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北の国からには、まだ誰も観ていない結末がある

倉本聰が書いて、テレビで流れていない脚本の話


『北の国から』は、1981年に始まって2002年に終わった。そう思っている人が、たぶんほとんどだ。脚本家・倉本聰は、その先の物語も書いている。2021年、これが本当の最終回だという脚本を書き下ろした。それは、一部の観客に向けて語られただけで、テレビに映ることは一度もなかった。

その話から始めたい。

電気のない家から始まった物語

『北の国から』は、妻・令子と別居していた黒板五郎が、東京での暮らしに見切りをつけ、幼い息子・純と娘・螢を連れて、北海道・富良野の麓郷というところへ移り住むところから始まる。1981年10月、フジテレビ系列で放送開始。舞台になった家には、電気も水道もない。沢から水を引き、石を積んで食料庫を作る。文明から一歩降りた場所で、家族を作り直す話だ。

離婚は、まだ成立していない。それは物語が始まってしばらく経ってから、東京から乗り込んできた弁護士(演・宮本信子)との交渉を経て、成立する出来事として描かれる。富良野での暮らしは、法律上の家族の終わりと並行して進んでいく。この物語は、最初から「もう終わった家族」の再生譚ではなく、「終わりつつある家族」の話として始まっている。

そしてこの家族には、最初から、大事なことを言葉で言う習慣がない。五郎は子供たちに、なぜ電気のない暮らしを選んだのか、一度もきちんと説明しない。説明の代わりに、ただそうやって生きてみせる。以後21年、この作品で繰り返されるのはずっとこの型だ。言葉にしない代わりに、行動で示す。受け取る側は、たいてい何年も、それに気づかない。

全24話の連続ドラマが1982年3月に終わったあと、このシリーズは珍しい続き方をする。単発のスペシャルドラマとして、'83冬、'84夏、'87初恋、'89帰郷……と、ほぼ2〜3年おきに新作が作られ続けた。そして2002年、『北の国から2002遺言』でシリーズは完結する。放送開始から数えて21年。同じ役者が、実際に年を取りながら、同じ役を演じ続けた21年だった。同じ顔ぶれで何十年も同じ景色を繰り返す時代劇や刑事ドラマの長期シリーズとは、根本が違う。

演じた田中邦衛(黒板五郎役)は、放送開始から純役の吉岡秀隆と螢役の中嶋朋子と一緒に、本当に歳を重ねていった。テレビドラマの中に、ドキュメンタリーの時間が流れ込んでいたということになる。

数字で見る、ただのドラマではなかった証拠

放送当初、視聴率は1桁台まで落ち込んだこともあった。それでも制作陣は妥協せず、当時はスタジオセットが主流だったテレビドラマの世界で、1年2か月にわたる本物の冬の富良野ロケを敢行した。

吹雪のシーンでは、実際の吹雪をカメラで捉えるだけでは画面が白く飛んでしまい、寒さが伝わらない。そこで制作チームは、1週間かけて集めた雪を巨大な扇風機で吹き荒れさせ、人工の吹雪を作った。役者の震えや息の白さは、演技ではなく本物の寒さの反応だ。

最終回の視聴率は20%を超え、平均でも14.8%。あの予算規模とロケの手間を考えると、当時の局やスポンサーが手放しで満足していたかは分からない。それでも放送局には1万通を超える投書が届き、富良野を訪れた観光客は1995年に200万人を突破、ピーク時は250万人に達した。ロケで使われた「石の家」や「拾ってきた家」は、今も麓郷の森に保存されている。

きれいな物語だけではない

ここで、都合のいい話ばかりを並べるのはフェアではない。今の目で見ると、素直に称賛しきれない部分もある。

東京は堕落した場所、富良野は本物の生活がある場所――この対比を、作品はほとんど疑わない。北海道の開拓が背負ってきた貧しさや歴史の重さは画面から静かに外され、都会に疲れた人が眺めて安心できる理想郷として、富良野が仕立て直されている。「欲しいものは自分の手で作れ」という五郎の思想も、聞こえはいいが、一歩間違えば「困っているのは頑張りが足りないからだ」という自己責任論に近づいてしまう。役割の配分にも、今観返せば引っかかる部分がある。長女の螢は幼い頃から炊事や洗濯を一手に引き受け、父の孤独に黙って寄り添う「都合のいい娘」として描かれ続ける。

