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【日本酒のつくり編】酛つくり⑥ 主役「清酒酵母」の真実と、各酒母における過酷なミッション|日本酒のカタチ 第十五回


日本酒の醸造において、アルコールと華やかな香りを生み出す絶対的な主役が「清酒酵母(Saccharomyces cerevisiae)」です。

酵母については以前も記事を書きましたので、是非参考にしてください。

今回はまず【無料部分】として、それぞれの酒母において酵母がいかに過酷なミッションをこなし、酒質を決定づけているのかという「醸造の側面から見た酵母の違い」を詳細に解説します。

「酵母が米の糖分を食べて、アルコールと炭酸ガス、そして吟醸香を生み出す」という基礎的なメカニズムについては、以前の酵母特集記事ですでにお伝えした通りです。これまでの連載では、酒を腐らせる雑菌を防ぐため、いかにして酒母の中に「乳酸(酸性環境)」という無菌室を構築するかという、いわば「酵母のための舞台作り(防衛戦)」の歴史を語ってきました。

しかし、その用意された舞台の中で、主役である酵母は一体どのような行動をとり、どのようにして生き残っているのでしょうか? 実は、一口に「酵母」と言っても、それが放り込まれた酒母の環境(菩提酛なのか、生酛なのか、速醸酛なのか)によって、酵母の「生き様」と「役割」は全く異なります。

先の【有料部分】では、全国の酒蔵を救った『きょうかい酵母』のエリートたちが各酒母でどう覚醒するのか、最新科学が暴く『蔵付きバクテリアとの三者間相互作用』、さらには高知CEL-24などの「ご当地エリート酵母」の激戦、酒蔵が巨大バイオ企業へと変貌するフードテックの最前線、そしてノーベル賞を総なめにする「モデル生物」としての酵母の驚くべきスケールまで、知的好奇心の極致へと皆様をご案内します。

第1部 各酒母(酛)の環境下における酵母の生き様と役割

酒母(酛)とは、巨大な本仕込みタンクへ投入する前に、エリート酵母だけを数億倍に純粋培養しておくスターターです。しかし、その育成方法は製法によって全く異なります。酵母の視点から、それぞれの酒母の特徴を見ていきましょう。

1. 菩提酛・水酛における酵母
「そやし水」でのサバイバルと独占

室町時代に確立された「菩提酛(ぼだいもと)」は、生米を水に浸して天然の乳酸菌を増殖させ、強い酸性の「そやし水」を造ることから始まります。

そやし水の中に蒸し米と麹を投入し、温度を上昇させると、初期に混入していた野生酵母は、この強力な乳酸の酸性と温度変化に耐えきれず減少していきます。

この過酷な環境下で、唯一生き残ることができるのが、極めて強い耐酸性を持つ清酒酵母です。競合他者が全滅したクリーンな酸性水の中で、酵母は麹から供給される豊富な糖分を独占的に消費し、爆発的に増殖します。

2. 生酛における酵母
過酷な「闘技場」での鍛錬と自己犠牲のバトン

江戸時代に確立された「生酛(きもと)」は、酵母にとって最も過酷な試練の場です。 実は仕込み初期〜中期において、清酒酵母は 「一切増殖せず、じっと毒に耐え忍んで」 います。

硝酸還元菌が出す亜硝酸の毒性は野生酵母を殺しますが、清酒酵母にとっても猛毒だからです。やがて乳酸菌が大量の乳酸を出して亜硝酸が完全に消え去った(亜硝酸落ち)瞬間を狙い澄まし、清酒酵母は一気に覚醒し、爆発的な増殖を開始します。

亜硝酸のストレスや乳酸菌との生存競争を生き抜く過程で、酵母は自らを「極限まで鍛え上げ」ます。その結果、もろみ末期のアルコール度数20%近い超過酷な環境になっても決して死滅せず、最後まで糖をアルコールへと変換しきる強靭な発酵力を獲得するのです。

