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【日本酒のつくり】醪のフィナーレ「上槽」と「火入れ」の魔法|日本酒のカタチ 第十九回


これまで酵母を育てる「酒母」から、奇跡の生化学「並行複発酵」、極限のプロセス工学「三段仕込み」、そして発酵熱と格闘する「温度管理」まで、日本酒が巨大なタンクの中で育まれていく壮絶なドラマを追ってきました。

約20日〜1ヶ月に及ぶ発酵期間を経て、タンクの中では米がドロドロに溶け、アルコールをたっぷりと含んだ「醪(もろみ)」が完成します。しかし、この白濁したペースト状の液体は、そのままではまだ私たちが愛する「日本酒」ではありません。

今回はまず【無料部分】として、この醪から美しい液体を取り出す「上槽(搾り)」の工程と、酵素の働きを止め品質を安定させる魔法の熱処理「火入れ」、そして居酒屋でのメニュー選びが劇的に楽しくなる「あらばしり」「生酒」「ひやおろし」といった名称の秘密を基礎知識として解説します。

そして続く【有料部分】では、ワインやビールの圧搾とは一線を画す、日本酒における上槽の極めて繊細なアプローチ、強力な遠心力で酒と粕を分離させる「遠心分離」テクノロジー、そしてフランスのパスツールより300~400年も早く中世日本で確立されていた「火入れ」の歴史的・工学的深淵へと皆様をご案内します。

第1部 基礎知識 搾りの魔法と火入れの力

1. 「上槽(搾り)」とは何か?

発酵を終えたドロドロの醪に対し、物理的な圧力をかけることで、液体である「清酒(新酒)」と、固体である「酒粕」に分離する工程を「上槽(じょうそう)」、または「搾り(しぼり)」と呼びます。日本の酒税法において、清酒は「発酵させて、こしたもの」と厳密に定義されており、この「こす・搾る」という物理的行為を行って初めて、法的に日本酒と名乗ることが許されます。

2. 搾るタイミングが魔法をかける
「あらばしり」「中取り」「責め」

一つの同じタンクから搾り出されるお酒であっても、「どのタイミングで搾り出されたか」によって、香りや味わいは劇的に変化します。搾りの段階によって、日本酒は大きく3つの名前に分かれます。

  • あらばしり
    搾り機の圧力をかけず、醪自体の重みだけで自然にポタポタと滴り落ちる最初の部分です。まだフィルターの布目が詰まっていないため、わずかに白濁していることが多く、発酵由来の炭酸ガスを豊富に含んでいます。極めてフレッシュで、荒々しく華やかな香りが前面に出るのが特徴です。

  • 中取り/中汲み
    少しずつ圧力をかけ始めて搾り出される中間部分です。フィルターとしての機能が最高潮に達しているため、お酒は極めてクリアになり、香りと味のバランスが最も優れます。全国新酒鑑評会への出品酒など、蔵の最高級品として瓶詰めされるのは、通常この「中取り」の部分です。

  • 責め(せめ)
    上槽の最終段階で、残ったエキス分を絞り出すために強い圧力をかけて徹底的に搾り出す部分です。アルコール感や複雑味、米由来の力強い味わいが押し出されますが、同時に雑味も出やすくなります。

3. 品質を強固に安定させる「火入れ」とは?

上槽によって搾り出されたばかりの新酒(生酒)の内部には、まだ生存している酵母や、麹菌が作り出した糖化酵素が大量に残っています。そのまま放置すると、過剰に発酵や糖化が進んで味が崩れたり、「火落ち菌」という乳酸菌の一種が繁殖して酒が腐敗したりしてしまいます。

これを防ぐため、お酒を約60〜65℃という比較的低い温度で加熱する処理を「火入れ」と呼びます。この絶妙な温度帯での低温殺菌により、アルコールの蒸発を防ぎつつ、火落ち菌を殺菌し、酵素の働きを失活させることで、酒の風味を長期間にわたって安定させることができます。

4. 火入れの有無が生む4つの顔 ── 生酒からひやおろしまで

現代では冷蔵技術の発達により、この火入れの「回数」と「タイミング」を意図的に変えることで、多彩な味わいが生み出されています。一般的に日本酒は「貯蔵前」と「出荷前(瓶詰め時)」の計2回火入れを行いますが、以下のバリエーションがあります。

  • 通常の清酒(2回火入れ)
    香味のバランスが安定しており、常温保管が可能です。

  • 生酒(なまざけ・火入れなし)
    搾ってから一度も火入れをしないお酒。極めてフレッシュですが、味が変わりやすいため厳格な要冷蔵です。

  • 生詰め酒(なまづめしゅ・貯蔵前のみ1回)
    貯蔵前に火入れし、出荷時は火入れしません。春に搾った酒を夏越しさせ、秋に出荷する「ひやおろし」が代表的です。

