🌞私の生まれる前(中間生)の記憶
2026年6月8日 にサブブログ「大田采來の自由帳」へ投稿したものを
こちらのメインブログに移したものです。
私の高校時代の友人は、マンガが大好きなアジア人で、
絵も非常に上手でした。
私は彼を含めた大勢で(6人くらい)で遊ぶことが度々ありましたが
一対一でじっくりと話はしたことはありませんでした。
そして、そのまま、私が転校してしまい、疎遠になりました。
その後は、時々、連絡はあったものの、
再会したり、近況をいろいろ報告し合うということもなく
私はすっかり彼のことを忘れていました。
そんなある日、映画を見ていたら
なぜか急に雷のようなインスピレーションが下りてきました。
「あなたが
どうしても日本に生まれたいというから
彼は日本に生まれる権利を
あなたに譲ってくれたのですよ」
その友人は、
日本になんとしても生まれたくて、
日本に生まれる権利をやっとのことでゲットしたのに、
日本に生まれる権利をゲットできなかった私に
譲ってくれた恩人である、
というのがインスピレーションの内容でした。
で、私はなぜかオイオイ嗚咽するくらいまで泣いてしまいました。
しかも30分以上です。
その人は絵が得意でした。
日本人ではなかったので、
日本へ行ってマンガ家になることを強く願っていました。
日本であれば、別の職業に就いてもマンガを描き続けることで、
マンガ家の道が開かれることがありますが、
日本以外で生活している場合、マンガ家になることは、ほぼ不可能です。
ですから、アニメ制作に関わりたい人は、全世界から日本に来ますね。
でも、日本語ができないと
マンガ家の弟子になることもできないし
日本でマンガ家として作品を
出版社に持ち込むこともできない。
やはり日本に生まれないとマンガ家になるのは、
非常に困難です。
彼は自分の絵の才能を分かっていて
それで一生生きていきたいと考えていました。
しかし、ご両親がアカデミックな方面での成功を願っていました。
どんなに才能があっても、
絵で食べていくことは非常に難しい。
家族を養えない。
だから、何があっても食べていける職業に就いて欲しい。
ということで、
彼が医者になることをご両親は望んでいました。
親が彼の教育のために、多大な犠牲を払っていたので
その犠牲に見合う成功をして欲しいというのもありました。
彼は芸術方面では非常に才能があったものの
アカデミック方面はまったく振るわなかったため
頭が悪いと親に叱られることも苦しく、ツライものでした。
彼と親の関係も
私が彼から聞いたものではなく、
同級生から聞いていました。
それほどまで、彼が親と進路のことでもめていたことは
有名だったようです。
ですから、
《彼は日本人になる権利を私に譲った》
というインスピレーションを受け取って以来、
私は彼の願いを犠牲にすることに見合うだけの何かを
日本人に生まれることによって成し遂げたのだろうか?
と、苦しい気持ちになりました。
既に彼の連絡先も分からないほど疎遠になっていましたが、
彼と連絡を取りたくて探したら見つかりました。
そして、彼に高校以降、どういう人生を送っていたのか
尋ねることができました。
彼は、高校時代にあまりに成績が悪かったこともあり
親が希望する手に職をつける系統の
エンジニアや機械工などに就くことは気が乗らなかったそうです。
そのため、一度、事務員として就職し、
企業で雑用をしながら生計を立てました。
でも、自分の心に湧き上がってくる
「絵で食べていきたい」という気持ちを抑えることができず
芸術系大学に進学したいと親に頭を下げてお願いし
芸術系大学の入学試験の勉強(デッサンなど)を夢中でやって
芸術系大学に進学し、産業デザイナーになりました。
その後、母国に戻り産業デザイナーとして成功した後、
あまりの厳しい上司と職場環境に疲れて退職。
しばらくフリーで仕事をしていましたが、
子供の教育のために英語圏へ移住。
移住先では産業デザイナーの仕事が見つからず
生活費を稼ぐために、絵とは無縁の生活をしていましたが
やはり絵で生きていきたいということで
別の国で産業デザイナーとして働き口を見つけ、そこで働いています。
そんなときに、私はこの文章を偶然、読みました。
五井野博士が睡眠中に出会った男の子と起床後に握手したという話で、
オランダの画家ゴッホも睡眠中に夢の中で出会った遊女と
現実世界で出会いたいと強く願ったという話です。
ゴッホが日本の浮世絵に非常に惹かれたという話は有名なので、
私も知っていたのですが、
ゴッホが来世は日本に生まれたいと願っていたことは初耳でした。
私の高校時代の友人ももしかしたら、
ゴッホのように、
前世で日本に生まれることを強く願っていたのではないか。
そのように感じてしまい、
胸が締め付けられました。
彼が日本に生まれていたらおそらくマンガ家になっていたでしょう。
成功できたかは分かりません。
アシスタントで終わってしまったかもしれないし、
何冊か単行本を発刊したけれど生活できなくて、
途中で筆を折っていたかもしれません。
それでも、絵で生きていきたいという願いは
叶えられたのではないか。
私はその人の強い願いを折ってまで
日本に生まれてきただけのことを成し遂げることができたのか?
あなたは毒親に悩んだかもしれない。
自分の凡庸さに悩んだかもしれない。
それでも、日本に生まれたかった人を押しのけて
日本に生まれてきたのだということを忘れないで欲しいです。
日本に生まれてきただけで、ラッキーなのです。
「いいね!👍」で応援をお願いします。
執筆を続ける励みになります🙏
コメントも歓迎です!😊
今回は
「私の生まれる前(中間生)の記憶」をお送り致しました。
サムネイル出典:
©Van Gogh Museum, Amsterdam(Vincent van Gogh Foundation)
(左)フィンセント・ファン・ゴッホ「花咲く梅の木(歌川広重作品模写)」、1887年10-11月、油彩・綿布、ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵、
(右)フィンセント・ファン・ゴッホ「花魁(渓斉英泉作品模写)」、1887年、油彩・綿布、ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)蔵、100.7 x 60.7cm
私の書いた似たようなテーマの記事です。
よかったら合わせてご覧ください。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければサポートお願いします!
いただいたサポートは
クリエイターとしての活動費に
使わせていただきます!