創作大賞執筆余話
創作大賞2026に応募された方、お疲れ様でした。
以下は、おれ個人の感想です。
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おれは今回初めての応募だったけれど、可視化された応募作の多さに圧倒されている。
応募された作品でこれだけあるのだ。締め切りに間に合わなかった作品を合わせれば、どれだけの数になるのか。ちょっと想像できない。
もし、「絶対出したかったのに、間に合わなかった」という方がいたら、ぜひ、その原稿を次の機会まで大切に育て続けてほしい。
偉そうに聞こえてしまいそうだが、おれも長いことそういう悔しい体験を繰り返している側だったのだ。
文章を書きたいという思いは、いつだって抱えていたはずなのに、いざ原稿用紙に向かうと何も出てこない日々。
一応書けたけれど、とても人前に出す勇気が湧いてこない作品たち。
そんなことを、もう30年も続けてきた。
30年前の高校時代から書くことをやってきたのに、本当に『作品』に仕上げたいと思ったのは今年に入ってからだ。
さらに創作大賞に出そうと思ったのは5月に入ってから、と手がけるのはかなり遅かった。
連作エッセイ「出張余話──風に吹かれていた、歪な日々」は、これまで書き溜めた記録を新しいフレーミングで一つの物語となるように組み合わせたものだ。

一つ一つは、当時の記録であったため、全体通してみると平仄に揺れがあったり、書くべきことに筆が及んでいないなど、欠陥が目につく。タイトルに「歪」とあるのは、そういうところを含めて「あの日々」を振り返っている、という意味を持たせた。というか、そうするしかなかった。
➡︎マガジンから全話無料でお読みいただけます。
もう一つの「必殺湯飲み茶碗の変遷」は高校時代に書いたエッセイ。古い荷物を整理していたら、当時書いていた原稿が埃っぽい塊となって出てきたので、パソコンに転記し、やや無理やりに作品へと仕立てた。

当時は割と真剣に「将来は本を書きたい」と考えていたらしく、それなりの枚数の手書き原稿と大学ノート数冊が一緒に発掘された。まぁ、高校生が同級生に読ませるために書いたようなものだから、レベルは知れているが。
➡︎このエッセイも無料でお読みいただけます。
当時のおれは、目の前の湯飲み茶碗に向き合っているのだが、そこから30年経ったいま、同じように「書くこと」と向き合っている。そこに、なんとなくの運命的なものを感じてしまう。
賞に応募することは、その結果に関わらず、今生きていることの証である。また、送り出した作品は、それがどんなに拙くても我が子のようなもの。
子の行く末を見守る親のような心で、結果を待つ。
そのあたたかな心境を、多くの参加者と分かち合えることが、いまはとても嬉しい。
