「暫定は、救いだった」遠距離介護、工夫しながら乗り切った話:第4話
遠距離介護、工夫しながら乗り切った話
『あの日、介護が始まった』編 vol.4
緊急事態に直面し、一刻も早く介護サービスをスタートさせたかった私。
通常の申請の流れを待っていては間に合わない。今回は、私がどのようにして母の生活をいち早く支えることができたのか、その経緯をお話しします。
緊急事態!一刻も早く介護サービスを
緊急で介護サービスが必要と判断した私は、
可能な限りのハイスピードで介護サービスをスタートさせようとしました。
その時にとった方法は「暫定ケアプラン」です。
実は、私は仕事上介護関係者との付き合いも多く、
このことを知っていたのは幸運でした。
順法精神の強い日本人は、ルールを大事にする傾向が強いです。
ですから、
申請→認定→その認定が出てから介護サービスと契約、
という流れを最初に聞くと、
認定が下りるまで介護保険サービスを受けられない、
という風に考えがちです。
ところが現実は、認定結果を待てないという状況もあります。
そこで、「暫定ケアプラン」という制度があるのです。
私は暫定でもイケるということを知っていましたので、
それをこちらから提案指定したのです。
心強かった連携:主治医とケアマネジャーの存在
運がよかったのは、
母の主治医が、アパートから歩いて10分のところにあり、
しかも、その主治医のところにケアマネジャーがおり、
そのケアマネジャーが担当してくれたことです。
これは心強い。
ちなみに、その主治医がいなければ、
歩いて10分の次に近い病院は車で10分以上です。
「暫定ケアプラン」の注意点
勿論「暫定」ですから、
想定していた介護度よりも認定が軽く出た場合、
《自費が発生する可能性》もあります。
そのことも知った上で
「自費が出ても仕方ないのでとにかく早く」
とサービス開始を急がせたのでした。
(月)に申請し、
帰京する(水)から
訪問介護(ヘルパーさん)が始まりました。
まずは母の最低限の生活を整えることができました。
母の状態と、私の後悔
結局、母は要介護3の認定。
後で知ることになりますが、
骨折こそしていませんでしたが、
アルツハイマー型認知症でした。
要介護3というのは、
自力で立ち上がることや歩くことが難しく、認知症の症状が見られる場合があるなど、食事や排泄などの身の回りのことほぼ全てに介護が必要な状態です。
なお、坂道階段だらけの長崎では、
階段の上り下りが自力で困難になってくると、
要介護3が確定するそうです。(2014年当時)
なぜなら、
階段を上り下りできない=買い物その他ができない=自力で生活することが困難、
となるからです。
そして、
アルツハイマー型認知症。。。
判断力・理解力が低下し、
できないことが増えていく、
その、どうしようもない不安の中、
母は、「骨折」という方便で、
遠くに住む子供たちに、
“救い”を求めてきたのだと思いました。
そうなるまで何も気が付かず、
関わろうともしなかった私は
なんと親不孝者かと
自分自身を責め苛む日々が始まります。
介護が終わった今でもそれは多少なりとも感じ続けています。
子供とは親子とはそういうものかとも思います。
次から「介護の仕組みづくり」編を始めます。
次回、第5話「ゴールの見えないマラソン」
これからどうやって、遠距離介護を「仕組み化」するか。
その思考の流れも丁寧に書こうと思います。
ここまでお読み頂き、有難うございました。
明日もあなたに健やかな時間が訪れますように。