  • 生貯蔵酒(なまちょぞうしゅ・出荷前のみ1回)
    生のまま低温で熟成させ、出荷時のみ火入れします。清涼感と軽快さが特徴です。

【ここから有料部分へ】

さて、ここまで読んで「なるほど、搾るタイミングや火入れの回数で名前が変わるのか」と納得されたかもしれません。

しかし、もしここで「とりあえず生酒やあらばしりを頼んでおけば新鮮で美味しいのだろう」と単純に解釈し、ページを閉じてしまうなら、あなたはこれから高級な日本酒を飲む際に、その真の価値を見落としてしまうことになります(非常に損をしています)。

実は、高粘度の醪を分離する日本酒の「上槽」は、ワインやビールとは全く異なる極めて困難な物理プロセスであり、現代の「遠心分離」や「瓶燗火入れ」といった最先端テクノロジーは、一滴の香りを逃さないために想像を絶するエンジニアリングの極致に達しています。

さらに、私たちが当たり前のように享受している「65℃での火入れ」は、フランスのパスツールが低温殺菌法を発明するより300年も前の室町時代に、日本の職人たちが経験則だけで到達していた「世界史的な奇跡」なのです。

ここから先の【有料部分】では、ワイン・ビールと日本酒の上槽の決定的な違い、一切の圧力をかけずに酒を分離する『無加圧』の遠心分離テクノロジーや、酸化を極限まで防ぐ最新エンジニアリング、そして中世の『多聞院日記』から現代の熱力学へと至る『火入れ』の深淵へと潜っていきます。

第2部 上槽と火入れの歴史的・工学的深淵

ここからは、日本酒の総仕上げである「上槽」と「火入れ」が、いかに世界の醸造史において特異であり、高度な進化を遂げてきたのかを解き明かします。

第1章 世界酒類史から見る「上槽」の特異性

アルコール飲料の醸造において、液体から固形物を分離する工程は、酒類によって全く異なります。 ワインの場合、白ワインはブドウを圧搾した果汁だけを発酵させ、赤ワインは果皮と共に発酵させた後に圧搾して液体を取り出します。いずれにせよ、比較的流動性の高い液体がベースとなります。

ビールの場合は、発酵が終わったサラサラの液体から、酵母やタンパク質をフィルターで「精密濾過」して取り除きます。 しかし日本酒の場合、「並行複発酵」という特殊な製法のため、発酵が終わった時点の醪(もろみ)は、溶け残った米、麹菌、酵母が混然一体となった「極めて高粘度のドロドロの粥状の液体」となっています。

この分厚いペーストから、透き通った酒を分離する「上槽」は、ワインのような果汁の強力な圧搾と、ビールのような微細な精密濾過という、相反する物理的難題を単一の工程で同時に解決しなければならない極めて困難な作業です。

西洋の醸造酒が「重力による沈殿」から「機械的な精密濾過」へと一直線に進化したのに対し、日本酒の上槽は「布の繊維による精密濾過」と「段階的な物理的圧搾」を巧みに組み合わせた、極めて独自の進化を遂げたのです。

第2章 槽搾りから「遠心分離」へのハードウェア進化

江戸時代において、この上槽を大規模化させたのが「槽搾り(ふねしぼり)」です。酒袋に醪を詰め、巨大な木製の箱(槽)の中に何層にも積み重ね、上からテコの原理で強力な圧力をかけて搾り出しました。現在でも「佐瀬式」などの名称で、大吟醸などの高級酒を優しく搾るために多くの蔵で稼働しています。

しかし現代、この上槽プロセスはさらなるイノベーションを迎えています。摩擦や圧力を極限まで排除し、酒の細胞組織を一切傷つけずに分離する「遠心分離機」の導入です。

もともと乳業メーカーが牛乳からクリームを分離するために開発した技術を応用し、1分間に数千回転という強力な遠心力で醪を清酒と酒粕に振り分けることで、布袋の目詰まりや機械的な圧搾による物理的ストレスが一切ない、極めて無垢で純粋な「遠心力による搾り」が実現しています。

また、搾り出されたばかりのフレッシュな酒を空気に触れさせることなく直接瓶に詰める「直汲み」というクラフト的アプローチも、発酵由来の微炭酸を液中に封じ込める究極の手法として注目されています。

ちなみに、上槽の副産物である「酒粕」は、全体の約3割(酒の醸造種類によっては5割にもなります)を占めますが、これは単なる廃棄物ではありません。

発酵を終えた酵母、米のタンパク質、食物繊維、そして麹菌が生成した多種多様な酵素が高度に凝縮された、極めて栄養価の高いスーパーフードであり、日本の循環型経済(サーキュラーエコノミー)の象徴でもあります。