3. 山廃酛における酵母
乳酸菌の「独裁」と非情なる結末

明治時代に生酛の「山卸し(すり潰し)」を廃止して生まれた「山廃酛(やまはいもと)」。

中盤で最強の乳酸菌(Lactobacillus sakei)が強酸性の無菌室を作り上げた後、清酒酵母は悠々と増殖を始め、大量のアルコールを生み出していきます。すると、これまで身を呈して酵母を守り抜いてきた乳酸菌たちは、高濃度のアルコールに対する耐性を持たないため、自らが育て上げた酵母が吐き出すアルコールの毒性によって次々と死滅していくのです。

酵母は、これら死んでいった無数の乳酸菌の残骸(アミノ酸やペプチド)を取り込みながら発酵を進めるため、複雑なコクと旨味を獲得します。

4. 速醸酛における酵母
無菌室の「エリート純粋培養」

現代の日本酒生産の9割以上を占める「速醸酛(そくじょうもと)」は、醸造用乳酸と酵母を最初から同時にタンクへ添加する近代的な製法です。

速醸酛の酵母は「亜硝酸の毒」に耐え忍ぶ必要も、「乳酸菌との生存競争」を行う必要もありません。最初から無菌室(安全地帯)が約束されているため、外部からのストレスを一切受けることなく、純粋かつ安全に増殖(エリート育成)することができます。

生存競争がないため雑味成分が混入せず、極めて「淡麗でクリーン」な酒質になります。このキャンバスこそが、酵母自身が生み出す華やかな香り(吟醸香)を最大限に際立たせているのです。


【ここから有料部分へ】

このように、酵母は与えられた酒母の環境によって「サバイバー」にもなり、「エリート」にもなり、酒の味わいを全く異なる方向へと導きます。

ここから先の【有料部分】では、「環境×酵母のケミストリー」という深い領域へ足を踏み入れます。

エリートである「協会酵母」が各酒母でどう覚醒するのか。最新科学が暴いた「蔵付きバクテリアとの三者間相互作用」。さらに、現代を席巻するご当地酵母の激戦、酒蔵が巨大バイオ企業へと変貌するフードテックの最前線、そしてノーベル賞の鍵を握る「モデル生物」としての酵母のスケールに迫ります。

これを読めば、あなたが次に口にする一杯の日本酒の背後に、生命科学の宇宙が広がっていることを実感できるはずです。


第2部 環境×酵母のケミストリー
未知の生態系とバイオ科学への挑戦

第1章 エリート集団「協会酵母」と、酒母が引き出す真のポテンシャル

以前の酵母特集でも解説した通り、日本酒の近代化は、国立醸造試験所が純粋分離したエリート集団「きょうかい酵母(協会酵母)」によって支えられてきました。

しかし、これらエリート酵母たちが「これを入れればどの酒蔵が造っても同じ味になる魔法の粉」だと思ったら大間違いです。酵母は「どの酒母(酛)で育てられるか」という環境因子によって、そのパフォーマンス(性格)を劇的に変貌させるからです。

例えば、現存最古の協会酵母である「協会6号(新政酵母)」。

この酵母は、人工的な乳酸で守られた「速醸酛」という温室環境で育てるよりも、伝統的な「生酛」という過酷なサバイバル環境と組み合わせた時にこそ、その太い酸と強靭な発酵力が真価を発揮し、唯一無二の味わいを生み出します。

酵母の能力は単体で決まるのではなく、「環境(酒母)との掛け算」によって初めて完成するのです。発酵のピーク時に泡を出さない突然変異株「泡なし酵母」の登場により、タンク容積の拡大と泡消し労働からの解放が実現したことも、純粋培養と環境適応がもたらした素晴らしいイノベーションの形です。

第2章 三者間相互作用
生酛・山廃のデスゲームが引き出す奇跡

なぜ「生酛」や「山廃」で造られた酒は、安全でクリーンな「速醸酛」には絶対に出せない、野趣あふれる複雑なコクと立体的な味になるのでしょうか? 長年ブラックボックスだったこの謎に対し、最新のDNA解析が衝撃的な最終解答を突き止めました。それが「三者間相互作用」です。

清酒酵母は、単独で黙々とアルコールを出しているわけではありません。実は、酒蔵の壁や木桶に棲みついている「蔵付きバクテリア(Kocuria属など)」と、化学的なシグナルを介して“会話(コミュニケーション)”を行っているのです。

