【連載小説・ページをめくるたび】第20話:はるか先の流れ星
【創作大賞2026 #エンタメ原作部門 応募作品】
空手の「剛」と体操の「柔」。二つの道を往く少女が、まだ見ぬ空を掴む物語。
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十月の県立スポーツセンター。体育館の空気は、ピンと張り詰めた冬の予感と、選手たちの放つ熱気で白く濁っているように見えた 。窓から差し込む秋の陽光が、宙を舞うタンマ(炭酸マグネシウム)をダイヤモンドの塵のように輝かせている。
「次、千年中学校、高橋彩夏さん」

場内アナウンスが響く。彩夏は、詩織から贈られたスカイブルーのシュシュで髪をきつく結び直し、跳馬の助走路に立った 。市大会を泥臭く勝ち抜き、辿り着いた県大会の舞台 。だが、目の前の跳馬は、練習場のそれよりも高く、冷淡な拒絶の塊に見えた。
(……跳ばなきゃ。あいつに、少しでも近づくために)
視線の先には、直前に演技を終えて得点掲示板を見つめる滝沢沙希の背中がある 。沙希は今、関東大会、そしてその先の全国大会という、彩夏にはまだ見えない重力圏の中にいた 。
観客席の片隅で、南條陽菜は膝の上でスケッチブックを広げていた 。彼女の瞳は、彩夏の「動」と沙希の「静」を冷徹なまでに捉えている。

「沙希ちゃんの線は、研ぎ澄まされた刃物みたいなんだよね……。でも、彩夏ちゃんは、今にも爆発しそうな太陽の塊みたい。」
陽菜が呟きながら走らせる鉛筆の音が、周囲の喧騒に飲み込まれていく 。
彩夏が地を蹴る。空手で培った瞬発力をすべて足裏に込め、ロイター板を叩いた 。視界が回転し、青いマットが迫る。着地。 わずかに足が動き、一歩踏み出した。審判のペンが動く。彩夏の顔に、隠しきれない焦燥が走った。
直後に発表された沙希の得点は、会場を静まり返らせた。段違い平行棒と平均台で、彼女は「正解」を超えた芸術を披露していた 。

「……すごいな、やっぱり」
ぽつりと、彩夏が呟く。自分の掌に残ったタンマの白い粉が、沙希が描いた流星の軌跡の残骸のように見えた。
結果は残酷だった。彩夏は県大会で敗退 。一方で沙希は、危なげなく関東大会への切符を掴み取った 。競技が終わった後の器具庫の影。彩夏は一人、膝を抱えていた。 そこへ、静かな足音が近づく。
「彩夏ちゃん、お疲れ様」
水原詩織だった。彼女の手には、彩夏の使い古した練習ノートが握られていた 。

「詩織……ごめん。私、あそこまでしか行けなかった」
「ううん。彩夏の着地、今までで一番、地面を信じている音がしたよ」
詩織は彩夏の隣に腰を下ろすと、そっとその肩に手を置いた 。
少し離れた場所で、沙希が一人、スポーツバッグを肩にかけて歩いてくるのが見えた。普段なら声をかけられないオーラを纏っている彼女だが、この日はふと足を止め、彩夏の方を向いた。
「……跳馬の高さ、出てた。着地さえ止まれば、次はわからない」

それだけ言うと、沙希は振り返ることなく立ち去った 。
「……次は、わからない、だって」
彩夏は、スカイブルーのシュシュに触れた 。敗北の味は、鉄の匂いがした。けれど、隣にある詩織の体温と、ライバルが残した一言が、凍えそうな彩夏の心を微かに繋ぎ止めていた。
後日談:滝沢沙希は県大会で優勝を掴み、関東大会で2位、全国大会でも10位という成績を残す。
【回想メモ:高橋彩夏】
『マットに手がついた瞬間、わかっちゃったんだ。あいつが見ている景色は、私が見ている天井よりも、ずっとずっと高いところにあるんだって』
(第3章おわり)
