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「罪悪感の正体」遠距離介護、工夫で乗り切った話:第87話

遠距離介護、工夫で乗り切った話
鎧を脱ぐ時 編 No.8

「ほっとした自分」はなぜこんなに苦しいのか。罪悪感の底をたどると、別の本音が見えてきました。

介護ロスとは何か


私は当初、介護ロスとは
「喪失感」のことだと思っていました。


けれど違いました。


私にとってそれは、
安堵と罪悪感が同時に居座る状態でした。

ほっとした自分がいる。
その自分を責める自分もいる。

この二つが、離れない。

受話器を置いたあとの沈黙のように、
それは長く残りました。

自分を裁く声


「あれでよかったのか」

この問いは、何度も戻ってきました。

もっとできたのではないか。
同居という選択肢は、本当になかったのか。

合理性で固めてきた指針が、
今度は検察官のように私を責める。

皮肉でした。

自分を守るため作った“仕組み”が、
今度は自分を裁く材料にもなる。

介護ロスの正体とは、
喪失より、むしろこの自己尋問なのかもしれません。


分けなくていい


ただ、ある時ふと思いました。


介護者だった自分と、
今の自分を、分けなくていいのではないか。


介護を終えたから、
元の自分に戻る。

そんな単純な話ではない。


8年の遠距離介護は、
システム手帳の予定のように消せるものではありません。

それも私を作っている。

安堵も、罪悪感も、
母への思いも、
全部込みで、今の私なのだと。

そう考えた時、
自分を責める力が少し弱まりました。

受け入れるとは、
美しく整理することではなく、
矛盾を抱えたまま生きることなのだと知りました。


次の告白へ


ただ、ここで話は終わりません。

罪悪感のさらに下には、
もっと見たくない感情がありました。

私が仕組みを作った原点は、
本当に愛だけだったのか。

そこに触れない限り、
この解剖は終われない。


次は、その話を書こうと思います。

ここまでお読み頂き、有難うございました。
明日もあなたとあなたの家族に幸せを感じられますように。


次回、第88話「鎧の下の自分」
同居を避けた本音――仕組みの出発点にあった卑小さを告白します。

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