Kocuria属などのバクテリアは、発酵初期にわずかに増殖し、アルコール度数が上がると死滅しますが、その死の直前に微量なシグナル分子を放出します。

これを受信した清酒酵母は、自らの核内にある「エステル(吟醸香)を合成する遺伝子(TORC1経路など)」や有機酸を生成する遺伝子のスイッチを切り替え、味わいの設計図を根本から改変します。

極めて重要なのは、人工乳酸を添加し初期から雑菌を完全にシャットアウトする「速醸酛」の無菌室では、このバクテリアとの会話は起こり得ないということです。

硝酸還元菌の毒に耐え、熾烈な生存競争を繰り広げた「生酛」や「山廃」という過酷なデスゲームの環境下においてのみ、酵母はこの特殊なシグナルを受信し、自らの能力を限界突破させるのです。

第3章 ご当地エリートの激戦
「都道府県酵母」の台頭とテロワール

協会酵母が全国を席巻した後、現代の日本酒業界では新たなパラダイムシフトが起きています。それが各都道府県の工業技術センター等が威信をかけて開発した「独自開発酵母(ご当地酵母)」の激戦です。

その代表格と言えるのが、高知県が開発した「CEL-24」酵母です。

亀泉酒造の「亀泉 純米吟醸 CEL-24」などに用いられるこの酵母は、従来の日本酒の常識を覆すほどの強烈なリンゴやパイン様の華やかな香りを放ち、ジューシーな甘味と酸味が同居する「まるで白ワインのような」極上の味わいを生み出します。

各県は、自県の気候や郷土料理(テロワール)に合わせた専用の酵母をデザインすることで、協会酵母による「全国均質化」から脱却し、強烈なローカル・アイデンティティの確立へと舵を切っています。

現代の日本酒は、米・水に加え「酵母」という生命のレベルに至るまで、完全にテロワール化されているのです。

第4章 酒蔵が「巨大バイオ企業」になる日
代謝エンジニアリングの最前線

日本酒の醸造を通じて何世紀にもわたり微生物をコントロールし続けてきた酒蔵は、いまや「酒を造る工場」という枠を超え、合成生物学と精密発酵を駆使した「巨大バイオ知財企業」へと変貌を遂げようとしています。

1637年創業の老舗、月桂冠の総合研究所が展開する研究は、その凄まじいポテンシャルを証明しています。

彼らは、麹菌が産生する「デフェリフェリクリシン(Dfcy)」というペプチド成分が強力な抗酸化作用を持つことを突き止めました。この成分をわずかに添加して古米を炊飯すると、古米特有の劣化臭(ヘキサナール等)が劇的に抑制され、もっちりとしたツヤのある米に再生されるのです。

これは、気候変動下における食糧難やフードロスを解決する、数兆円規模の「フードテック知財」への応用が期待されています。

さらに驚異的なのが、「セルフクローニング技術」を用いたオメガ3多価不飽和脂肪酸(ALA)の生産です。

外部の異種遺伝子を一切使わず、麹菌自身のDNAのみを利用して代謝経路をエンジニアリングし、人間の健康維持に不可欠なオメガ3脂肪酸を安全かつ大量に生産させることに成功しました。

酒蔵の壁や桶に眠る微生物のライブラリと、それを操作する特許(IP)のネットワークは、次世代のヘルスケア・製薬産業を根底から支える巨大なマスターキーになろうとしています。

第5章 生命科学のマスターキー
「モデル生物」としての酵母のスケール

最後に、私たちが飲んでいる日本酒を生み出す「清酒酵母(Saccharomyces cerevisiae)」という生命体そのものの、天文学的なスケールについて触れておきましょう。

実は、酵母の遺伝子の約26%は、私たち人間の遺伝子と共通しています。真核生物として人間と同じように細胞核を持つ酵母は、人間の細胞では倫理的・物理的に不可能な実験を行うための「究極のモデル生物」として、現代の生命科学・医学の発展に計り知れない貢献をしてきました。

