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【日本酒のつくり】仕込み編② 極限のプロセス工学「三段仕込み」と醪の歴史|日本酒のカタチ 第十七回


前回は、世界中の醸造酒の歴史を俯瞰し、日本酒がいかにして「並行複発酵」という、同一タンク内で糖化と発酵を同時に進行させる奇跡的な生化学システムを獲得したのかを解説しました。

今回はいよいよ、その並行複発酵を巨大なタンクの中で破綻させずに完遂させるための、極限のプロセス・エンジニアリングに迫ります。それが【三段仕込み(さんだんじこみ)】と【醪(もろみ)の管理技術】です。

日本酒は、ワインのようにブドウ果汁を一度に発酵させたり、ビールのように麦汁を一気にタンクに入れたりすることは絶対にありません。必ず数日間に分けて、段階的に原料を足していく緻密なルールが存在します。 今回はまず【無料部分】として、日本酒の教科書に必ず載っている「三段仕込みの基本的なスケジュールと意味」を解説します。

そして続く【有料部分】では、酵母に襲いかかる目に見えない脅威「浸透圧ショック」、平安時代の『延喜式』から受け継がれ江戸時代の伊丹で完成した「倍増方式(1→2→4)」という幾何級数的なスケールアップの歴史、さらには現代のAI・IoT技術が解き明かす「暗黙知の形式知化」まで、教科書には絶対に載らないプロセス工学の深淵へと潜っていきます。

第1部 日本酒の教科書
「三段仕込み」の基本スケジュール

1. 醪(もろみ)と「段仕込み」とは何か?

完成した酒母(エリート酵母のスターター)をベースに、水、米麹、そして蒸米を加えて発酵させる液体状(粥状)のものを「醪(もろみ)」と呼びます。この醪の中で、米のデンプンが糖に変わり、その糖を酵母がアルコールに変える「並行複発酵」が行われ、ようやく日本酒が誕生します。

しかし日本酒の場合、発酵の母体となる醪を造る際、原料(水・米麹・蒸米)を一度に全量投入することは絶対にありません。必ず複数回に分けて、段階的に投入していきます。これを「段仕込み(だんじこみ)」と呼びます。現代の清酒製造においては、この仕込みを三回に分けて行う「三段仕込み」が標準仕様となっています。

2. なぜ一度に仕込まないのか?(酸性バリアの維持)

手間のかかる三段仕込みを絶対に行わなければならない最大の理由は、「雑菌の繁殖を防ぐため」です。

これまでの連載で解説した通り、酒母の中は乳酸によって「強酸性」に保たれており、この酸のバリアがあるおかげで、酒を腐らせる雑菌が近寄れない安全地帯になっています。 もしここに、大量の水と米を一度に全量投入してしまったらどうなるでしょうか? せっかく作った酸のバリア(乳酸)が大量の水で一気に薄まり、酵母の密度も急激に低下してしまいます。 すると、酵母が再び増殖して環境を支配する前に、空気中の雑菌や野生酵母がここぞとばかりに大繁殖し、醪が腐敗してしまう(腐造)のです。

三段仕込みは、タンク内の酵母濃度を常に高く維持し、この酸性のバリアを危険なレベルまで薄めることなく、酵母の増殖ペースに合わせて少しずつ環境のパイを広げていくための、究極のリスクマネジメントなのです。

3. 三段仕込みの4日間(初添・踊り・仲添・留添)

実際の三段仕込みは、通常4日間という緻密なスケジュールで進行します。

  • 1日目 初添(はつぞえ)
    酒母の入ったタンクに、全体の約6分の1から5分の1程度の少量の水、米麹、蒸米を加えます。少量の追加にとどめることで、酵母はショックを受けることなく、新しい環境にスムーズに適応し始めます。

  • 2日目 踊り(おどり)
    この日は新しい材料を一切入れず、1日お休みします。初添で与えられた栄養を食べて、酵母がタンクの中で十分に数を増やすのを待つための、極めて重要な「待機時間」です。

  • 3日目 仲添(なかぞえ)
    酵母が十分に増えたことを確認し、初添の約2倍の量の水、米麹、蒸米を投入します。酵母の数が増えているため、少し多めに入れても雑菌に負けることはありません。