第3章 パスツールを超えた中世日本
「火入れ」の歴史的到達点

上槽で美しく澄んだ液体を取り出した後、待ち受けているのが「火入れ」です。この火入れの歴史には、日本の技術史における最大の驚念が隠されています。

搾りたての生酒の中には、糖化酵素(アミラーゼ等)や火落ち菌(アルコール耐性を持つ乳酸菌)が存在しており、常温で放置すれば確実に腐敗(火落ち)してしまいます。これに対し、現代の標準的な手法では「約60〜65℃という温度帯で加熱する」ことで、アルコールや香りを飛ばさずに殺菌と酵素の失活を行います。

驚くべきことに、このミクロレベルの生化学的最適解は、近代微生物学が確立するよりもはるか昔、15世紀(室町時代)の日本の寺院において、僧侶や杜氏たちの長年の経験的観察によってすでに実用化されていました。 奈良・興福寺の『多聞院日記』(1478年〜1618年)や、日本最古の酒造技術書『御酒之日記』(1355年または1489年)には、この「火入れ」の技術が明確に記録されています。

フランスの生化学者ルイ・パスツールが、ワインの腐敗を防ぐための低温殺菌法を科学的に発見・提唱したのは1860年代のことです。

日本の職人たちは、顕微鏡もバクテリアの概念も持たない時代に、パスツールより約300年も先駆けて、この極めて合理的な物理的殺菌法を確立していたのです。この火入れ技術こそが、日本酒の長期保存と、灘から江戸への樽廻船による海上輸送(広域流通)を可能にした最大のブレイクスルーでした。

第4章 現代の熱交換エンジニアリング
蛇管から「瓶燗火入れ」へ

江戸時代に確立した「60〜65℃での加熱」という基本原理は変わっていませんが、その「熱の加え方」は現代に至るまで劇的な進化を遂げています。加熱は酒質を安定させる反面、過度な熱履歴は日本酒の繊細な香り(吟醸香など)を飛ばし、「熱ヤケ」と呼ばれる風味の劣化を招くジレンマがあるからです。

かつて主流であったのは、熱湯を張ったタンクの中に長い金属製のホース(蛇管)を沈め、その中に酒を通す「蛇管(じゃかん)方式」でした。しかしこの方法は、酒が長時間高温に晒されやすいため、香りが損なわれる弱点がありました。

そこで現代、最高級の大吟醸などに広く採用されているのが「瓶燗火入れ」、あるいはそれを自動化した「パストライザー」による加熱方式です。これは、搾った直後の冷たい生酒を先にガラス瓶に詰め、しっかりとキャップをして完全に密閉してから、約65℃の熱水シャワーで加熱し、直後に冷水で急冷するという手法です。

瓶燗火入れの最大の凄みは、「香気を一切逃がさない」ことにあります。密閉された瓶の中で加熱されるため、揮発したエステル類やアルコール成分は行き場を失い、急冷されることで再び酒の中に完全に溶け込みます。

外気に触れないため二次汚染のリスクも皆無です。多大な手間とコストがかかりますが、これが世界的な「Premium Sake」の華やかな香りと品質を裏で支える、究極の熱交換エンジニアリングなのです。

まとめと次回予告
時を味方につける「熟成」の魔法へ

いかがでしたでしょうか。 上槽と火入れとは、発酵という目に見えない微生物の神秘的な営みに対して人間が最後に物理的介入を行い、その酒の最終的な輪郭を切り出し、その時点での最高の美しさを強固にロックする「彫刻」のような工程です。

こうして上槽と火入れを経て完成した日本酒ですが、実はこれで終わりではありません。 「日本酒は新酒(できたて)が一番美味しい」という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、実はその常識の裏で、日本酒にはワインやウイスキーに勝るとも劣らない「長期熟成」の世界が存在します。

次回はいよいよ、【時間という名の調味料「熟成」編】へと進みます。 なぜ日本酒は長らく「新酒信仰」に縛られてきたのか? そして、火入れによって安定させられたはずの液体が、長い年月を経て琥珀色に輝き、カラメルやドライフルーツのような複雑な香りを放つ「熟成古酒」へと変貌する生化学的メカニズムとは? 日本酒の概念を覆す、時間と変化の魔法をお楽しみに!

▼ この記事の前に読んでおくと理解が深まる記事 
極限のプロセス工学「三段仕込み」と醪の歴史
今回搾られたドロドロの「醪(もろみ)」が、いかにして酵母をショック死から守りながら巨大なタンクで育まれたのか。その緻密な倍増方式(1→2→4)のアルゴリズムを解説しています。

発酵の熱力学「温度管理」と吟醸香の生化学
搾り出された酒から放たれるメロンやリンゴのような「吟醸香」。それが、タンク内での極寒と飢餓という「酵母への拷問」から生み出された生命の叫びであることを解き明かしています。


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