大隅良典教授が解明した「オートファジー(自食作用)」のメカニズムも、細胞の寿命を決める「テロメア」の構造解明も、細胞周期を制御する因子の発見も──これら生命科学の根幹を揺るがした数々の「ノーベル賞」研究は、すべてこの酒を造る酵母(S. cerevisiae)を用いた研究から生まれているのです。

あなたが今夜傾ける一杯の日本酒の中でアルコールを生み出しているミクロの生命体は、人類の寿命の謎を解き明かし、ノーベル賞を総なめにするほどの「生命の神秘の結晶」そのものなのです。

結びと次回予告
次なる舞台は「三造り(本仕込み)」の世界へ

今回解説したように、酒母という「環境」と酵母という「生命」が掛け合わさることで、日本酒の土台は初めて完成します。 同じ酵母でも、育つ環境によってこれほどまでに味を変えるという事実。そして、その酵母がバイオテックの最前線やノーベル賞にまで繋がっているというスケールを知らずに日本酒を選ぶのは、そのお酒が持つ本当の価値の半分も味わえていないのと同じで、非常にもったいないことです。

さて、ここまで全6回にわたり、日本酒の土台となる「二酛(酒母)」の世界を深掘りし、無敵のエリート酵母の軍団が完成しました。

しかし、酵母たちの本当の戦いはここからです。

次回、連載はいよいよ最終章、「一麹、二酛」に続く「三造り」、すなわち【本仕込み(醪:もろみ)】の世界へと突入します。完成した酒母をベースに、巨大なタンクの中で「麹菌による糖化」と「酵母によるアルコール発酵」が同時に進行する、世界でも類を見ない奇跡のメカニズム【並行複発酵】。そして、なぜ世界中の醸造酒がアルコール度数15%程度で限界を迎える中、日本酒だけが20%という限界点を突破できるのか? その答えは「三段仕込み(初添・仲添・留添)」という究極のストレス分散システムに隠されていました。

次回の「本仕込みの深淵」を知れば、あなたの中の日本酒の概念は完全に覆るはずです。極限の発酵宇宙をお楽しみに!


酒母と酵母のディープなQ&A

これまでの連載で解説してきた「酒母(環境)」と「酵母(生命)」の関係性について、よくある深い疑問にお答えします。

Q1. ワインの酵母やパンの酵母を、日本酒の酒母に入れるとどうなりますか?

A. 通常の造り方をすれば途中で発酵がストップし、失敗してしまいます。
日本酒の酒母は乳酸による「強酸性」であり、さらに発酵が進むと「アルコール度数20%」という猛毒環境になります。パンやワインの酵母はこの過酷なアルコール毒に対する耐性を持たないため、途中で力尽きてしまうのです。
【しかし、現代の逆転の発想!】

近年、「ワイン酵母使用」と書かれた日本酒を見かけることがあります。これは、気鋭の醸造家たちが「ワイン酵母がアルコール12〜14%程度で発酵を止めてしまう弱点」をあえて逆手に取ったものです。酵母が途中で止まるように緻密に環境をコントロールすることで、米の糖分(甘み)を残し、ワイン酵母特有の爽やかな酸味(リンゴ酸)を引き出した、「まるで白ワインのような低アルコールの日本酒」を意図的にデザインしているのです。

Q2. 「協会酵母」を使えば、どの酒蔵が造っても同じ味になるのですか?

A. なりません。酵母の品種が同じでも、「どの酒母(生酛か速醸か)」で育てるかによって、性格が全く変わるからです。
温室育ち(速醸)にするか、スパルタ教育(生酛)にするかで、同じエリート酵母でも生み出す香りの量や酸味が劇的に変化します。また、先述した「蔵付きバクテリア」によるシグナルが、蔵ごとに味の設計図を書き換えています。

Q3. 生酛や山廃など、過酷な環境を生き抜いた酵母は、顕微鏡で見ると形が違うのですか?

A. 見た目は同じですが「細胞膜」の強さが変わります。
極寒や酸のストレスに耐え抜いた酵母は、細胞膜の脂質組成を自ら変化させ、アルコールという毒に耐えられる「強靭な鎧」を身にまとっています。これが最後まで発酵をやり遂げる強さの秘密です。



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