パステルカラーの恋 12
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わたしが仕事に復帰したのは11月も後半近くになった頃。1ヶ月以上も休職していた訳だ。復帰してみると想像以上に周りの人達が優しくしてくれる。つくづく有り難いと思う。右腕の方は大分回復して来てはいるのだが、大事を取って力仕事はせずに主に事務系の仕事をこなした。経理・会計の仕事というのは初めての経験なのだが、もしかしたらこういう仕事はわたしに向いているのかも知れない。わたしはその日の内に書店に寄って「簿記会計の基礎」という本を買った。
さくらからの連絡は途絶えたままだ。父は香山家へお金を返しに行った。当然向こうは受け取りを拒否したが、無理矢理置いて来たという。お金を受け取る訳にはいかないが、何だかますます関係が悪化する様で嫌な気がした。
父が聞かされて来た話によると、さくらのご家族は事故の件を知るまで、わたしの存在を知らなかったらしい。長男であるさくらに恋人がいたところで不思議ではないし、あえてこちらから訊ねた事もない、と。しかし、まさかわたしという、女性装ではあるものの戸籍上男性である者と交際をしていたというのは寝耳に水であり、我が子にそういう趣味があったとは青天の霹靂でもあると話したという。そして深々と頭を下げ、どうか息子とはこれきりにしてくださいと懇願されたらしい。
わたしはその『趣味』という言葉には著しく傷ついた。人を人と思わぬ者の言う言葉に思えてしまう。さくらの親を悪くは言いたくはないが、あまりに酷い言葉だ。
香山家は代々続くその土地の名家であるらしく、さくらはそこの長男として家系を継ぐべき跡取りとして期待されているそうで、将来の嫁になる人はちゃんとした家柄の立派な娘さんをと考えている、それ故に、変な噂を立てられてしまっては困る。独身の間に誰と付き合おうが関係ないとは思っていたが、この様な事態になってしまっては当家としては由々しき問題であると、もちろん責任は桜にあり、親として監督不行き届きだった私の責任でもある、お宅様のご子息には大変ご迷惑をお掛けしました。こう言って平身低頭に頭を畳に擦り付けるのであったらしい。
今度は『ご子息』と来た。もう不感症になるしかない。
さくらのご家族には簡単に女性装者という者を理解して貰えそうにない。
わたしも父も、さらには母も、この一件には相当胸を痛めた。
そんな折、ふいに東京のジュリアからメールが届いた。以前、東京で聞いた例のAKIKOの新作発表会の日程が決まったらしいとの事で、わたしとさくらを招待したいという内容だった。
わたしは不本意ながらもさくらの事を忘れて、簿記会計の勉強に没頭していたので、大好きなジュリアからではあったが、返信をするのに辛いメールとなった。
――ジュリア、元気ですか? 東京でジュリア達と会ってから、早いものでもう2ヶ月が経ってしまいましたね。わたしは元気にしていますが、さくらとは会えなくなりました。そちらにもさくらから連絡は行ってなさそうですね。彼は今交通事故を起こして入院中なのです。発表会へのご招待は大変有り難く思うのですが、そういう状況ですので、今回は行けそうにもありません。どうかショーが成功されます事をお祈り致します。
今わたしが置かれてしまった状況までは詳しく書けなかった。わたしはそのメールの送信ボタンを押してから、ポタポタと膝の上に涙の滴が零れ落ちるのを知った。
ジュリア、教えて! わたしは一体、どうすればいいの? いっその事このまま死んでしまった方が楽に思えるけれど、でも、わたしが死んだらきっと父と母は悲しむに違いない。そんな親不孝者にだけはなりたくない。さくらだって、きっと悲しむに違いない。
わたしはさくらの事をずっと胸の奥深くにしまって、いつか忘れ去る日が来るまで生き続けなければいけないのか、と絶望的な気持ちに支配されたまま、勉強机に向かって日々簿記の問題集に取りかかった。
その日の夜になってジュリアから再びメールが届いた。
――メール見て驚きました。美和は桜に会わせてもらえないの? 私、来週休みが一日あるから桜の所に行って来るよ。病院の名前教えて!