  • 4日目 留添(とめぞえ)
    仲添のさらに約2倍(全体の約半分強)の残りの材料をすべて一気に投入し、仕込みを完了させます。

この留添が終わると、いよいよタンク内で本格的なアルコール発酵が猛烈な勢いでスタートします。

【ここから有料部分へ】

ここまでが、「三段仕込み」の基本です。

「なるほど、雑菌が入らないように少しずつ足していくんだな」と納得されたかと思いますが、実は三段仕込みが回避しているのは「雑菌」という敵だけではありません。

ここから先の【有料部分】では、材料を一度に入れると酵母がショック死してしまう「浸透圧ストレス」の脅威、平安時代の『延喜式』から受け継がれ江戸時代の伊丹で完成した「倍増方式(1→2→4)」という幾何級数的なスケールアップの歴史、そして現代のAI・IoT技術が解き明かす「醪の温度予測」まで、教科書には絶対に載らないマニアックなプロセス工学の深淵へと潜っていきます。

第2部 極限のプロセス工学と「倍増方式」の歴史的ドラマ

ここからは、三段仕込みというプロセスが、いかに生化学的・物理学的に理にかなった「究極のバイオアルゴリズム」であるかを探求していきます。微生物学が存在しなかった時代に、先人たちがどれほどの技術的到達点に達していたのか、その驚異のメカニズムを解き明かします。

第1章 見えない敵「浸透圧ショック」と「踊り」の真の目的

三段仕込みを行わなければならない理由は、「雑菌から酸性バリアを守るため」だけではありません。酵母という生き物自身を「浸透圧(しんとうあつ)のショック死」から守るという、極めて重要な生化学的ミッションが隠されています。

日本酒の仕込みは、米に対する水の割合が非常に少ない「高濃度仕込み」という過酷な環境で行われます。もし、初日に全量の米と水を入れてしまった場合、麹菌の持つ強力な酵素(アミラーゼ)が一斉に米のデンプンを分解し、タンク内の糖分濃度が急激に跳ね上がります。

周囲が極端な高糖度環境になると、浸透圧の原理によって、酵母細胞の内部から水分が強制的に奪い取られてしまいます(原形質分離)。この強烈な浸透圧ストレスを受けると、酵母は活動を停止するか、最悪の場合は死滅してしまうのです。

これを防ぐのが、材料を分割して投入する技術です。そして、その中でも2日目の「踊り(おどり)」というお休みの日が、発酵の成否を完全に決定づけます。 1日目の「初添」で糖分が少し増えた環境に酵母を慣れさせ、2日目の「踊り」の間に酵母に細胞分裂を行わせます。微生物学の用語で言えば、酵母を「対数増殖期」という爆発的な増殖モードへと確実に移行させるための、必須のインターバルなのです。

十分に数が増え、体力に満ち溢れた酵母の軍団が完成して初めて、3日目(仲添)、4日目(留添)の大量の糖分投入に耐え、それを次々とアルコールに変換していく強靭な並行複発酵が可能になるのです。

第2章 歴史的系譜
『延喜式』の「醞(しおり)」から室町時代へ

この「段階的に仕込む」という概念は、日本の醸造史の中でどのように獲得されてきたのでしょうか。

平安時代中期(927年)の国家法典『延喜式(えんぎしき)』には、当時の宮中における酒造りの記録が残されています。

当時の酒造りは、雑菌汚染を防ぐ技術が乏しかったため、わずか「10日間程度」で醸造を終えざるを得ない短命なものでした。 しかし、彼らはただ腐造に怯えていたわけではありません。アルコール度数を段階的に高めることで雑菌を物理的に抑え込むこの手法は、現代の『貴醸酒』の原型です。

目的こそ『防腐』でしたが、『一度に完結させず、工程を複数回に分けて重ねていく』という多段的なアプローチの萌芽が、すでにこの時代に見られました。

その後、室町時代に入ると、奈良の寺院でスケールアップを目的とした技術革新が起こります。

14世紀の『御酒之日記』などの初期の酒造技術書には、乳酸菌の働きを利用した安全な酒母(菩提酛)造りとともに、複数回に分けて仕込む「段仕込み」の原型が明確に文書化され始めました。彼らは顕微鏡を持たないまま、現代のバイオテクノロジーの基本原則を、経験則だけで実践し始めたのです。