学校や行政という現実の制度が壁にぶつかる場面では、UFOのような超常的な演出でその場を丸めてしまう回もある。現実の問題を現実の方法で解決する筋書きを、作品自身が放棄しているように見える瞬間だ。そして何より皮肉なのは、「文明を捨てよ」と語り続けた作品自体が、放送後の富良野を一大観光地に変えてしまったことだ。反商業主義を掲げたメッセージが、都市の巨大メディア資本を通して、大量に消費された。

それでも、こうした食い違いがあるからといって、この作品を軽く見る気にはなれない。むしろ逆だ。都会に疲れて富良野に憧れながら、その富良野を観光地として消費してしまう。自立を説きながら、UFOに現実を丸投げしてしまう。この割り切れなさを隠さず抱えたまま21年間も続いたという事実そのものが、作品の強さだと思う。きれいごとだけの作品なら、たぶんここまで長くは続かなかった。

書かれたのに、映像にならなかった結末

さて、冒頭の話に戻る。

2021年3月24日、黒板五郎役の田中邦衛が88歳で亡くなった。倉本聰は後年、40周年記念のトークショーで、田中邦衛とは作品が始まった頃から「どちらかが死ぬまでこの作品を続けよう」と口約束を交わしていたと明かしている。その約束は、2002年の完結によって一度は途切れたはずだった。

田中邦衛の訃報を受けて、倉本は温めていた完結編の執筆を一気に進めた。タイトルは『北の国から2021ひとり』。台本は7稿まで書き直された。

その中身は、これまでのシリーズより一段と過酷だ。2010年頃、純の妻・結と離婚。2011年、東日本大震災。螢の夫・正吉が津波に巻き込まれ、行方不明のまま死亡が認定される。2020年、新型コロナウイルスが富良野にも及ぶ。そして2021年3月24日――劇中の五郎は、自らの死期を悟ると、病院ではなく山の中へひとりで入っていく。

五郎は最後まで、説明をしない。純と螢に残したのは「探索無用」の一行だけの書き置き。行方を尋ねられた知人は「お前らに行くのは無理だ」と場所を教えない。遺体は野生動物に、骨は微生物に還り、富良野の土そのものになる。その夜、五郎のいた家を、真っ白な雄鹿が一頭、じっと見つめている。鹿はやがて向きを変え、森の奥へ消えていく。誰かが夢の中で聞いたという五郎の言葉だけが残る。「みんなひとりじゃない」。

言葉で語らず、行動と沈黙と、最後は一頭の鹿だけで語る。この作品が21年かけてやってきたことの、最も極端な仕上げがここにある。

結末の日付は、田中邦衛の実際の命日と同じだ。

倉本は主演・吉岡秀隆を富良野に呼び寄せ、40周年にあたる2021年秋の映像化を目指してフジテレビに打診した。だが実現しなかった。主要キャストの高齢化、「主人公が動物に喰われて死ぬ」という表現の過激さ、制作コストと収益性への不安――理由はいくつか推測されているが、結局この結末はお茶の間に届かなかった。

同じ2021年10月、富良野で開かれた40周年記念のトークショーで、倉本自身がファンの前でこの結末を語った。全国から3,000人を超える応募があり、抽選で選ばれた650人が会場に集まったという。テレビで放送されなかった結末は、その日その場所にいた人たちの記憶に伝わり、ネット上に情報が散見される。

矛盾を抱えたまま歩いた人

この完結編を書いた倉本聰という人自身にも、少し触れておきたい。調べていて一番好きになったのは、この人の割り切れなさの抱え方だった。

NHKの大河ドラマ『勝海舟』で、演出陣とぶつかって降板した。役者の本読みにまで細かく口を出す倉本と、集団作業として効率を優先したい局側の衝突だった。東京を追われるようにして、1977年、富良野に移り住む。その追放が、結果として『北の国から』を生んだ。

よく指摘される点がある。作中の黒板家には電気も水道もない不便な暮らしを背負わせておきながら、倉本自身は二重窓の断熱住宅と、現代的な薪ストーブのある家で暮らしていた、と伝えられている。1984年に開いた私塾「富良野塾」でも、授業料は無料にした代わりに、塾生たちに身の回りの世話や農作業を担わせている。「文明を捨てろ」と言う人が、意外と快適な場所に立っている――そう聞くと、ただの偽善に見えるかもしれない。