と、あった。一応『家族以外は面会は出来ない』と伝えたが、ジュリアからすぐ、『会えるまでは帰らない!』 と頼もしい返事があった。わたしはジュリアに病院の名前と住所、さくらの入院している病棟を伝えた。
その週末、わたし達家族は毎月恒例になってる食事会に出掛ける日だった。
今回は父が盆栽仲間から教えてもらったというお寿司屋さんに出向く事になった。
「お寿司なんて回転するところしか行った事ないのに、大丈夫なの?」
母が心配そうにそう呟く。
「たまには豪勢に行かなくちゃな。それにそんなに手が出ないほど高級でもないらしい」
「そう、ならいいけど」
と父の運転で車を走らせる。わたしはさくらとの事故以来、車に乗るのを多少怖がっていたのだが、いつまでもそんな事ではいけない、という父の一言で何度か乗せてもらっている。ただし、後部座席である。わたしには運転免許が無い。今すぐ、という気にはなれないが、将来の事を考えると車の免許証くらい取っておかなくてはいけないかなと、ふと考えて見た。ああ、その場合もやはり本名で性別は男性になるのだろうなと、またまた気が重くなる。
そのお寿司屋さんはとある通りの建物の一階にあった。
前のスペースに車を停め、暖廉をくぐる。
「へい、らっしゃ~い」とカウンターの中から威勢の良い大将の声がする。寿司屋の大将って怖そうなイメージをしていたが、いたって気の優しそうな顔でにこにこと出迎えてくれた。
店内はカウンターの他にテーブル席が2つあった。カウンター席には若い女の子と黒いジャケット姿で眼つきの悪い中年の男が陣取っていたので、わたし達親子3人は空いていたテーブル席に腰を落ち着かせた。こちらの方が遠慮なく話が出来そうで良かった。
「すみません、大将。盆栽仲間の内村さんから訊いて来ました。ここのお寿司は信じられないくらいに美味しいから是非行って来いって言われて……」
「いやあ、恐れ入ります」と大将は破顔した。
「お客さん」
と、突然、黒ジャケットの男が立ち上がって父に話しかけた。一瞬ギクッとする。すると、
「良い仲間に恵まれたようですね。その話は真実ですよ。さあ行くぞ田橋」
最後の呼びかけは隣の女性に向かってのものである。それだけ言うと男は颯爽と出て行く。若い女の子の方は困ったような顔をして一礼して後に続いて小走りに出て行った。
「あはは、気にしないでください。さあ何にしましょう?」大将はそれがいつもの事であるかの如く、平然と笑っていた。
わたし達は結局、大将におまかせしてひとりずつ盛り合わせにして貰った。
何か苦手なものとかありますかと尋ねられたわたし達は、それぞれが勝手に、光りものはちょっと、とか、タコが苦手なんで、とか、サビぬきで、とか、そうだ私少し風邪気味だからお寿司は半分にして温かいうどんとか頂きたいわ、などと、我儘放題な注文の仕方をしてしまったが、大将は一人一人に笑顔で「はい」と一言返事しただけで、出されたものは不思議とそれぞれの好みに合うネタばかりであった。
「こりゃ、すごいや、内村さんの言った通りだ。信じられない上手さだよ」
「ほんと、美味しいわ。このうどんも」父も母もやや興奮気味だ。でもそれは本当だった。久しぶりに味わう家族3人の食事会。お寿司の美味しさに心まで癒されるような気分になった。
「美和」
食後のあがりをいただきながら、父は何気なさを装ってわたしに声掛けた。
「なに?」
「あのなあ、香山さんのことだけど、あまり悪く考えるな」
「あちらのお父さん?」これは母。
「ああ、お父さんの事だけじゃないけど、美和はこれから世間を生きて行くためのいい経験を今、積んでいる時なんだと思う」
また始まったなとわたしは思う。最近食事会の終わりがけには必ず父の一言が入る。まあ良いのだけれど。
「おまえから聞いたT大のY教授の記事やブログを一通り見てみたよ。大層立派な方じゃないか。でもあそこまで頑張れるのは、そこに行くまでに相当周囲からの厳しい風当たりを受けたはずなんだ。それを乗り越えたからこそ今がある。きっとそうなんだよ。香山さんの事は世間ではそれが普通の事なんだと思いなさい。お前の望んでいる生き方は傍で見てるほど簡単で生優しいものじゃない」
「分かったわ」
わたしが素っ気なく返事をしてしまったものだから、父は慌てて、取りなす様に
「そうかい、あのな、山に登るとき、こう前から、風が吹いて来るだろ。そうすると、とても、大変だけど……あのね、もしもし…」とさらに話を続けようとする。
「お父さん、もう良いわよ」母が暴走する父を止めた。もう交通事故はこりごりだ。
お父さんの言いたい事はちゃんと胸の奥で受け止めた。その通りなんだ。強くならなけりゃ。
わたしは今食べたお寿司を思い返す。お寿司の中にもいろいろ役割があるんだ。トロや赤身の魚のネタばかりじゃない。イカがあったりタコがあったり玉子もある。そんな風にそれぞれ役割があって全体のバランスを保っている。わたしにはわたしの役割りがあるに違いない。そんな事を感じさせてくれただけでも、今日ここへ来て良かった。心からそう思う。
会計を済ませ、礼を言うと大将はにこにこして深々と頭を下げた。
「またいつでもいらしてください」
わたし達はお腹も気持ちも良い具合になって外に出た。
帰りがけの車内、今度は助手席の母がポツリと言った。
「子供は親のために結婚したり孫を産んだりするのじゃないのよ。自分のしあわせのためよ。親はいつだって、その子のしあわせだけを願っているのよ」
すると父がハンドルを握りながら、
「お母さん、流石だ。良いこと言うねえ。ちょっと車止めて良い? メモしときたいから」と言う。
「ダメ!」
「きびしいなあ」
父はそう言いつつ笑顔になる。
いつかこの2人、今度『M-1』に出るなどと言い出さないだろうかと心配になった。
続く