第3章 江戸・伊丹のイノベーション
「倍増方式」による幾何級数的なスケールアップ

室町時代に萌芽した段仕込みは、江戸時代に入り、現在の兵庫県伊丹といった商業的な銘醸地において、ついに「現代の三段仕込み」として完成を見ます。

伊丹の醸造家たちは、それまで小規模だった酒造りを、都市の巨大市場を満たすための「工業的な大量生産(マスプロダクション)」へとスケールアップさせる必要に迫られました。そこで彼らが確立したのが、単に材料を3等分して入れるのではなく、「1 → 2 → 4」と幾何級数的に(倍々ゲームで)投入量を拡大していく「倍増方式」です。

  • 初添(1) 酒母に対して少量の原料を加える。

  • 仲添(2) 初添の約2倍を加える。

  • 留添(4) 仲添の約2倍(残りの全量)を加える。

この「倍増方式」こそが、日本の醸造工学における最大のイノベーションでした。酵母の細胞分裂による増殖曲線(2倍、4倍、8倍と増えていく性質)に、物理的な材料の投入量を完全にシンクロさせたのです。

これにより、酒母の持つ酸性バリアを一切危険に晒すことなく、優良な清酒酵母の圧倒的な優位性を維持したまま、発酵の規模を安全かつ確実に行き渡らせることが可能となりました。この伊丹で完成したアルゴリズムが、現代の日本酒造りの絶対的な標準仕様として定着しているのです。

第4章 現代のDX
AI・IoTによる醪の温度予測と暗黙知の形式知化

江戸時代から脈々と受け継がれてきた三段仕込みですが、醪(もろみ)が巨大なタンク一杯になった後も、戦いは終わりません。

酵母が糖をアルコールに変換する際、莫大な「発酵熱」が発生します。放置すれば醪の温度が上がりすぎて酵母が自滅してしまうため、かつての杜氏たちは、泡の上がり具合や弾ける音、香りといった「五感」と「暗黙知」を頼りに、昼夜を問わずつきっきりでタンクの温度管理(冷却)を行っていました。

しかし現代、この極限の温度管理プロセスは、デジタル技術(DX)によって新たなフェーズに突入しています。先進的な酒蔵では、タンク内に設置された高精度のセンサーが0.1度単位で醪の品温を連続的に取得し、クラウドへ送信しています。さらに、この時系列の温度データと、日々測定されるアルコール度数や糖度などの成分データを機械学習(AI)モデルに入力することで、数日先の発酵の軌跡(温度上昇や糖の減少カーブ)を極めて正確に予測するシステムが実用化され始めているのです。

「4日後の夜間に糖度が急低下し、アルコール度数がオーバーするリスクが85%である」といった未来の異常をAIが事前検知し、自動制御弁を通じて冷却装置へ送る冷水量を自律的にコントロールする。 これは、かつて杜氏がその卓越した頭脳の中で描いていた「発酵の着地点」に至る放物線を、数理モデルによって完全に再現し、形式知化したものです。

結びと次回予告
発酵の熱力学「温度管理」の深淵へ

いかがでしたでしょうか。 「三段仕込み」とは、単に材料を分けるだけの単純作業ではありません。酵母を浸透圧ショックから守り、増殖サイクルに完璧に同調させながら、巨大なタンクへと発酵をスケールアップさせる究極のプロセス・エンジニアリングです。

今回の「三段仕込みと醪」の調査・執筆を進める中で、もう一つ極めて重要なファクトに直面しました。それは、「巨大なタンクの中で温度がたった1℃変わるだけで、日本酒の味と香りの設計図が根本から書き換わってしまう」という事実です。
次回は、この【発酵の熱力学「温度管理」編】へと進みます。

灘の「男酒」と伏見の「女酒」を分ける温度学、極限の低温ストレスが酵母にバナナやリンゴのような「吟醸香」を爆発的に生成させる生化学的メカニズムなど、あなたが一番知りたかった「味と香りの違いの本当の理由」を深掘りします。

▼ この記事の前に読んでおくと理解が深まる記事
奇跡の生化学「並行複発酵」と東西発酵史の交差点 

そもそもなぜ一つのタンクで糖化と発酵が同時に進行するのか? 三段仕込みが守り抜こうとした「ミクロの綱引き(動的平衡)」の奇跡のメカニズムを解説しています。


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