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価値観の大掃除 ① 公正世界仮設

こんにちは。
『ゆるストイック』を読んで、今後の自分の生き方に大きな影響と参考を与えてくれると感じている、エーショー西郷です。

先日の下記の記事の中では、「古くなった価値観をアインストールすること」の重要性を唱えました。

その中でかつて「当たり前」とされていた価値観を、6つ紹介しています。

1.公正世界仮設 2.被害者意識 3.自己責任論 4.セロリスク思考 5.ゼロ失敗思考 6.ロジカルシンキング信仰

この6つの項目について細かく検証し、自分なりの考えをまとめ、今後の自分のために役立てようと思いました。
今日はそのうちの1つ目、「公正世界仮説」について取り上げます。


🔶公正世界仮設とは?

「公正世界仮説」とは、「世の中は公正(フェア)であり、善い行いをする人には良い結果が、悪い行いをする人には悪い結果がもたらされる」という信念のことを指します。
いわゆる「努力は報われる」「正義は勝つ」「悪事は暴かれる」といった考え方です。水戸黄門が「印籠」を出して、悪人どもを懲らしめるようなシーンが目に浮かびますね。(笑)
確かにそうあってほしいですし、モラル的には最も望ましい価値観と言えます。

この考え方は、人間社会の形成・成熟において、長い間重要な役割を果たしてきました。つまり、宗教や社会秩序の維持のために、「善行は報われ、悪行は罰せられる」「正しい行いは報われる」という信仰が、人々の不安を和らげる役割を担ってきたのです。
また、「努力は報われる」という価値観を共有することが、社会秩序の安定にも寄与してきました。

さらに、この考え方は近代国家の発展にも大きく貢献しています。特に産業革命以降は、労働者に「努力と報酬は結びつく」という考えを浸透させる手段として利用されました。これは社会全体の生産性向上や勤労の美徳を強調するための方策であり、現在に至るまで教育や文化の中で根強く残っています。
その結果、「勤勉に働けば報われる」「善行は社会的成功につながる」という思想が、教育現場でもしっかり根付くこととなりました。

日本の学校教育においても、この価値観は例外ではありません。成績優秀な生徒だけでなく、いわゆるヤンキーや不良と呼ばれる生徒たちも、この価値観の枠組みから逃れることは難しいのです。
そのため、多くの人が「勤労の美徳」という呪縛に翻弄され、その枠内で生きざるを得ない社会になってしまっています。

🔶努力は必ず報われるものではない事が分かった

しかし、この価値観は必ずしも事実とは言えません。実際には、思い通りの結果が得られないケースが多く、そのために自分自身の中で葛藤が生まれます。
つまり、「自己否定」や「他者への不満」が生じてしまうのです。

そして、21世紀の現代社会においては、「公正世界仮説」が当てはまらなくなってきています。
激しい競争とグローバル化が進む「新自由主義」の時代では、個人の努力だけでは結果が伴わないケースが増えているのです。むしろ、結果が必ずしも出ないという現実が、これまでは見えにくかっただけかもしれません。

それでもなお、私たちの社会は「努力は報われるべきだ」という信念に縛られがちです。しかし、この仮説に過度に固執すると、結果が出なかった際に挫折しやすくなります。
21世紀を生きる私たちにとっては、「努力は必ずしも報われるわけではない」という現実を冷静に受け入れることが、ますます重要になってきています。

🔶努力は報われなくても、無価値なわけではない

努力すること、あるいは善行を重ねることが悪いというわけではありません。
ただし、「頑張ったこと」や「正しいことをしたこと」と、「その結果として報われること」は、必ずしもイコールではありません。むしろ、両者に明確な因果関係はないと言ってもよいでしょう。

それでも私たちは、「努力は報われる」「正義は勝つ」といった価値観を、社会や教育の中で自然に刷り込まれてきました。実際、この信念は封建社会や近代国家において、秩序を維持し、社会を発展させるために重要な役割を果たしてきたのです。いわば、長い歴史の中で人間社会が必要としてきた「信念」だったとも言えます。

ただ一方で、「努力や善行には必ず報いがある」と信じること自体、少し打算的で、利得を前提とした考えに見えないでしょうか。
もし本当に神のような存在がいるとするならば、「報い」を期待して行動すること自体が、かえって不純な動機と見なされるかもしれません。
むしろ、「たとえ報われなくても、自分は努力し続ける」「善行を積み重ねること自体が修行であり、生きる目的である」という心持ちの方が、はるかに尊いのではないか──そう思うのです。

宗教的な話この辺にしますが。
少なくとも「報い」を過度に期待する姿勢だけは避けたいものです。努力や善行の成果は、必ずしも即座に報われるものではありません。むしろ、それらは長い時間をかけ、間接的に、ある日ふとした形で実を結ぶことがある。そういうものではないでしょうか。

大切なのは、目先の結果にとらわれず、自分が「やりたいこと」や「やるべきこと」を淡々と続けていくことです。そうすることで、少しずつ内面が変わり、新しい発見が生まれ、自分自身が成長していく。
それこそが、「ゆるストイック」の本質だと思います。

「公正世界仮説」にとらわれすぎず、自分の信じた道を、結果ではなく“行為そのもの”の価値として受け止め、続けていけたら――それが、私たちの力になるのではないでしょうか。

では~。