノデ、カタカナデゴマカシマス。
「こってり」という言葉が目に見える程に芳醇なスープ。
湧きたつ湯気に触れて歓喜の声をあげた私の眼鏡はあっという間に白く曇る。
スープの上にバランスよく載せられた具材たちは光輝く宝石と遜色ない程に美しい。
スープが海ならば麺は大地。
どっしりとしたその体躯をスープの海に浸からせて、まさに主役然とした立ち振る舞いを求められながらも決して何ものも侵すことなく、ただ佇むだけ。
そして、代わりに主役然として振る舞う脇役の彼らはどこにでもいるようでその姿を決して見せることはない。
お互いがお互いの良さを引き出し続ける無限ループならぬ無限スープが潤滑油となり、確かにそこには理想郷が生まれる。
それを目の前にして私の心臓の鼓動は早鐘を打たずにはいられない。
本能が告げる。ああ、まさに天下一品。
そんなラーメンをどうしようもなく食べたい夜がある。もちろん昼もあるし、なんなら朝からいける。
真面目な話をするならば、きっとこれが唯一の正解というわけではない。
好みは恋愛と同じで人それぞれだ。
ただ私にとって恋のように胸がときめくものがその豚骨ラーメンというだけだ。
そして、その豚骨ラーメンは私にとっては過去と結びつけてくれる大切な存在でもあるから、次の日に胃もたれするとわかっていても箸を割らずにはいられない。
ところで、河の豚がフグで海の豚がイルカなら田舎の寒村の豚が私だ。
そんな私にも健康優良児だった時代がある。毎日21時には寝て6時半に起きる規則正しい生活を中学生になるまで続けていた。(それでも太っていた)
夜更かしをしたのは大晦日と母に付き合って見ていた冬のソナタの最終回。(サンヒョクが好きだった)
そして、兄と夜釣りに行った時だけだった。
歳の離れた兄は私の面倒をよく見てくれる人だった。
学校に行きたくなくて登校班から遅れてしまった私をバイクに乗せて送ってくれたり、野球やバスケ、カードゲームなど色んな遊びに付き合ってくれたり、時には忙しい両親に変わってご飯もつくってくれた。
そして、私が嫌なことがあってふさぎ込んでいる時は必ず外へドライブに連れて行ってくれた。
あの頃の兄の年齢を過ぎたからこそ生意気盛りの小学生だった私に兄がしてくれたことへの感謝の念は増すばかりだ。本当に返しようのない恩がある。それくらいたくさんの思い出を作ってくれた。
そんな中のひとつに夜釣りがあった。
オンボロの紫色の軽自動車に乗って他愛のない話をしながら海まで向かう。
一時間のドライブで記憶に残るのは兄の吸った煙草の残り香とカーステレオから流れて来るJUDY AND MARYの「orange sunshine」、そして、少し開いた窓から仄かに漂ってくる潮の予感。
その日あった嫌なことは海に行くまでに大抵は忘れていた。
そして、海について竿を垂らす。
何かが釣れるわけではない。釣れない日の方が多かった。だけど、堤防に兄と並んで座ってボーっと海を眺める時間はとても心地よかった。
釣りを終えて海からの帰り。
兄は必ずラーメン屋によって豚骨ラーメンをご馳走してくれた。
思い返せばあの頃から私はその豚骨ラーメンに心を奪われてしまっていたのかもしれない。
そのおかげでシーシャの煙よりもラーメンの湯気で満足してしまうような大人(大きな人=太り人)に成長してしまった。
そういえば、当時はゆで卵が食べ放題で、それはもう逆ピッコロのように卵を飲み込んでいく私を見て兄はいつも微笑んでいた。
そういえば、兄は必ず餃子も頼んでくれて、自分より多く私に食べさせてくれていた。
そういえば、欲張ってチャーハンも頼んで結局、兄に食べてもらったこともあったな。
そういえば、兄ちゃんと最後に食べに行ったのはいつだったかな。
その豚骨ラーメンを前にすると、ふいに忘れていた過去を思い出す。
まるでタイムカプセルのようにその豚骨ラーメンの中に埋まっていた過去はそっと今の私に彩りを与えてくれる。
そして、色んな「そういえば」を積み重ねている内にいつの間にか胸のドキドキは収まっている。
ようやく濃厚なスープを一口。
スープが骨身に染みる。そして、過去の思い出は心に沁みる。
ああ、美味い。
豚足ならぬ蛇足を一足。
今は九州で暮らす兄とは一年に一回会えればいい方だ。
新たな家族が出来た兄と二人きりでドライブすることはおそらくもうないかもしれない。
それでも兄との想い出はいつだってすぐそばにある。その豚骨ラーメンがある限りきっとそのことを忘れさせてはくれないだろう。
だから、私は過去に想いを馳せながら、今日もその豚骨ラーメンに胸をときめかせる。
願わくはこの記事を読んだあなたも豚骨ラーメンに胸をときめかせる日が来てくれたら。
もちろん豚骨ラーメンじゃなくてもいい。
「そういえば」というきっかけになるものに巡り合ってくれたのなら。
いつかお互いの「好き」について話せる日が来るかもしれない。
それってもう広義な意味でコイバナじゃん。
そんなことを想像するとすごくわくわくする。
老いてられねえな。
いつまでも「後半へ続く」