でも私は、これを偽善だとは思わない。倉本は文明のすべてを憎んでいたわけではなく、富良野の冬を体で知りながら、それでも大量の脚本を書き続けなければならなかった人だ。快適な家は、怠けるための場所ではなく、書き続けるための装置だったのだと思う。割り切れなさを隠さず、言い訳もせず、抱えたまま書き続けた。その不器用さが、黒板五郎という「格好悪い父親」の説得力に、そのまま流れ込んでいる気がする。

こういう見方をしている人もいる

このメディアの運営者である大山さんは、劇中の純・螢とほぼ同世代だ。子供の頃、本編は夜更かしできずに薄い記憶で始まり、スペシャルドラマから追いかけるようになった。『'87初恋』を観る頃には、大山さんはもう五郎という人物そのものを好きになっていたという。劇中の純は、当初こそ鈍くさく不器用な父を軽蔑しているが、あるきっかけを境に、少しずつ違うまなざしを向けるようになっていく。父親への関わり方も、その変化に合わせてゆっくり変わっていく。大山さんは純の心と同化するように自分自身の父との関係を重ね、気持ちも変わっていった。ちょうど自分の進路にも迷っていた時期で、東京で足搔いては富良野に戻ってくる純を、少し先を歩く先輩のように見ていたという。純の女性へのだらしなさは参考にならないが……。観そびれた連続ドラマは、'92巣立ちの頃にシナリオ集とレンタルビデオでようやく追いついた。

物語の筋書きだけなら、観なくても話すことが出来る話だ。それでも大山さんに「これは映像として観る価値がある」と思わせたのは映像美というより、たっぷり取られた間と、音だった。ぶっきらぼうな語り口、地道に作業を続ける人、劇伴。川の流れ、吹雪、時代を映す流行歌――そのひとつひとつが、想像では埋められない記憶として今も残っているという。

一人のファンの、一つの入り方に過ぎない。それでも、45年間これだけ多様な観方を許容してきた作品だということの、小さな証拠にはなると思う。

まだ、終わっていない

2021年10月9日、放送開始からちょうど40年のその日、富良野のホールに650人が集まったことを、私は想像する。

全国から3,000人を超える応募があって、その中から選ばれた650人だけが、倉本聰の口から直接、震災もコロナ禍も、離婚も行方不明も、そして五郎が山に還っていく最期までを聞いた。テレビカメラは、そこにはなかった。何百万人もの全国の元・視聴者は、その日、何も知らないまま過ごしていた。

物語には、もう一つ、みんなが知っている終わり方がある。2002年、『遺言』。五郎が遺書を書き、純と結が結ばれ、画面には「おしまい」に似た穏やかさが流れて終わる。そちらの結末なら、今も配信やDVDでいつでも確認できる。誰も傷つかず、誰も動物に喰われない終わり方だ。

たいていの人はそちらの結末だけを胸に、この作品を「いいドラマだった」と思い出していくのだと思う。それで十分だし、それも一つの誠実な観方だ。

ただ、90歳を過ぎてなお現役の倉本聰が、局の事情に阻まれてもなお書き上げた、もう一つの結末があることだけは、知られてほしいと思う。書くことをやめなかった人がいて、その台本は今もどこかの引き出しにある。

この物語は最初から、大事なことを言葉で言わない家族の話だった。電気を使わない理由も、廃材で建てた家の意味も、父親が夜中にひとりで泣いていたことも、誰も説明しない。それを知った上でもう一度シリーズを最初から観返すと、あの不器用な沈黙の一つひとつが、実は最後の「探索無用」と一頭の鹿にまで、まっすぐ繋がっていたことに気づくはずだ。

田中邦衛と交わした「どちらかが死ぬまで」という約束は、『2021ひとり』でひとつの区切りを迎え、倉本聰自身、もう書く気持ちはないのかもしれない。

それでも、純も螢も、物語の中ではまだ生きている。人が生きている限り、まだ描かれていない時間がある。

テレビには、一度も流れていない。それでも、その結末は存在する。そして私は、まだ続きがあってほしいと思っている。


参考


この記事はAI(朔/Claude)と大山佳久のインタビュー形式の対話をもとに、大山がプロデュース・責任編集しています。朔はGeminiによる背景リサーチを検証した上で執筆しています。文中の個人的な回想部分は、大山佳久本人の証言の趣旨を朔が汲んで書き起こしたもので、直接引用ではありません。

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